45のおっさんが地下アイドルに手を出した

縁肇

第1話 誰かに認められたい

 三宅慎吾、四十五歳。


 身長167センチ。体重78キロ。前髪は絶滅危惧種。

 美容室で「上は軽めに」と言ったら、「すでに軽いですね」と返されたのが最後の来店。


 


 都内の不動産会社に勤めている。

 入社二十年目。営業成績は九年連続で最下位。

 社内でのアダ名は「消音リモコン」。


 押されても反応がない。どこに置いてあるか誰も気にしない。

 ある日、その意味を聞いたら、言った本人が「……あ、でも便利っすよ」と苦し紛れに言い足してきた。


 


 会議では誰にも振られない。

 発言しようと空気を吸ったら、ちょうど次の議題に進んだ。

 名前を呼ばれないことがデフォルトすぎて、呼ばれると逆にドキッとする。


 


 仕事中は話しかけられない。

 でもコピー用紙を替えるときだけ呼ばれる。


 誰も俺に期待していない。

 でも誰も俺を嫌っているわけでもない。


 空気って、意識されないと“無”なんだと最近気づいた。


 


 昼休み、休憩スペースの椅子に座っていると、同僚が話している。


「マジで承認欲求えぐい奴多くない?」

「わかる。SNSで“がんばってる私”とか出してる奴、寒い」


 俺はうなずきたくなったが、やめた。

 俺には、そもそも承認してくれる人がいない。


 認められたいとも思えなくなってきた。

 けれど、ふとした拍子に思う。


 「誰かが俺を見てくれたらな」って。


 


 スマホのSNSは見る専門。

 いいねが来るのは、誤タップかスパムだけ。

 投稿をしたところで、誰も反応しない。

 何を食べた、どこに行った、誰と話した――全部空白。


 俺の人生は、誰にも記録されていない。


 


 家に帰っても同じだ。


 築41年の木造アパート。湿気がひどく、壁紙がペロリと剥がれてる。

 天井には蜘蛛の巣。

 カーテン越しに隣の部屋の影が映っている。

 知らない他人の生活音に、俺の夜が侵食されていく。


 


 夕食はローソンの冷凍グラタン。

 トレイのままチンして、そのまま口に運ぶ。

 洗い物を出す理由がない。


 焼酎を紙コップに注ぎ、テレビをつける。

 ニュースの声が遠くて、まるで他人の世界。


 


 風呂場の鏡に映る自分の顔を見て、何も思わなかった。


 昔は、「この顔でも、表情で得するタイプ」と言われたこともあった。


 今は、その表情すら、誰にも見られていない。


 


 LINEの通知は鳴らない。

 連絡先の上の方にいるのは、もう使っていない保険会社の担当。

 通話履歴は「なし」。


 SNSで、誰かの「今日も褒められた」「頑張ってるねって言われた」にイラついて、すぐにブラウザを閉じた。

 だって俺は、一度も「頑張ってるね」なんて言われたことがない。


 頑張っても、そこにいるだけの扱いなら、誰だって頑張らなくなる。


 


 押し入れには、元妻が置いていったパーカーがある。

 灰色で、柔らかくて、どこにでもあるやつ。

 別れたとき、「荷物はそのうち取りに行く」と言われたけど、あれから十年経った。


 あれが今もそこにあるのは、俺が「忘れられた」ことの証拠だ。


 


 俺は、誰かの人生に、いないことにされる側の人間だ。


 


 その夜も、疲れきった体で、駅前をふらふら歩いていた。

 目的はない。コンビニに寄っても、食べたいものは浮かばない。


 


 自販機の横、掲示板にセロテープで貼られた紙があった。


 濡れた端が風に揺れている。


 


《ぴゅあぴゅあスマイル爆誕!

 地下アイドル 姫野るる 定期公演 本日19:00~》


 


 フリルの衣装。ピンクの髪。ツインテール。

 ウィンクしながら、ハートのエフェクトを飛ばしている。


 背景はギラギラの星とキラキラのモザイク。

 Photoshopの切り抜きが雑で、輪郭はボケていた。


 だけど――


 その笑顔だけは、こっちを見ていた。


 


 俺は、動けなくなった。


 胸の中がじわりと熱くなった。

 何かが、叫びそうになった。


 この子は、俺のことなんて知らない。

 でも、俺を見てる。笑ってる。


 俺の存在を、肯定してる――ように見えた。


 


 財布を開いた。残りは四千円。


 コンビニ弁当をやめれば行ける。

 晩飯をグラタンで済ませれば行ける。


 


(……行ける)


 


 気づけば、足がそっちに向かっていた。

 チラシをポケットに突っ込んで、地下へと向かう階段を探した。


 


 俺の承認欲求が、ようやく行き場を見つけた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る