第9話 気づきと誤解と恋心②

アレキサンダーは先に馬車から降りると、当然のようにイアンを抱き上げた。


「自分で歩けるって。」

お姫様抱っこ状態のイアンが体をひねって降りようとするが、アレキサンダーの両腕はピクリともしない。


「ちょっと走っただけで疲れて泣いてたのはどこの誰だよ。」

からかうようにアレキサンダーが言いながらイアンの顔を覗き込んだ。


「もうっ!本当にやめて。子供じゃないんだから。」


じたばたと抵抗するイアンをぎゅっと抱きしめると、アレキサンダーの体の中心がずんっと熱を持ち始める。


――どうせ暴れるならベッドで、、、。


あらぬ妄想に頭が支配される。


「殿下、そろそろ開放して差し上げたらいかがですか。しつこい男は嫌われますよ。」

出迎えた侍従のノーマンに声をかけられて、渋々イアンを解放する。 

イアンが皴になった制服を正して顔をあげると、にっこりとほほ笑むノーマンと目が合った。


 ノーマン・ウエストウッド。

ムスタビオ第2王子と同い年の23歳で、スラッとした細身の体に長い手足、黒い髪をすっきりと後ろで束ね背筋を伸ばして立つ姿は、どこかセクシーだ。

パーティー会場ではどこの貴族令息よりも令嬢の視線を集めていると評判のこの男。

切れ長の目をすっと横に流すと、令嬢だけでなく妙齢のご婦人たちまでもが、はぁ~とため息をつき、うっとりと体をしならせる。

アレキサンダーの情報によると、たまに使用する片眼鏡にはレンズが入っておらず、“ご夫人方を喜ばせるための演出”なんだとか。実は結構な策士である。


「殿下、国王陛下がお待ちです。」

落ちついた声音が心地よく響く。

アレキサンダーやバロンに比べ、幼く見える容姿と決して低いとは言えない声質にコンプレックスを抱えているイアンにとって、ノーマンは憧れの存在だ。

こっそりと立ち振る舞いを盗み見ては鏡の前で真似てみたこともあるが、いつだったか扉を閉め忘れ、アレキサンダーに見られてしまった。扉に寄りかかり腕を組み、眉間にしわを寄せて怪訝な顔をしたアレキサンダーと鏡越しに目が合うと、どうしようもなく恥ずかしくなり、それ以降は自重している。

それでもやはり目で追ってしまうのは止められなかったのだが。


「わかった。すぐに伺うとお伝えしてくれ。」

「かしこまりました。」

流れるような動きで一歩下がりお辞儀をすると国王の執務室へと歩き出す。


「イアン、見過ぎ。」

アレキサンダーが少し低い声で呟いた。

慌ててノーマンから目をそらしてアレキサンダーを見上げるが、アレキサンダーは前を向いたままだ。

「また後でな。」

アレキサンダーはイアンの頭をぽんと軽く一度たたくと、着替えるために自分の部屋へと歩き出した。

イアンがノーマンの大人っぽさに憧れを抱いていることは昔からよく知っている。けれどもやはり、自分以外を追いかけるイアンの目に冷静でいられない自分がいた。

その目を手で覆い隠し、すぐにでも抱き上げて連れ去りたかった。

――フィッツが言うように、いっそのこと押し倒してベッドに括り付けてしまおうか。

よこしまな感情がむくむくと沸き上がってくるのを感じ、イアンの顔を見ることができなかった。嫉妬でゆがんだ醜い顔を見られるのだけは絶対に避けなければいけない。


――なぁ、イアン。 どうすればお前は俺だけを見つめてくれるんだ?


******


――アレク、一度もこっち見なかった。

 イアンの瞳が潤む。 緊急時以外は使わないようにしているポータルを開き、魔法管理棟の自分の部屋へと繋いだ。部屋の中へ瞬間移動すると、ベッドに突っ伏した。涙が止まらない。

――涙腺が壊れてしまったのだから、これは緊急事態だ。

と自分でもよくわからない言い訳をしながら、止まらない涙を手の甲で必死に拭う。

アレキサンダーへの気持ちを自覚してからまだ数時間も経っていない。

――それでもこんなに苦しいなんて。


 以前からノーマンに憧れはあったが、今日に限ってはいつもと違う理由で彼を見ていた。

アレックス付きの侍従を務めるノーマンは伯爵家の次男だ。ステップフィールド伯爵家のひとり息子のイアンとは立場上変わらない。

それなのに自分は幼馴染というだけでアレキサンダーと仲良しこよしを続けている。昔からスキンシップは多めだが、完全に子ども扱いだ。一方のノーマンは侍従の仕事を立派にこなし、アレキサンダーと並ぶ姿も堂々としている。

嫉妬、劣等感、焦り。 

負の感情とはあまり縁のない恵まれた環境でこれまで生きてきたイアンに、これらの情動がどっと押し寄せ、あふれる涙を止めることができなかった。

『人は恋をすると空も飛べるんだよ。』

昔読んだ童話の中で魔法使いが言ったセリフをふと思い出した。


――アレク、僕はいま墜落寸前、低空飛行ぎりぎりだよ。

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