10

 病院を一歩出れば、夕暮れも過ぎた薄墨色の空だった。心人さんとはここで別れるから、仕事を抜け出して来てくれたことにお礼を言っておく。この人の仕事はガードマンで、いわゆるボディーガード。つまり守らなければならない人がいるわけで、護衛対象者から目を離してしまってよかったのか、無関係だが不安なところだ。


「平気平気。今は水守みなものところにいるだけだから」


 それこそ大手代行業者の取締役をしている男で、私もよく知っている。大手なだけあって、代行業として雇う社員の種類も幅広い。福利厚生もばっちりの優良企業だ。


「また何かあったら、愛理が俺を呼んでくれてもかまわないんだよ」


 気軽に、心人さんは声をかけてくれる。いつもそう。ありがたいのに、私はいつもこう。


「まだ、あんまり人を頼るのが慣れないの」


 人を頼るとか、得意じゃない。なんでも自分でできて当然、ができてこその卒業と同時の結婚と就職。それが私の通っていた夜光やこう学園鉄の掟で、主席卒業生が魔女と呼ばれるゆえんだ。

 だから、そう。頼ってもらえないさみしさなのかなんなのか、私には分からないんだから、そんな顔しないで。さみしいなら、いつでもあの家に帰ってきていいのに。だってあなた、あの人の長男じゃない。


「それじゃあ、俺の身内によろしく」


 片手をあげて去る背中を雑踏に見送って、また会えるように心で祈り、私も駐車場に向かう。真っ赤なレクサスを走らせて、おおよそ街の反対側に位置する最上医院へと戻った。

 さて、診察終了のプレートを今日は下げっぱなしにしてある玄関扉を押し開く。消毒のにおいは慣れきった鼻でも、外から帰ればまた新鮮なにおいに感じられる。

 ソファの上でごろ寝をしているつがると、座りっぱなしのままの与識先生。親子二人がそろっていた。


「心人さんも来てくれました。連絡してくれてありがとうございます」

「お前を一人で行かせるのが不安だっただけだ。暇な息子に手当たり次第連絡したんだよ」


 まさしく暇を持て余している息子さんは脇で眠っていらっしゃるけれども、先生なりの気遣いには腰を折って礼を告げる他ない。


「それで、分かったことはあるか」


 園田紗良が、あの病院で受けた診断。受けた処置、手術。子どもを亡くしていること。それらの事実から導き出せる結論にたどり着いたのは、私ではなくて心人さんだから、心人さんの語りをそのまま借りた。


「いいだろう。その話が仮に間違いだとしても、俺はお前じゃなくて息子を責めればいいだけだからな」

「仕事を抜け出してまで来てくれたんですから、心人さんを責めないでください」

「どうせ水守のところにいたんだからいいんだよ。つがる、起きろ。仕事の準備だ」


 うつぶせに眠るという、私だったら胸の圧迫で苦しい体勢で寝姿を見せてくれていたつがるも起きた。鶴の一声よろしく、父の一声に反応しない息子たちではない。外していためがねをかけて、あくびとともに乱れた髪の毛を整える。


「帰ったのか、嬢。全体的に少し女が強調されている気がする、さては心人に会ったな」


 どんな推理だ。


「そういえば、つがるにしてみれば心人さんってお兄さんじゃないの? いっつも呼び捨てるけど」

「誕生日が五分早いだけで兄貴面されても困る」


 それもそうか。心人さんにしてみれば弟はまだ数人いるから、一人くらい気兼ねなく話せる兄弟がいるのもたぶん、いいんだろう。一人っ子の私にはよく理解できないけれど、男兄弟とはかくあるものらしい。


「それで、オレは何をすればいいんだ」


 寝起きでも美筆のつがるの問いに、与識先生の返答は一つ。


呪詛じゅそ返しだ」


 呪詛返しとは字面のごとく、受けた呪いをそのまま返すことを差す。たったそれだけと初めは思ったけれども、受けた呪いの対処法とは限られていて、呪詛返しはその中でもっともポピュラーでもっとも手軽な復讐方法らしい。なんせ自らが受けた呪いを、そっくりそのまま相手に返すのだ。返された方は返された方で、それを防ぐための術をしかけておかない限り甘んじて受け入れるしかない。

 今回の園田永真くんの場合、呪いをかけた本人は呪いをかけた意識はなかった。つまり素人。そんな素人がまさか呪詛返しを想定して術を用意しているなんてことはありえないから、つがるの呪詛返しは確実に効く。

 ただ、つがるがそれを行う前に、与識先生と私から夫妻に向けて話があった。


「香山総合病院の婦人科で話を聞いてきました」


 夫妻のどちらかが息を飲んだ。もしかすると両方かもしれない。二人の子どもである永真くんを寝かせたベッドをあいだに、私と先生とつがる、向かい側に夫妻を迎えている。正面きって話すにしても、二人の視線は依然として息子に向かっていて、それを悪いとはいわないけれど、真意を読みとれないようにしているとしか思えなくなる。


「婦人科で、聞いてきました。紗良さん、ご病気で、子宮移植をなさったそうですね」


 息子に注いでいた視線を、いったんまぶたを伏せることで断ち切って、私へと向けてくれた。「それが、この子の異常と関係あるんですか」


「本当なら、何も関係ないはずでした。でも病院で聞きました。息子さん、本当はもう亡くなっているんですよね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る