ぬいの中身
三好 詠佑
第一章 秘密
俺には誰にも言えない趣味がある。
ぬいぐるみの中身を詰め替えることだ。
人の趣味というものは色々だ。
ありきたりなものからニッチなものまで実に多岐にわたるが、
俺のは少し変わっている。
市販のぬいぐるみの綿を抜いて、自分で詰め直す。ただそれだけのことだ。
人に言えば、たいてい気味悪がられるし、変な目で見られる。
これが仮にぬいぐるみの修繕や裁縫だったら、「意外と家庭的なんだね」とか「ギャップ萌え」なんて言ってもらえたかもしれないが。
だから、誰にも言わない。
人並みに働いて、疲れて帰って、風呂に入って、夜になったら──静かに針と糸を持つ。
"詰め直す"といってもの俺のは少し変わっている。
俺が詰め直すとき、綿の代わりに入れるのは、少しだけ違うものだ。
その日あった悔しさや苛立ち、言い返せなかった言葉、喉まで出かかった怒鳴り声。
そういうのを、ひとつひとつ、詰めていく。
感情は、入れ物さえあれば形になる。
こんなことを言ったら、呪いの儀式だとか、オカルト趣味だとか、そんなふうに思われるかもしれない。
でも、俺にとってはただの気休めだ。
何か目的があるわけでもなく、本当にただのおまじないだ。
日記をつけるのと同じようなもので、誰にも見せない、自分だけの整理術。
前にテレビで見た。
プロのアスリートが試合前に必ずやる一連の動作のことを「ルーティーン」と呼ぶらしい。
俺にとってはこれが、それだ。
社会を生きていくために必要な、ちょっとだけ変わったルーティーン。
針を手に取ると、不思議と心が静まっていく。
ぬいぐるみの背中をなぞるように、糸を通していく。
鋭くも優しくもない、ただ機械的な手つきで、裂け目を縫い合わせる。
今日は赤のビーズ。
ざらついた怒りと、湿った恨みの粒を、スプーン一杯ほど。
「……まあ、今日の分はこれでいいか」
背中を縫い終えたとき、ようやく息が抜けた。
ジャージのまま床に座り込んだ。小さなぬいぐるみと目が合う。
コンビニのジュースについてきたおまけのウサギのぬいぐるみ。
俺もお前もさっきまでとは違う。
中身だけが、少し違う。
ただのビーズでも、ただの綿でもない。
中にあるのは“感情”だ。
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