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「何それ、スタッフ専用とかじゃなくて? 都市伝説?」


 心人さんはおもしろおかしく笑う。病院側はその扉を秘匿扱いしていない。むしろサイトには詳しく記載している。不妊治療目的でこの病院に訪ねる人の目には、入ることのない文字列なのだろう。


「子どもをね、置いていく場所があるの」


 ロッカールームに似た扉を外から開き、赤ちゃんを入れて扉を閉める。もちろん監視カメラは設置されているが、子どもを手放すほどの決断をした女性を責めるためではなくて、ただ、赤ちゃんが預けられたことを看護師たちに伝えなければならないため。その扉は次に病院の内側から開いて、看護師たちが赤ちゃんを迎え入れる。

 不妊治療をしてでもわが子が欲しいと願う人たちには決して見えない、子どもを手放すための扉がこの病院にはあった。


「へえ、捨てる神あれば拾う神ありってことか」

「拾う神もそんなにいないみたいだけど」


 どうしても、ということになるのだろうか。人も生物である以上、どうしても自分の遺伝子を後世に残したいと考える。するとどんな手を使っても、どうあがいても、自分の遺伝子を継いだ子どもが欲しくなる。そういった人の目には、他人が手放していった子どもの存在は目に入らないのか。それとも、血のつながった親にさえ捨てられた子どもなんて、存在価値がないとさえ思っているのか。


「養育認定を持っていないと妊娠した子どもも奪われるし、合格するまでわが子とはいえ接触禁止令を出されちゃうでしょう。反したら罰金まで取られるし。だから罰されるくらいなら、捨てちゃえってことになるみたいなのよね」

「分からなくもないけど、両親のどっちかが養育認定合格していれば奪われるには至らないんじゃなかったかな」

「両親のどっちかが持っていればいいし、そもそも両親なんて存在がいればいいわね」


 養育認定には授かれる子の人数にも制限もある。収入が少ないのに子どもが増えれば、その子どもがおかれる生活環境は過酷を極める。だから養育認定で定められた人数以上の子どもを授かってしまったとき、あまりの子どもがここに連れてこられる。


「種をまくだけで放っておくような存在が無数にいることは、そっちの方が知っているでしょうけど」

「まかれる土壌ばかりが責任を負わされる世の中にした神様はもっとも罪深いね」


 興味本位とはいえ、心人さんがその第三の扉を見てみたいという。通常玄関になっている産科系列の受付とは正反対の場所に位置するそこまで、抜き足差し足の私を見る心人さんの目が怪しい。無理もない、はたから見れば挙動不審がありありだ。


「なんでそこまでするのさ」

「不妊治療をしている人って、焦りもあってヒステリックな人も多いの。ポストの存在を知っていたら、そこに向かう看護師を見かけて、赤ちゃんを捨てる親だと思って殴りかかる人もいなくないの」


 院内での騒動を静めるのも秘書の仕事だったから、何かあればすぐに呼び出される。朝から病院中を駆けまわって各所の沈静化に励んだ日々はなつかしい。


「さっきの子が今そんな仕事をしているのか。あの子の手に負えなさそうだ」

「私なら手に負えるって言いたげじゃない」

「俺の父親とうまくやれているんだ。それならその辺の患者の後始末くらい余裕だろう」


 この人は自分の父親をなんだと思っているんだろう。肩の力が抜けるわ。

 受付と緊急外来は、長方形の建物の短い辺に位置している。その反対側の短辺に第三の扉がある。五十センチ四方の正方形の箱を二つ重ね、横にはそれが五つ連なる。最大で十人の赤ちゃんを預かれる。全部が埋まったことはさすがにないけれど、多いときには一日で三人の赤ちゃんが入っていたこともあったから、遠くない未来、満席状態で赤ちゃんを預けられない親が出てくることも考えられる。


「人の目はまったくないんだね」

「当然よ。見つかったら何を言われるか分かったものじゃないでしょう」


 産科系列の建物の裏側にあるのは、病院が見栄えと緑化のために植樹した木々だけだ。人の足跡もつかないような緑の地面で、赤ちゃんポストのすぐそばにある窓もカーテンは常に締め切り。念には念を入れて気を配っているから、赤ちゃんを預けるという名目で捨てていく親への精神的負担はなるだけ与えないようになっていた。


「一度ね、赤ちゃんを箱から引き取ろうとして扉を開いたら、向こうの扉も開いたの。捨てたはずの親と対面したことがあったのよ」

「引き取ろうって、それも愛理の仕事だったのか」

「この大病院の秘書の仕事は多岐に渡るのよ」卒業した学校柄というのもあるが。「先生たちも忙しいから、ある程度のところは私がこの目で直接見て判断するの。ポストに入れられた赤ちゃんを引き取るかどうかもね」

「それで、母親と対面して、どうしたっていうんだ」

「一度捨てる決断をした母親がちょっと考え直して、後ろ髪を引かれる思いで引き返してやっぱり自分で育てるって決めたんでしょうけど、甘い考えじゃない。貧困家庭での育児放棄か虐待か、最悪の未来が待っていないとも限らないから。だから一度赤ちゃんをこっちで受け取ってから話をしようと思ってポストの赤ちゃんに手を出したら、ものすごい勢いで赤ちゃんが奪われたの」

「母強しだな」

「すぐ外に飛び出して、逃げる母親も追いかけた。産後の体はボロボロで、すぐ転んだんだけど、転んだら転んだで泣き出すわ、謝るわ、手当てしてあげるから病院にいらっしゃいって言っても、絶対に入らない入ったらこの子取るんでしょそんなのイヤ絶対にイヤわたしが育てる絶対に立派に幸せにするから見逃してってわめいてくるの」


 あきれも交じえつつ、心人さんは笑った。「よく一言一句覚えているね」

「だってあんまりにも必死だったんだもの」


 なんとか慰めて、せめて転んだときの膝の手当てとか、鼻血とか、そんなことの処置だけでもしようと声をかけて院内に招いた。

 その母親は養育認定を持っていなくて、けれど子どもの父親にあたる男性が養育認定の保持者だった。そのために妊娠出産を認められていたのに、いざ子どもが生まれてみたら男は逃げた。連絡もつかない。出生届には養育認定保持者の署名も必要なのに、これでは書類の提出も出来やしない。かといって未提出では無戸籍になってしまう。しかし自分は養育認定を持っていないので、提出すれば赤ちゃんを取られてしまう。

 取られるくらいならせめて、養育認定取得後に自分が確実に引き取りに行けるような場所で過ごしてもらいたい。そう考えて、苦渋の決断の末に愛しいわが子の手を離した。


「で、養育認定を持っていないならその母親はどちらにしろ子どもと離ればなれになるんじゃないのか。どうしたんだ」

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