【グレイシー柔術とプロレス】エッセイ

統失2級

1話完結

昔からプロ格闘技として有名なものにはボクシングやキックボクシング等が存在したが、これらは打撃技限定の格闘技であった為に、プロレスファンはそれほど、ボクシングやキックボクシングを意識していなかった。確かに異種格闘技戦というものは存在したが、それは飽くまでイレギュラー的な存在であった。しかし、1993年にホリオン・グレイシーというブラジル人の柔術家がアルティメット大会という打撃技も投げ技も関節技も認める格闘技団体をアメリカで旗揚げすると、プロレス界隈の日常は一変した。当時のアルティメット大会の試合形式はバーリ・トゥード(VT)と呼ばれており、それはポルトガル語で何でもありという意味で噛み付きと目潰し以外は何でもありという文字通り極めて過酷なルールの試合形式だった。それまでのプロレスファンはボクサーやキックボクサーが最強を名乗っても、「投げ技や関節技が禁止されたルール内での最強だろ。そんなものは真の最強とは言えない。多種多様な技が認められているプロレスこそが、最強を決めるに相応しい格闘技」と反論していた。だが、何でもありのVTルールを採用しているアルティメット大会にはその様な理屈は通用しなかった。プロレスファンはVTを意識せざるを得なくなり、VTとプロレスを比較した。当時のプロレスは最強を標榜していたので、プロレスファンの手前、VTを無視する事も出来ず、プロレスラーたちは否が応でもVTと関わって行く事となる。それは歴史の必然であったとも言えるだろう。その激動の時代にUインターという好戦的なプロレス団体を率いていた高田延彦は紆余曲折がありながらも、ホリオンの弟であるこれもまた柔術家のヒクソンとMMAルールで戦う事になる。MMAとはVTのルールを改良し安全性を高めた試合形式の事だ。場所はPRIDEという格闘技団体のリングであった。しかし、高田はそんな大事な試合で何の見せ場も作れず呆気なく敗北してしまう。プロレスファンは嘆き悲しみ落胆し、とあるプロレス雑誌は試合当日を『プロレスが死んだ日』とセンセーショナルに書き立てた。その状況下で失意の中にあったプロレスファンを絶望の淵から救ったのは、同じくUインターに所属していた桜庭和志という男だった。桜庭はPRIDEのリングで連戦連勝を重ね、プロレスファンの留飲を下げ、プロレスファンの希望の星となっていく。だが、悲しいかなプロレスファンのそんな至福の時間は長続きしなかった。桜庭はヴァンダレイ・シウバというブラジル人ファイターに3連敗し、プロレスファンは奈落の底に突き落とされてしまう。また、当時は桜庭の他にもPRIDEで活躍するプロレスラーは少なくなかったが、彼等も試合を重ねていく内に黒星が目立つ様になり、もうその頃になると、プロレスが最強だと信じるプロレスファンは少数になっていた。また、それから時間が経過した現代ではPRIDEでプロレスラーが活躍した試合には八百長がいくつか含まれていたのではないのかと疑う声も出て来た。高田が2度のヒクソン戦以外のPRIDEの試合で八百長をやったのは確実だが、それ以外のプロレスラーの試合にも八百長が含まれていた可能性は決して低くないというのが、現在の見解の1つとなっている。プロレスという八百長のリングでデビューした者たちは、格闘技団体を標榜するPRIDEのリングでさえも八百長の魔力から逃れられなかったという事なのかも知れない。そして、現在のプロレスは最強を装うという負の呪縛から解き放たれ、完全なるアクション演劇としての地位を確立し、プロレスラーたちは伸び伸びとプロレスのリング上で躍動して格闘技とは距離を置いたパフォーマンスを見せている。現在のプロレスラーたちはプロレスという己の職業に絶大なる誇りを持っており、これはプロレス界の劇的な進化と言えるだろう。そして、最後に高田延彦の事に少し触れるが、最強を名乗りヒクソンと戦うも2度完敗し、ヒクソン戦以外のPRIDEの試合では八百長をやりまくった男の中の男である高田は真剣勝負コンプレックスを爆発させてしまい、当時は敵対していた柔術の軍門に降り、現在は柔術の稽古に汗を流す日々を送っている。2024年にはヒクソン本人が直接、高田に柔術の茶帯を授与するという場面もあった。また、グレイシーハンターとして名を馳せ、当時のプロレスファンを熱狂させていた桜庭和志もその後はクインテットというノーギ柔術に没頭している。ノーギ柔術とは道着の代わりにTシャツを着て戦う柔術の事だ。つまり、プロレス界で必死になって世界最強という言葉を喧伝し、自分たちから先にグレイシー柔術に喧嘩を売って行ったUインターと柔術の対立は柔術側の完全勝利という結末を迎えた事になる。これは「正義は必ず勝つ」という言葉を証明する非常に素晴らしいハッピーエンドだと言えるだろう。現在のアルティメット大会(UFC)の運営からホリオンは離れてしまったが、アルティメット大会を旗揚げしたという彼の功績は決して色褪せるものではない。そして、この記事の最後はこの一文で締め括りたい。ブラジリアン柔術を世界中に普及させたグレイシー一族とブラジリアン柔術に栄光と繁栄あれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【グレイシー柔術とプロレス】エッセイ 統失2級 @toto4929

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画