空の壁― 彼が辿り着いた先に、宇宙の真実があった ―

御幸 塁

空の果てに…

シェルは惑星ナーヴに生まれた物理学者だった。ナーヴは、暗黒の空に数千の光が瞬く美しい世界。恒星、惑星、衛星、小天体、それらすべてがこの宇宙に意味を与えていた。


人々は信じて疑わなかった。空は無限であり、広がる宇宙には終わりなど存在しないと。


だが、シェルは違った。


「この空の果てには、境界があるかもしれない」


彼のこの仮説は、ナーヴの学会で嘲笑された。宇宙に“端”がある? 壁でもあるというのか? だがシェルは執念深く観測を続けた。重力波の歪み、光粒子の不自然な反射、時空の微妙なねじれ……全てが彼に“何かがある”と訴えかけていた。


そして、たった一人で旅立つ決意を固めた。


ナーヴの重力を振り切るための推進装置、自己修復機能を持つ外装、数千日分の生命維持機構。それらすべてを詰め込んだ宇宙船ラグナは、シェルの生涯の結晶だった。


「我々の空の向こう側を見に行く」


その言葉を残し、彼は宇宙へ飛び立った。



---


《ラグナ》は、ナーヴを後にして次々と星々を追い越した。数百、数千の小天体。どれも直径が数キロにも満たず、まるで水槽の中を漂う泡のようだった。それらは互いに無関係に浮かび、重力の法則に従って整然と配列されていた。


やがて、空間そのものが曲がっているような錯覚に陥る。彼の時間感覚は次第に崩壊していった。1日、10日、100日……そして1129日目のことだった。


《ラグナ》の前方に、異常な反射が現れた。


最初はセンサーの誤作動かと思った。だが、進めば進むほど、その異物は明確に姿を表した。それはどこまでも続く、光を吸収しきれず反射する“平面”だった。


「これは……何だ……?」


急減速。進路変更。上昇、下降、旋回。どんな方法で接近しても、その構造体は常に彼の正面にあった。距離は縮まらず、まるで空間自体が彼を欺いているかのようだった。


「いや、まさか……壁?」


その言葉を口にした瞬間、背筋が凍った。


シェルは目を見開いた。冷や汗が額を流れる。動悸が激しくなる。

光速で旅してきた先に、“終わり”が存在する。宇宙には、果てがある。

その事実が、彼の全存在を揺さぶった。


「空が……閉じている……?」


目の前に広がるのは、完璧なまでに滑らかで巨大な“面”だった。漆黒の光沢。微かな脈動。触れようとしても、圧倒的な距離感が彼を拒絶する。シェルは、どうしても信じることができなかった。


「これが……宇宙の果てなのか?」


だが、現実は容赦なかった。探査ドローンを飛ばすと、その機体は壁に触れた瞬間、粉々に砕けた。音もなく、まるで存在を拒絶されたかのように。


彼は震える手で記録装置を起動した。


「これは、ただの障壁じゃない……構造体だ。何かの“内壁”だ。内側から見た球体の裏打ち構造のような……まさか……」


絶望と興奮が混ざり合う。


「この宇宙は……球体の“内側”なのか?」


頭の中で仮説が組み上がっていく。自分たちが宇宙と思っていた空間は、より巨大な構造物の一部であり、星々はその内部に浮かぶミクロな存在だった。

ナーヴの空の正体、それは“内界”だったのだ。


シェルは喉の奥から震える笑いを漏らした。


「……私たちは……地底の住人だった……?」


《ラグナ》の観測カメラが、遠方にもう一つの球体を捉えた。こちらの数十倍もある発光体。恒星に見えるそれは、まるで別の“太陽”のようだった。だが、もしそれもこの構造体の内部に存在するのだとしたら?


「無限に続く……入れ子構造……」


宇宙は、球体の内側に球体が連なり、さらにその中にまた宇宙がある。そんな途方もない構造が、彼の脳内に浮かび上がる。地球の内部に宇宙があり、その宇宙の中に惑星が浮かび、その惑星の内側にまた宇宙がある……。


「“外”など、最初からなかったのかもしれない……」


シェルは通信記録を残した。自らの発見と仮説、そしてナーヴの科学者たちへのメッセージ。それは警告ではなく、祈りのようなものだった。


> 私たちの宇宙は、内側にある。

私たちは、地底の空を見上げていた。

この果てにある“壁”は、別の世界の“地殻”なのかもしれない。

そして、地上に輝く星々もまた、別の“内側”の存在ではないか。

宇宙の果ては、次の内界への入口かもしれない。





---


その後、《ラグナ》からの信号は途絶えた。シェルが生きているのか、壁の向こうに何かを見たのか、それは誰にも分からなかった。


だが、彼の残したデータはナーヴ社会に激震をもたらした。

空の向こうに、終わりがあった。

それは絶望ではなく、始まりだった。


そして、誰もが問うようになった。


この宇宙の本当の姿とは、いったい何なのか?

“外”とは、本当に存在するのか?

あるいはこの世界そのものが、誰か別の存在の“内側”なのではないか?


――宇宙の果ては、足元にあったのかもしれない。



---完

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