第2話
王都を追放されて、三日が経った。
目指すは西方、自由と芸術と美食の国――ルベルナ共和国。セラフィーナとミミちゃんの珍道中が、いま静かに(派手に)始まっていた。
早朝、草露に濡れた野道を歩く二人。辺りには誰の気配もなく、ただ遠くで鳥のさえずりが聞こえている。
ミミちゃん──レヴィアタン・グラシャ=マルド=ヴァル=ディアヴォラの姿は、どこまでも目立つ。
ハイヒールの音をカツカツと響かせながら、エクステの巻き髪をなびかせ、ひらりとスーツの裾を翻す様は、まるで舞台の女王のようだった。日光を反射するピンクのスーツが朝露のなかで煌めいている。
(……か、格好いい……)
思わずセラフィーナが見とれていると、ミミちゃんが振り返ってウィンクを飛ばしてきた。
「フィーナちゃん、どうしたの? 朝からそんなに見つめちゃって〜? 照れるわねぇ〜ン♪」
「ち、違っ……ちがっ……! 見てたのは、えっと、あの、スーツの裾です! ほつれてないかなって!」
「うふふ、そーいうトコも可愛いのよねぇ〜〜っ」
ミミちゃんの高笑いが森にこだまする。その声にびっくりして飛び立った鳥たちが、遠くへ舞い上がっていった。
赤くなった顔を隠すように、セラフィーナは彼の前を歩き出す。ふぅ、とセラフィーナは一つため息をついた。
そんな彼女の揺れる髪を、ミミちゃんはうっとりと見下ろす。
(……かわいいわぁ……ほんっと、可愛い……)
金の光を含むセラフィーナの髪、澄んだアメジストの瞳、真珠のような肌――
完璧な天使のような容姿なのに、中身はちょっと抜けてて素朴で、柔らかい頬を目一杯膨らませてプンプン怒るところがまた愛おしい。
ミミちゃんは内心、三日連続で“フィーナちゃんマジ天使。天使なんかと比較するのが間違い。とりま今度天使しばこう”と呟いている。
ちなみにこの三日間で魔物に遭遇したのは、七回。
そのうち六回はミミちゃんが「んもー、ちょっと静かにしてなさいッ!」とキラキラネイルを気にしながらデコピン一発で撃退し、残り一回はセラフィーナが泣きながら鍋を振って「ご飯の時くらい静かにしてください!」と怒鳴ったら逃げていった。
得手不得手は、はっきりしている。
ミミちゃんは、流石は大悪魔と言うべきか。
戦闘も魔術も地理も天文学も博識で、旅の知識も豊富。
だが、料理、洗濯、火起こし、水の確保など、生活スキルに関しては壊滅的だった。
昨夜も、火をおこすと称して火球魔法を放ち、焚き火ごと鍋を吹き飛ばしている。
「ええ〜っ!? なんでこの程度の火球で鍋まで飛ぶの!? おっかしいわね〜〜っ!? 耐久値足りないんじゃないの、この鍋!」
「……おお……ごはん……ごはん……」
セラフィーナがしょんぼりと吹き飛んだ黒焦げのお米を拾っていたのは、記憶に新しい。
逆にセラフィーナは、料理、縫い物、薬草の選別、火加減、干し肉の作り方まで心得ており、どんな環境でもきちんと“生活”できてしまう。
だが、魔物が来たら震えて隠れるしかないし、地図の読み方がわからないし、馬車の料金すら計算できない。
この旅が成立しているのは、ふたりが真逆のスペックだからこそだった。
水源が見つからない時は、ミミちゃんが空気中の水分を凝縮して作り出したり、霧を巻き上げて地面から真水を抽出したりと、妙に海っぽい魔法で解決してくれた。
極め付けは何処からともなく、自在に“魚介類を召喚できる”魔法だ。
これにはセラフィーナも、ミミちゃんに土下座して感謝しまくった。敵である悪魔であれ、食事を恵んでくれる者は等しく崇拝されるべきだと、セラフィーナは思っている。
セラフィーナは“リヴァイアサン”という悪魔が何なのか、全く知らない。
ただ一つわかっていること、それは――。
「ははー! ミミちゃん様ー!」
「おほほ! もっと褒めてチョ〜ダイッ!」
今日もミミちゃんの魔法で、ぴちぴちの魚が空から降ってきて、セラフィーナの夕飯が確保されたということだった。
