転生したら家だった

@DigArmor

転生したら家だった

 俺は廃墟だ。名前は忘れた。


 気が付いたらみっしりと木々に囲まれ、わずかに見える山や谷を感じていた。固い斜面に建って辺りを伺っても俺は一人、いや一軒きり。その俺自身もひどい有様だ。


 石葺き屋根は、母屋梁の一部が腐って崩れている。落ちた石の重みで床も抜けているし、吹き込む風雨でレンガ壁に穴が開いていた。屋根裏は見たことも無い小獣達の棲み処。家具は誰かに壊され、残骸と破片が残っているだけ。


 元の世界なら一等地の別荘みたいな屋敷。そのなれの果てが、俺だった。


 ■


 そんな俺に住みつこうとした奴らがいた。


 ぼろぼろの装具、虫だらけの衣服になまくらのだんびらを帯びていた。大事そうに貴金属や香水の袋を抱えていたが、あれは盗品だったのだと思う。


 そんな連中でも住み着かれると情が沸いた。俺は家だ。誰かに住んでもらいたい。幸い、雨風をしのがせてやることくらいはできる。俺は持てる力を振り絞ってそいつらをもてなした。


 戸を開けてやった。

 階段の上り下りがきつそうだったから、階段板をたわませて助けてやった。

 不安で眠れなさそうなやつのため、梁を良い音で軋ませた。

 暖炉で火を熾してくれたのは嬉しかった。だから家じゅうの埃やらなにやら、俺が動かせるもの全部を暖炉に少しづつくべて、火勢の足しにした。


 そして数日後。彼らは殺し合い、みな死んでしまった。


 俺が悪かった。

 家は動かないものだ。それが動くなんて普通じゃない。

 疲れて傷ついて、盗品を抱えていた彼ら。その心は壊れる寸前だったのだろう。

 それに、俺が止めを刺したのだ


 俺は慎重に彼らを片付けた。

 動物や虫たちに手伝ってもらい、死体を分解した。

 暖炉の火の粉で部屋を少し焙り、雨風を部屋に入れて洗った。


 できるだけ綺麗にした。次こそは、誰かに住んでもらえるように。


 ■


 雨の晩になった。ひどく屋根を叩かれる。

 そんな中、外壁に光が当った。


 光は弱く遠い。木々の向こうで消えてしまいそうだが、たいまつに違いなかった。

 街道なんて近くに無い。こんな所に来るのは訳あり者しかいないだろう。


 こっちだ。屋根が、壁がある。守ってやれる。

 そう念じて家中の戸を震わせた。


 松明が動くのをやめた。それからゆっくり、こちらに近づきはじめた。

 俺は騒ぐのをやめた。


 現れたのは、一人の女性だった。

 感じる。荒く、若い息遣い。ずぶぬれになった長い髪から雫が落ち、雨と一緒に俺の三和土を打った。


 いますぐ玄関扉を開けたい気持ちをこらえ、ドアの蝶番を軽くして待つ。


 彼女はそっとドアノブを握ってきた。


 ■


 彼女は、俺の中をおびえた様子で見て回った。


 だが男数人分の装備が散乱する廃屋を見ても、彼女は逃げなかった。

 限界なのだろう。足取りは弱々しく、これ以上山道を歩くのは難しそうだ。


 俺は壁面の砂粒を身動ぎさせて、松明の光を跳ね返す。それに惹かれたのか、彼女が歩き出した。


 たどり着いたのは1階の中ほど。野盗の一人が直してくれたベッドのある寝室だった。窓は狭く、ドアは頑丈。この家で最も堅牢な場所だ。


 彼女は部屋を見て小さく息をつくと、天井を見上げて微笑んだ。


「精霊様。お導きに感謝します」


 かすれてはいるが、低く心地の良い声が室内に木霊する。

 その安堵の滲んだ声が、俺の全材質に響き渡った。


 俺は意識を外に向けた。

 外壁に神経を凝らし、屋根石で森中の音を聞く。


 彼女に迫るだろう何者をも、聞き逃しはしない。


 ■


 夜が白む頃に雨はやみ、霧があたりに満ちた。夜気が寝室に入り込まないようレンガを引き締めていると、おかしな気配を感じた。


 そう思った時には既に、男が家の前にいた。

 黒い外套を濡らし、しかし脚絆に泥汚れが無い。


 フード下から鋭い視線が俺を睨み上げ、安堵したように吐息を漏らした。


 咄嗟に寝室に意識を向け、部屋中の木材を軋ませる。

 彼女は小さく悲鳴をあげて飛び起き、短剣をとった。


 前庭の男が舐めるように俺の外壁を流し見てくる。彼女の居場所を探っているに違いなかった。


 玄関をはじめ、まだ動く鎧戸の全てを閉じ、鍵をかける。

 男の目がさらに鋭くなった。


