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「いつまでもそこに突っ立っているようなら、不審者として警察に通報しますよ」
診察棟の外来受付入り口前で、長いことたたずんでいた私はそんなに怪しいか。うちみたいな個人病院なら迷惑かもしれないけれど、大病院ならそんなことはないんじゃないか。なんて思いつつも、地域医療を一手に担う香山総合病院でテロなんて起きたら受け入れ場所がほかにはないのだから、やはり不審者に対するセンサーが他より厳しい。
以前の私と同じ、病院秘書が持つ危機対策センサーともなればなおのこと。
「古巣に顔を出すなんてどうなさったんですか」
「今の職場で少し困ったことがあったから、その患者さんが通っていた病院に話を聞きに来ただけです」
スカートスーツをシンプルに着こなした格好は、以前の私とまったく同じ。学校でそうしつけられてきたのだから当然といえば当然でも、アイラインをぬるりと引ききった彼女の目つきの悪さは迫力があった。白衣の天使の群れに小悪魔がいる、くらいの勢い。
「よく来られましたね、そんな理由で」
「患者さんの一大事をそんな理由扱いするのはよくないですよ」
「身内である夫を殺しておいて、見ず知らずの他人の患者の心配はするんですか」
挑発には乗らない、落ち着け私。威嚇に乗ったらバカを見る。小心者の遠吠えに、何もおびえる必要なんてない。
だって事実だから。嘘をつく余裕すらない。
過去にあった事実を述べられたところで、私は何も言い返してはいけない。
「魔女と名高かったあなたが、どうしてそんな風になってしまったんですか」
「そんな風とは失礼じゃない。私これでも、あなたの母校の先輩なのに」
「だからですよ」その子は唇をぎゅっと引き締めて、言葉をつなげた。気のせいか、とても悲し気に。「魔女ともなれば、夫が死んだのならば心中すべきだったはずでしょう」
「そんなことはない」
どうか、この声ばかりはどうか、私の気のせいじゃなければいい。
振り返って、確認させて。父譲りで背の高い、見知ったその男の顔が見たい。
「
「夫が死んだら心中しなければならないのなら、どうして愛理が夫を殺す必要がある。死にたいのなら一人で死ねばいいのに、どうして結婚した相手を巻き込んでまで死ぬ必要がある。現に愛理は生きている。愛理は死にたくなかったんだ。それならどうして、愛理が夫を殺さなければならないっていうんだ」
逆光を浴びるその容姿は、どことなく父親に似ている。そう評すれば、親子はともに強く否定する。なぜって、それこそ似ている親子だから。
「愛理、いい加減に君も誤解は誤解と声をあげるべきだ。そうしないから、慕ってくれていた後輩を泣かすような目に遭わせるんだ」
「別に泣かせてなんかない」
「前を向くといい」
言われるがままに従ったとは決して認めない。ただ太陽が眩しかったから、光から目を背けて、今現在この病院の秘書をしている彼女に向き直った。それだけ。
その子のアイラインは溶けていた。袖で思い切り左右に拭ってしまえば、パンダメイクにウサギさんみたいな真っ赤な目へと変貌を遂げる。
「泣いていたわけじゃないですから、こっちだって」
「強がるのは君らの学校の校則なのか」
父親は白衣のおかげで白が印象強いけれど、この人は真逆といっていい。赤いシャツに上下黒スーツで決め込んでいるから、どんなに良く表現しても悪目立ちとしか言えない。それも職業柄意図的だ。こんな派手な格好で、なんの用事もなしにこの人が病院に来るわけはない。しかも私とタイミングを合わせてまで来る可能性なんてゼロに等しい。
「お父さんに言われて来たの? それとも弟?」
「愛理に会いに来たんだよ」
見上げるほどに大きなこの男を、いつか一度でいいから平手で殴らせてほしい。その減らず口も嫌いじゃないんだけど、久しぶりの再会で何を言うのか。
「用件は婦人科医だったか。ここは婦人科と泌尿器だけはバカみたいにでかいんだっけ、専用病棟まで案内してくれないか」
現在の秘書ではなく、この病院の元秘書に対して心人さんは願った。いつまでも立ち話に興じていたら、本当に警備員がやってきて立ち入り制限が言い渡される。
私が心人さんとともにきびすを返したところで、背後から大声が飛んできた。
「あなたは魔女として表彰されるほどだったのにどうしてそんなふうに!」
立派な遠吠えが聞こえてきた。私が後に残してきたた仕事はすべて、彼女が請け負ってくれる確信が持てるほどの。
香山グループが特に重んじている診療科目は、どんな人でもすべて平等に親になる機会が与えられているという理念の下に存在する、産科系列の婦人科と泌尿器科及び小児科である。あいにく今の政府の方針では、養育認定に合格しないと親になれないという厳しい査定がついているのでその理念は通用しない点も多い。それでも、それさえ手に入れればどんな人でも親になれる。
なれるはずなのに、体の不調、相性、その他の要因で親になれない人々は存在する。そうした人たちの声を聞き入れるべく、国内でも最先端の不妊治療技術を持ち、全国から有数の婦人科医や研究者を集めて研究に精を出すことで、香山総合病院は名声を得ていた。
どれくらいその科目に力を入れているかを説明すれば、診察病棟も入院病棟も、外科内科から眼科呼吸器科と様々な診察科目が押し込められているのに、産科系列というだけで巨大な建物を診察から入院、病理検査まですべてに対応可能な造りになっているほどだ。
実はその病棟。緊急外来入り口と通常出入り口とは別の場所に、もう一つ、見えない扉がある。
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