正縁信治

第1話 折伏された

平成元年の初夏、ある土曜日のことだ。


その時、僕は関東にある大学の1年生だった。


僕は学生寮の食堂で夕飯を食べ終え、自室に向かう長い廊下をのんびりと歩いていた。


僕は食後でお腹いっぱいだったからか、すっかり油断していたのかもしれない。


僕の自室は2階にあり、そこへ向かう階段の入り口に鈴木君が立っていたはずだ。


しかし、向かい合う寸前になるまで、僕は鈴木君に気がつかなかった。


僕の体調も万全ではなかったのかもしれない。


鈴木と正縁、同じサ行なので、大学の授業などでも話す機会が多く、僕と鈴木君はいくぶん仲が良くなっていた。


僕が大柄で鈴木君は小柄なので、周囲の学生達にも、良いコンビだ、と思われていたかもしれない。


そんな仲なのに、鈴木君はちょっと緊張した声で


「俺の部屋に来ないか?話があるんだ」


と、僕をこわごわと誘ってきた。


その口調では、誰でも、普通、断る。


だが僕はなぜか


「ああ、いいよ」


と、自分の意思とは違う返事をした。


そして、自分の部屋に向かって歩き始めた鈴木君の後に続いて、僕も彼の部屋へ向かった。


僕は何故鈴木君の誘いを断らなかったのか、自分でも全く分からない。


僕が後になって思えば、僕と鈴木君の間には何かの縁があったのかもしれない。


僕達が鈴木君の狭い部屋に入ると、僕達より2~3歳くらい年上で、僕から見てもややイケメンな男性が2人、鈴木君のベッドに並んで座っていた。


2人はスックリ立ち上がり


「創価学会、学生部、部長の高橋です」


「副部長の田中です」


と2人は、きちんとした挨拶をした。


それから4人で2時間以上いろいろなことを話したが、なにせ30年以上も昔のことなので、何を話したのか、今の僕はよく覚えていない。


とにかく次の日、日曜の午後、僕達4人は学生寮から車で10分ほどのところにある、日蓮正宗のお寺に行くことに話は決まった。


僕がある病気で苦しんでいたこと、そして、創価学会の初歩的な教え(十界論など)に僕が興味を示したこと、等が決め手になったのだ。


話が終わると、4人で題目3唱(南無妙法蓮華経と3回唱える)をした。


その直後、学生部長と僕が少し話をした時


「あれ~!顔色良くなったし、ちゃんと相手の目を見て話せるようになったね!」


と、学生部長は驚きながらも、りりしい笑顔でそう言った。


たった題目3唱、それだけでも不可思議な出来事があるのだ。


翌日、日曜の午後、学生部長が運転する自動車で、僕、鈴木君、学生部長、副部長の4人でお寺に行った。


本堂で長いお経が終わった後、お坊さんが長い棒の先の方を僕の頭にチョンとのせた。


これで僕は創価学会を通じて日蓮正宗の信徒になった。


その後、学生部長が言った。


「これからは鈴木君の部屋で勤行を練習してね。それから座談会にも出席してね」


「はい」


と僕は素直に返事をした。


僕は学生部長をすっかり信頼していた。


その理由は、学生部長の振る舞いにあったのかもしれない。


勤行というのは、法華経の方便品と寿量品を、朝は5回、夕は3回読誦して(2回目以外、寿量品は自我偈のみ)、南無妙法蓮華経を好きな時間(5分でも1時間でも)唱えることだ。


そして、我見(自分だけのかたよった狭い意見・見地)に落ちないように、信者達は座談会にも出席するのだ。


あと、僕の部屋に御本尊様を御安置するための小さな仏壇を、僕は副部長から無料でもらった。


学生部長は


「いいの?」


と副部長に確認したが


「どうせ余ってる仏壇だから」


と、副部長はこともなげに答えた。

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