「魔女、か」


 呟いて短剣を抜き、刀身に息を吹きかける。鋼が雲のように揺らめいた。


 玄関ドアから何歩も離れたところで、刃が振るわれる。

 剣線はまっすぐ俺に向いていた。


 鋭い痛みと共に、玄関ドアの感覚が失せた。

 だらりと木戸が外に開く。


 男は鼻息をもらすと、つかつか歩み寄ってドア板を蹴り開けた。


「守りに入っても無駄だぞ」


 まずい。彼女はまだ寝室の中だ。慌ててドアを開けてやる。

 だが混乱しているのか、彼女は短剣をにぎりしめて動かない。


 男が玄関ホールを過ぎっていく。

 固い靴裏が床板を鳴らした。


 彼女は口を堅く結び、ドアに向かって構えたまま息を殺している。

 そのかすかな息遣いが耳に届いているのか、男は無遠慮に廊下を進んできた。


 歩みが応接間にさしかかる。戸口から、かつてそこで死んだ野盗のマントが顔を出している。男はかすかに視線を揺らしたが、それだけだった。


 彼女が逃げる隙を作らなければ。


 男の歩みが応接間、その戸口を過ぎる。

 そこを狙い、応接間全体に溜めていた力を解き放った。


 床に落ちていたテーブルの残骸と、盗賊たちの装備品がめちゃくちゃに跳ね上がる。そのうちのいくつかが、男めがけて弾け飛んだ。


 男は崩れ落ちるように前転し、ガラクタの飛礫をかわした。


「……驚かしてくれる。ここまで器用だとは」


 戸口から離れたところでうずくまり、じっと応接間を睨む。


「仕事に花を添えてくれた礼をせんとな」


 男は耳を澄ませると、すぐに彼女の寝室に向き直り、歩き出した。

 その足音に、彼女の歯の根があわなくなってきた。


「なぜ死ななければならないのです!

 見え、聞こえることは、それほどまでの罪なのですか?!」


 男は答えず、ただ廊下を歩く。


 彼女は背にしていた窓をふりかえり、留め金を探す。だが錆びて癒着したそれを見て、彼女の唇が震えた。


 俺は窓は開けられる。だが、今それをやれば彼女を危険に晒しかねない。驚いた彼女がそのまま殺されてしまうかもしれない。しかし―――。


 迷っているうちに、男の足音が寝室の外で止まった。

 彼女の息が上がり、開いた口からがちがちと音が響く。


 半開きのドアを男のナイフがゆっくりとなぞる。

 またしても、痛み。ドアが、俺から切り離された。


 ドアを引いて、男は彼女の視界に入った。

 廊下の闇で、男の目と、その手の刃だけが、窓から刺す光を照り返していた。


「約束してやろう。馬鹿な女。苦しませずに殺してやる」


 甲高い悲鳴が寝室を叩く。

 男の右腕が引き絞られ、刃が彼女の胴を狙う。

 太い脚の鋭い踏み込みが床に叩きつけられた。


 その床を、俺は抜いた。


「ひゅ?!」


 間抜けな音が男の口から漏れ出る。


 シーソーのように跳ねた床板が、その黒ずんだ木面で男の顔面を打ち付けた。


 彼女があっけにとられてその光景をみつめた。

 男は床板と抱き合うように倒れ込み、痙攣して動かなくなる。

 床下に消えた利き足がおかしな方向に曲がっていた。


 彼女はこわごわと男に近寄る。

 耳を澄ませ、目を見張って殺人者の様子をうかがう。

 まだ、生きている。


 彼女の体に震えが戻ってきた。窓の外を見、男を見、また窓の外を見る。


 彼女がここから逃げて助かる見込みは無いだろう。

 今だって立っているのがやっとで、顔に血の気がほとんどない。

 そして俺が知る限り、このあたりに逃げ延びれそうな所は無い。


 俺は全身を軋ませた。


『守り』


「……え?」


 彼女が周囲を見渡した。

 俺はもう一度、男の言葉を注意深くなぞる。


『守り』

「精霊、様?」


 彼女がぽつりとつぶやく。

 その時、床の男の呼吸が変わった。目を覚ますのか。


『殺す』

「え…」

『魔女。守り。約束』


 ゆっくりと窓をあける。朝日と微風につられて、彼女が男から視線をうつした。


 床板をもう一枚抜き、男の頭だけを廊下の外に押し出す。

 ドアの感覚が、俺に戻っている。蝶番がぎちぎちと音を立てた。


 俺はそのまま、勢いをつけて寝室のドアを締め切った。


 【終】

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