Midnight Groove
わら
第1話 最後のセッション
繁華街の裏路地、ネオンの光が揺れるライブバー「Midnight Groove」。重厚な木の扉を開けると、ジャズのメロディとタバコの煙、ウイスキーの香りが絡み合う。今夜も、音楽を愛する魂たちが集う聖域だ。薄暗い照明の下、カウンターのボトルが琥珀色に輝き、ステージのスポットライトが奏者を浮かび上がらせる。
店主のリョウ、40代半ばの無精ひげの男は、グラスを磨きながら客を見渡す。元ギタリストの彼は、20年前、夢を捨てこのバーを始めた。鋭い目つきとは裏腹に、常連には温かいウイスキーを注ぐ。カウンターの奥には、古いモノクロ写真——若いリョウとサックス奏者が笑う姿が飾られている。
ステージでは、老サックス奏者の大輔、70歳を超える伝説の男が楽器を握る。皺だらけの手、しかしその音は人生の喜びと苦みを溶かすように深い。今夜の曲は、彼のオリジナル「Farewell Blues」。客席の常連、彩花はジントニックを傾け、スケッチブックに音をなぞる。30代のイラストレーターの彼女にとって、このバーは心の避難所だ。「大輔さん、今日も魂が震えるよ」と声をかけると、彼は目を細め、「最後まで吹くさ」と呟く。その言葉に、リョウの手に力が入り、グラスが一瞬止まる。
客席には新顔の悠斗、20歳そこそこの青年がギターケースを背負って座る。音楽で身を立てようと上京した彼は、大輔の音に圧倒され、「こんな音、俺には一生出せない」と呟く。彩花がスケッチを見せ、「音は絵と同じ。魂で描くものよ」と言うと、悠斗はグラスを握りしめ、目を輝かせる。「魂、か…」と呟き、彼は大輔の演奏に耳を傾ける。
夜が深まり、客席は仕事帰りのサラリーマンやアーティストの卵で埋まる。バーの空気は、音楽と酒で熱を帯びる。大輔のサックスが最高潮に達し、「Farewell Blues」のメロディが店内を包む。哀愁と希望が交錯する音に、彩花のペンが止まり、悠斗の瞳が潤む。リョウはカウンターの奥で、飾られた写真を見つめる。そこには、20年前、ステージで共に音を重ねたリョウと大輔の姿。若き日の彼らは、音楽で世界を変えられると信じていた。
曲が終わると、拍手が沸き、客たちはグラスを掲げる。大輔は静かにステージを降り、リョウに近づく。「リョウ、俺のサックス、預かってくれ。もう、いいだろ」。その言葉に、リョウは目を逸らし、「…まだ吹けるだろ」と返すが、大輔は笑って首を振る。「お前も、いつか弾けよ」。彼はそう言い残し、夜の街へ消えた。
翌朝、リョウの携帯に病院からの着信。誰も知らなかった、大輔の末期疾患。バーで最後の音を吹き、彼は静かに息を引き取った。数日後、「Midnight Groove」はいつもより静かだった。彩花は大輔のスケッチを完成させ、カウンターに置く。悠斗はギターを手に、初めてステージに立つ。拙いながらも、彼の音には魂が宿る。
リョウはカウンターの奥から大輔のサックスを取り出し、指でそっと触れる。彩花が微笑み、「リョウさん、弾いてよ」と言う。客たちが頷き、悠斗がギターでコードを刻む。リョウは迷った末、ギターを手にステージへ。20年ぶりの音は、大輔のサックスを呼び覚ますように響く。
「Midnight Groove」は今夜も鳴り止まない。大輔の魂は、バーに集う者たちの音と心に生き続ける。カウンターの写真は、静かに彼らを見守る。
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