最高のひとつ

くら

第1話

「あああああああああっ!」


風呂場からすごい声がした。


勝手に人の家にきて、勝手にわめきたてて、勝手に部屋を荒らしまわって、勝手に叫ぶ。


何がしたいの、あの女。


私は面倒くさそうに声がしたほうを見てから、まな板の肉から骨を切り離した。




亮平と私は恋愛結婚だった。同じ会社の同じ部署で営業とアシスタントをしており、亮平からのアプローチで交際し、結婚した。


それから十年。子供はなく、気ままに仲良くやっていた。


互いに互いを補い合うベターハーフ。そう、信じていた。


「好きな人ができた」


十回目の結婚記念日の前日、夕飯のクリームシチューを温め直していた時に、背中からボソッと亮平が言った。


「……え?」


「ごめん。何も言い訳はしない。俺が出て行くから」


一方的に言うと亮平は立ち上がって、納戸からスーツケースを出して寝室へ入っていった。


「ちょっと待って、どういうこと?」


混乱したまま、私は亮平を追って寝室へ行った。亮平は無言で衣類をスーツケースに放り込んでいた。


私たちはベターハーフじゃなかったの? 半身を失って生きていけるの?


私はぎりりと奥歯を噛みしめた。




その女は結婚記念日の夕方に来た。


「亮平さんをどこへやったんですか!」


最初からとても無礼な女だった。


「どこへも何も、会社に行ってますけど」


「そんな、ありえません」


どうしてそんなに自信満々にありえないと言えるのか。


「亮平さん、奥さんと別れて私と一緒になると言ったんです。昨日の夜にうちに来るって言ってたのに……!」


テレビドラマのようだった。そんなベタな台詞があるのかと、思わず笑いそうになって咳払いでごまかした。




「ちょっと、あんた! どういうことよ! あんたがやったのね!」


風呂場で騒いでいた自称『亮平の彼女』が、横で泣きわめいている。


「料理中なんだから、唾を飛ばさないで」


「お風呂場にあんな……! 亮平さんっ……!」


この女は何を言っているんだろう。亮平はもうすぐ帰ってくるのに。


今日は結婚記念日だから、花束でも買ってきてくれるかもしれない。そうしたら、シチューを出そう。


今日はビーフシチューだ。……ビーフ、よね?


私は手元の肉塊を見つめた。この肉は、何の肉だっただろう。


「あんた、もしかして、それ……!」


突然、泣いていた女が私のほうを見て息をのんだ。


そうだった。亮平だ。


彼は私の中でこなれて血肉になる。私たちはひとつになるのだ。


私は包丁を手にしたまま女に微笑んだ。


「亮平はあなたとは一緒にならない。私とひとつになるから」


「何、言ってるの……」


「私たちは互いに補い合って、最高のひとつになるの」


そう、こんな女とは一緒にならない。一緒にはさせない。


私が女に笑いかけると、彼女はいきなり立ち上がり、私の手から包丁をもぎ取って体の前に構えた。


「あんたのせいで……!」


女が何か言っているが耳に入ってこなかった。


包丁には亮平の血がついている。あの女が触るのは耐えられない。


そう思ったら彼女に抱き着くように飛びついていた。


「何するの!」


「あなたになんかあげない。血の一滴だって」


私は腹に包丁が刺さったまま笑う。すぐに膝に力が入らなくなってそのまま倒れこんだ。


「あああああああああっ!」


頭上ですごい声がする。


私たちは互いに補い合って、最高のひとつになるのよ。


亮平、愛してるわ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最高のひとつ くら @kura-2021

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