***
その日の午後、ふたりは海沿いの小さな村にたどり着いた。
波の音が静かに響く、美しい入り江の村。しかし、村の空気は張り詰めていた。
何やら騒がしい。
「く、クラーケンが出た!」
「嘘だろう、今年でもう三回目だ……!」
「生贄を所望しているらしい……!」
「この村はもう終わりだ!」
あちこちから、そんな悲鳴や嘆きの声が聞こえてくる。
セラフィーナはぐっと拳を握った。
「ミミちゃん……人々が困っています! ここは私たちがなんとかしなきゃ!」
「ええ〜? またご飯も食べてないのにぃ〜」
「聖女として、人々を救わなければ!」
そう言って真っすぐに前を向くセラフィーナに、ミミちゃんは一瞬、不思議そうな顔をした。
「……なんで他人のために戦うの?」
セラフィーナは、息を呑んだ。
「困っている人がいれば、助けなきゃ……」
「だから、何で? そもそもまだ“王国”の中なのよ? 追放されてるんだし、関係ないでしょ? それにフィーナちゃんのためなら喜んで戦うけど、他の人間なんてどうでもいいもの」
「で、でも……ッ!」
セラフィーナが言い返そうとした瞬間、ミミちゃんはふっと笑って、顎をすっと寄せた。
「……どうしてもって言うなら、ちゃんと契約して? 代価は“言葉”がいいわ。“助けて、ミミちゃん”。 ね、カンタンでしょ」
「“助けて、ミミちゃん”! お願いします!」
セラフィーナの即答に、ミミちゃんは一瞬目を見開き、それから顔を覆うようにしてくねくねと身をよじった。
「ムード〜〜〜〜〜〜ッ!!! でもそう言うとこも、好きぃ〜〜〜〜〜!!!!」
ご機嫌な彼は、くるりとターンしてスーツの裾をひらりと翻した。
「──大いなる海より現れし、深きものどもよ。アタシのフィーナちゃんに手を出したら……その足、ぜーんぶ結んでほどけなくしてやるからね?」
指を鳴らすと同時に、空気が変わった。
しん、と静まり返る浜辺の向こうから、ぶくり、と巨大な水泡が浮かび上がる。
それはまるで、海そのものが呼吸しているかのような、禍々しくも静謐なうねり。
その中央に、黒々とした触手が現れた。
「──クラーケン、だって?」
ミミちゃんは血を這うような声で、にっこりと笑った。
「お魚さんは、“今は”呼んでないわよぉ〜?」
次の瞬間、海が爆ぜた。
何十メートルもの水柱が天へと駆け上がり、その中から現れたのは、まさしく村人たちの恐怖の象徴――巨大な海魔・クラーケンだった。
「ひっ……あれが……」
「本当に……いたんだ……っ!」
村人たちが口々にうろたえるなか、ミミちゃんは悠然とハイヒールで波打ち際を歩いていく。
その手には、いつの間にか潮色の魔力が螺旋を描いて集まっていた。
「──まずは、足。多すぎるわね?」
一振り。海面が凍てつき、触手が十本まとめて氷漬けになった。
二振り。氷がひび割れたと思った瞬間、内側から“何か”が弾ける音がして、触手が爆ぜた。
三振り目は、なかった。
すでにクラーケンは片身を失い、慌てて海へと逃げようとする。
そこで、ミミちゃんがにっこりと笑った。
「逃がすわけ、ないじゃな〜い?」
空が、裂けた。
真っ青な海とは対照的な、闇のような海水が空から降り注ぎ、それに包まれるようにして、クラーケンの巨体はずぶり、と消えていった。
「────終了ッ☆」
ぱちん、と指を鳴らして、ターン。髪を揺らして振り返るミミちゃん。
その姿を見て、村人たちはしばし黙り込んだ。
「え……えげつな……」
「い、今のって魔法……?」
「ていうかあれ、魔法の規模じゃないだろ……!」
「国を滅ぼせるんじゃないのあの人……」
セラフィーナもまた、体を震わせてすっかり凪いだ海を見つめながら、小さく呟いた。
「え……えげつな……っ!」
「ヒドイッ!?」
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