3-5
「
廊下に突っ立っていた四十半ばの男性が、崩れ落ちて膝をつく。その目に――彼だけではなく、部屋中の全員の目に映るのは、起きあがる少女。
袋の中から、少女は上体を起こす。まばたきをするまぶたの長いまつげ、やや奥二重のつぶらな瞳、虹彩を隠す栗毛色の前髪、髪の毛は全体的に色素が薄い。頬はふっくらとして赤みがかり、桃の柔らかさと甘さを彷彿とさせた。なめらかな肌の質感が、頬から首、鎖骨から肩から胸にまで至る。
両手を観察していた少女は気づいたように胸を手で隠し、はっと私に振り向いた。この現場における、唯一、彼女と同じ性を持つ私に。
「……秘書さん?」
「辞職して、今は受付嬢です」
言いながら、彼女の足下にめくられたままだった毛布を一枚つかんで引き上げる。彼女は胸元を隠しながら、情事後の恋人のようなとろけた視線を送ってくる。
「あれ、わたし……ねえ、なんか変? なんにも覚えてないんだけど」
「たぶん、そのまま忘れた方が幸せですよ」
首を傾げる少女の仕草の愛らしさ。技師の技量が微に入り細を穿った結果、それは見る者すべてを魅了する。
膝をついていた男性が、私とは違って軽快に這いつくばりながらやってくる。壮年の男性が落涙する羞恥心などみじんも持ち合わせていない。
そうなるものなのだろう。男が父親になるというのは、そういうことなのだろう。
「未散、その体、分かるか、お前、違うのが、分かるか」
おそるおそる布団の中をのぞく少女は、ようやく異変に気づいたようだ。
「これって」
少女が感嘆の声をあげようと、まぶたを強く持ち上げる。
そのときだった。
「未散!」
金切り声が廊下から響いてきた。情緒を乱した女性特有の甲高い悲鳴に、思わず顔を向けてしまう。
社長の奥さまは、わなわなと震えながら、ずっしりとした足取りで部屋に入ってくる。夫を突き飛ばし、娘が握っていた毛布を奪ってその体を凝視した。そしてまた、ひときわ大きな悲鳴をあげた。
「誰、誰がこの体を作ったの、誰よ!」
面倒事に巻き込まれるなんてごめんとばかりに、ジーンは兄の背中に姿を隠した。つがるも完全に無視し、部屋の隅っこで息を潜めている。そんな兄弟に気づくことなく、奥さまは息を荒らげながら周囲をうかがう。まるで自らが怪我をした手負いの獣のようである。
「どうして未散をこんな体にしたの」
「どうしてって君も分かっているはずだろう」
「分かっているからどうしてこんなことをしたのかって聞いているんじゃないのよ!」
夫の襟首をつかんで絞め殺そうという奥さまを見て、私は奥さまの肩をつかんで押さえにかかる。わずかに冷静を取り戻した彼女は、私の顔を見て、全身を眺めてから顔に視線を戻してくる。
「お久しぶりです、奥さま」
「ええ、久しいわね。……久しいってことは、あなたは分かっているはずよね。そうよね。未散がこうじゃないってこと、あなたは分かっているわよね」
うなずく私に、奥さまはひとまず満足し、改めて冷静さを取り戻した。
部屋の隅からこんこんと呼びかけがあった。タブレット端末をたたくつがるだった。
「こうじゃないってなんだ、嬢。ジーンが注文を間違えたってでもいうのか」
「ううん、そうじゃない」
ジーンは、社長からの要望をすべて聞き入れた。社長は子の持つ特徴をすべて技師に伝え、完全に再現するように頼んだだろう。事故現場に残されていた、炭化した遺体から細胞まで取り出してジーンに譲渡までして。仕事には忠実である与識先生の血を継ぐジーンが、いくら怠惰な性分とはいえ、そこに手抜きを犯す理由は何もない。
手抜きではなく、あえて必要があって抜いたというべきだ。
「ジーンは間違えてない」
「じゃあなんだ」
その続きを発言してもいいだろうか。迷い、社長をうかがった。深くうなだれるその姿は一世一代の取引で経営に失敗したようであり、自らの保険金で会社を立て直そうと自殺を決意したようでもある。そう、決意がある。社長の姿に、後悔の二文字は見当たらない。
これでよかったのだ。私も今、ようやくそう思えた。
つがるの脇から顔をのぞかせるジーンとも目を合わせて、口を開いた。
「この子は未散さん。社長と奥さまの大事な一人息子よ」
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