八雲尤明掌編小説集

八雲尤明

河童転校生

 その転校生は、蛙みたいに大きな眼をしていた。一番はじめに思ったのは、みたいだ、ということだった。

 その転校生は次の日、びしょ濡れで登校してきた。誰かが「だ」と言って、その日から転校生のあだ名は「カッパ」になった。

 カッパは次の日も濡れてきた。寝癖が付いていたのを見るに、首から上は濡れなかったようだった。昨日よりも、少しマシになっていた。

 かと思うと、びしょ濡れどころか海藻まみれで登校してくる日もあった。級友クラスメイトは何人か教室から逃げ出したし、いつもはガミガミ注意していた担任もその日は何も言えなかった。


 一ヶ月か二ヶ月か経った頃、級友のうち半分と少しくらいがカッパを避けるようになっていた。僕を含んだ残りの少数派マイノリティは、何人かは好奇心、何人かは寛容といった具合だった。どちらかというなら僕はカッパに好奇心を持っていたが、好奇心から話しかけるような真似はしなかった。ただ他の級友たちよりも、カッパについてよく考えていたのは確かだろう。

 カッパは、どうして毎日濡れてくるのか。僕は燦燦の空を見て考えていた。椅子を傾けてふらふらと前後に揺れる。洋筆ペンシルを弄び、帳面ノートの隅にカッパの姿を描いた。

 ──実に魔訶不思議ミステリアスだ。カッパは毎日濡れてくるが、だいたい昨日今日明日といった三日くらいは違う濡れ方をしているのだ。どこが濡れているか、どれだけ濡れているかが少しずつ異なる。まれに海藻や糸屑に絡まりながら登校してくることもある。


 転校から半年が経っても、カッパは一人で行動していた。カッパを受け入れた者たちも、友だち付き合いするほど認めてはいなかったようだった。カッパの席の下にできた濃いシミに見慣れた頃、とうとう僕はカッパに話しかけた。

「小林くん」

 カッパは大きな眼で僕を見た。僕はできるだけ優しい顔をした。

「小林くんってなんで毎日濡れてくるの?」

 カッパは不思議そうな顔をして、

「そんなに濡れてるかな」

 とだけ言った。

 本人に自覚がないなら、自分で調べるしかない。僕はそれから一週間ほど経った日の朝、少しの早起きをした。カッパは雨の日のたいていは学校に来ない。そのときに一度だけ刷紙プリントを届けたことがあるから、僕はカッパの住所を知っていた。


 朝の六時頃、カッパは家から出てきた。カッパは学校の敷地に入るまで、濡れていなかった。僕が見ていたからか、と少し思案したが、あまり関係ないらしかった。カッパがそろそろ校舎に近付いた。目の前には花壇があって、新米の女教師が水を遣っていた。教師は目の端でカッパを捉えたらしく、振り向いた。

「おはよう、小林くん」

 振り向きざま、教師は自分が水管ホースを握っていることを完全に失念していたらしい。見事カッパは教室に着く前に全身びしょ濡れになってしまった。


 次の日、カッパは鳥の糞に遭った。僕は渋々カッパの遠回りに着いて行った。カッパは公園の水道を頭から被って、鳥の糞を洗い流していた。


 さらにその次の日である。カッパの家から学校までには、一つ大きな河を越えることになる。その日カッパは、その河に架けられた橋から鍵を落とした。カッパは躊躇なく土手を駆け下り、浅瀬に膝まで浸かった。すそそでもまくらずに、カッパは鍵を捜していた。僕は土手の上からそれを眺めていたが、どうも馬鹿らしくなってしまって、学校に向かうことにした。


 ──その日は、雨上がりの朝だった。前日カッパは学校に来ず、その分というか、みんなびしょ濡れで登校してきた。横風よこかぜの雨だった。

 そして朝、カッパはいつも通り家を出ていた。僕もその日は、カッパの家まで足を運んだ。カッパは例の土手に着く時点で、車がねた行潦みずたまりを食らっていた。びしょ濡れ、というほどではないがこれくらいで登校してくる日もあったから、今日はこんなもんだろうと気を抜いていた。僕は少し目を逸らして、空を眺めていたところだった。

 何やら声が聞こえた。その声が悲鳴と分かるまで、時間はかからなかった。すぐにカッパが走り出した。

 僕も慌ててカッパを追った。近くには河がある。昨日の大雨じゃあ、流れはさぞ──。

 声の正体は、僕の推理通りだった。男の子が一人溺れている。流れの傍には他二人仲間がいるが、一方は呆然と、一方は右左あたふたしているだけでどちらも大人を呼ぶようなことはしていない。唯一、溺れている当の本人だけが危機を脱しようを声を上げていたわけだ。

 助けようとこの激流に入るのは無謀である。一学生の僕やカッパではなく、ひとまず大人を呼ばなくてはならない。そう思ったところで、カッパが迷わず河に入って行くのが見えた。

 何をしている。

 僕は考えていたことを全て忘れてしまって、そのままカッパのもとまで駆けつけた。子供を抱いて河から上がってきたとき、カッパは平然けろっとしていた。びしょ濡れの制服で男の子を抱えていた。

 以降、僕はカッパを尾けるのを辞めた。


 そこから少し整理をして、僕は妙な違和感を覚えた。僕は今まで、カッパは誰よりも早く登校するから教室に入るまでに濡れていることを指摘されないのだと思っていた。

 ──水遣りの女教師だ。彼女、いや水遣りが当番制とすると、毎朝誰かしらの先生が花壇にいるんじゃないだろうか。


 僕はこういった推理を重ねた。しかし女教師はあの日たまたま早く出勤していただけだったし、水遣りも当番制ではなかった。

 僕が尾行をやめた次の日も、カッパは濡れてきた。次の日も、その次の日も、転校するその日までカッパは濡れて登校してきた。結局僕は、なぜ毎日カッパが濡れてくるのかを解き明かすことができなかった。いや厳密には、なぜカッパは毎朝が濡れる機会に溢れているのかが分からなかった。

 どれだけ調査を重ねても、またどれだけ深く推理しても僕が求めていたものはなかった。

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