七夕の夜は河野くんに会いたい
@komugiinu
第1話
1
“校舎内の階段でのスケートボードを禁止する。”
夏休みが明けたら校長が急に言い出した。
オリンピックに感化された俺たちの行動を予測しての発言だろう。
そんなきまりは無かったはずだ。
常識だろうと決めつけて
今更後付けしたって、そんな大人のやり方を
高一の俺たちが納得するはずないだろう。
それも予想しての発言だ。
“我々はきちんと注意喚起をしていたのですが、
生徒たちが言う事を聞かず、勝手にやりました。”
何か事故が起きたとき、
少しでも責任を逃れるための保険だ。
積極的に阻止しようとして、逆ギレでもされたら困る、
だから警告を無視して遊んでいる俺たちを見かけても先生は見て見ぬふりをする。
“救急車呼ぶとお互い後が面倒だから、
無茶はするなよ”
とハマジに注意されたくらいだ。
それが先生たちの本音だろうな。
しかし俺はその“後が面倒”な事をやってしまった。
階段の手摺りをレールに見立てて、二階から勢いよく滑り降りた時、
一階の手摺りの下の端にはカマボコみたいな装飾が付いていることを忘れていた。
スケボーと一緒に、縦に270度回転した俺は、そのまま機材準備室のドアのガラスを突き破って、床に置いてあった放送機材の上に転落した。
(着地が決まればオリンピックだったなあ)
ボーっと薄れる意識の中で、
駆けつけた先生たちが血まみれの俺の頭より、放送マイクの点検を優先したことに腹を立てていた。
ということで入院した。
頭の怪我というのは、容態が急変する事があるので、最初は優遇されるらしい。
ICUを出たあと、
とりあえずナースステーションに一番近い個室を当てがわれた。
入り口のプレートには赤いマークの横に
『河野和博』と書いてある。
和博というのは親父がキヨハラの大ファンだったからつけた名前で
あの事件以来、学校でさんざん揶揄われた。
人を見る目が無かった父親のせいで
俺は野球と自分の名前が大嫌いになった。
2
診察室のディスプレイには、俺の頭を輪切りにした写真がずらっと並んでいた。
(ウォールナッツだ)
どうせ聞いても分からない医者の説明なんか母親が聞けばいいや、
俺は友達の西村のお袋がやっているスナックで食べさせてもらったアメリカ産のデカいクルミのことを思い出していた。
ディスプレイを見て説明していた医者が、急にこっちを向いた。
「そういう事で、脳内には異常無かったから
月曜日から一般病室に移ってもらいます。」
「異常がないのに
俺の髪なんで切っちゃったのよ。」
母親が慌てて遮った。
「頭にいっぱい刺さっていたガラスの破片を
綺麗にしてもらったんだから、
髪の毛は邪魔なの!」
「野球少年みたいでなかなか似合うぞ。」
医者は何気なく言ったんだろうが、
野球大嫌いの俺にはカチンときた。
「せっかく、伸ばして金髪にしたんだ、
元に戻せ!」
「このバカ息子!」
いつもならここで鉄拳が飛んでくる場面だが、
さすがにお袋は自重したようだ。
「失礼な事を言って、本当に申し訳ありません。」
お袋は医者にペコペコ謝ってから
俺の車椅子を押して逃げるように診察室を出た。
俺は頭の他にも、足首と鎖骨とやらを折っていた。
片手片足が動かないので、日常生活は誰かに頼らなければならない
周囲のものに見捨てられたら死活問題なのだ。
自分が四六時中、くっ着いているわけにもいかないので、
お袋はなんとか俺の評判を地に落とさないよう
まわり中に頭を下げまくっていた。
3
俺と母親の声が外まで漏れていたのだろう。
診察室から出てくるとクスクスと笑う声が聞こえた。
「笑うんじゃねえや!」
そう言うと
一番最初に目についたガキのドジャースの帽子のつばを思い切り叩いて床に落とした。
帽子の下は坊主頭で俺と同じく黒いネットを被っている。
「チッ、おまえも野球少年か。」
この時、何故かお袋は飛び上がって驚き
「ごめんないね、ごめんなさいね、」
と言ってその子に帽子を拾って渡した。
逃げ込むように病室に帰ってくると
俺に怒鳴った。
「和博! この馬鹿!
女の子になんて事するの!」
えっ、あれ?
あ、そういえば院内着がサーモンピンクだったようなー
じゃああの頭は、
あ、
もしかしたら俺は酷い事をしてしまったのかも知れない。
今更気づいても遅いよなぁ。
4
「絶対に他の人に迷惑かけるんじゃないよ。」
お袋はそう言い残して帰って行った。
土曜日の昼過ぎは面会の人で、
入院病棟もザワザワしている。
俺はふとトイレに行きたくなった。
体調が悪くなったんじゃなくて、
これは生理現象だが、ナースコールを押しても“迷惑”にはならないのかな?
ベッドの横に車椅子が置いてある。
動かせる右手と右足でズリズリとベッドの淵に寄って、上半身を起こすと、右足だけで車椅子に乗り移った。
(なんだお袋の言うように、誰にも迷惑をかけなくてもいけるじゃないか。)
右手だけで動かした車椅子は何故かすぐに左に旋回して、見当違いの方向を向いてしまった。
横向きになった車椅子をバックさせ、何度も切り替えしをしてドアの方向に向かせた。
そしてもう一度進もうとしたらまたすぐに左を向いた。
くっそー
捻くれた車椅子め、
俺は屈しないぞ。
数歩で行けるはずの、出口が遠く感じる。
ドアにたどり着いた時には右手の握力を使い果たしてヘトヘトになっていた。
このままトイレまで、ずっとこの不毛なスイッチバックを繰り返すのか?
ドアに手をかけた時ふと思い立った。
(右足は元気じゃん。
車椅子を支えにして片足でケンケンして行けばいいんだ。)
名案だと思ったが
俺は自分で信じていたより頭が悪かった。
背もたれのハンドルに体重を掛けられた車椅子は、前輪を高く上げてウィリーして、
そのままバック転して俺に襲いかかってきた。
下敷きにされた俺は身動きが取れなくなって、
「助けてくれ」
と言ったが、廊下はザワザワしていて誰も気づいてくれない。
「どうしたんですか?」
少し開いていたドアから覗き込んだ顔があった。
ドジャースの帽子だ。
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