残響館

@jthbc2007

タイトル·残響館

第1話「止まない階段」


小説家・早川悠は、都会の喧騒を離れて執筆に集中するため、山奥の古い別荘を借りた。築七十年の洋風建築で、かつては画家のアトリエだったという。


初日の夜。原稿を打つ早川の耳に、コツ…コツ…と階段を上る足音が響いた。時計は午前二時。誰もいないはずだった。


音は二階で止まり、扉の前でしばらく間があったのち、消える。


次の夜も、その次の夜も、同じ時間に足音が響いた。


原稿に登場する人物が、夢に現れ、そして翌朝、机の上には自分が書いていないはずの文章が追加されていた。


「階段を上る音に導かれて、彼は部屋に入った。そして──」


気づけば早川の現実は、物語に侵食されていた。彼は原稿の結末を書くが、それは「自ら階段を上る男」の描写で締めくくられていた。


そしてその夜。


彼自身が階段を上った。部屋に入り、扉が閉まる音。


翌日、別荘は無人だった。だが、原稿だけは机に置かれていた。最後の行はこうだった。


「この物語は実話である」


第2話「曇った鏡」


大学生の村瀬奏は、初めての一人暮らしを始めた。


古びたワンルームマンション。安い理由は「水回りにクセがある」とだけ。


入居初日から、浴室の鏡が毎朝曇っていた。シャワーを浴びていないのに。曇りの中、誰かの手が指で「かえして」と書く。


奏はそれを流し、無視した。が、日が経つにつれてその“文字”は変化していく。


「おぼえてる?」

「わたしはだれ?」

「わたし=あなた」


曇った鏡にうつる自分は、笑っていないのに“口角が上がっていた”。


そしてある朝。鏡の中の自分が動いた。


右手をあげて、奏と“逆の動き”で、手招きをした。

次の瞬間、鏡が割れ、彼女は引きずり込まれた。


その日の午後、新しい入居者が内見に来た。 浴室の鏡には、笑う女性の姿が写っていた。



第3話「地下にいる子」

引っ越してきたばかりの一軒家。地下室には古びた鉄の扉があり、鍵がかかっていた。5歳の息子・柊(しゅう)は、その扉の前で遊ぶのが好きだった。

第4話「四番目の部屋」

廃ホテルの再生プロジェクトに参加した建築士・佐久間。すべての部屋を調査する中で、404号室だけが“存在しない”ことに気づく。間取り図にも、現場にも部屋がない。


だが夜、現場の監視カメラに映った。「開いた404号室のドア。そして、誰かが入っていく姿」


翌朝、ドアはなく、壁に戻っていた。佐久間は意を決してその夜、自らその部屋を探す。


壁に手を当てると、吸い込まれるように中へ。そこには、過去に彼が“自死した”自分の姿があった。


彼は既にこのホテルで死んでおり、“自分の人生をやり直していた”だけだった。


第5話「隣の部屋の声」

出張先のビジネスホテル。毎晩、隣室からすすり泣くような女性の声がする。男は最初気にも留めなかったが、徐々にその声が部屋の中にまで響いてくる。


「…あけて…たすけて…」


フロントに尋ねると、その部屋は“今月ずっと空室”だという。


男は隣室のドアを叩き、開ける。誰もいない。だがドアが閉まったとたん、部屋は変わっていた。


彼がいたのは“隣室”であり、すすり泣いていたのは自分だった。


もう一方の自分が、彼の部屋に入っていた。


第6話「ノイズ」

フリーの音楽家・榊は、自宅スタジオで新曲を録音していた。録音中、奇妙なノイズが入り込む。


ノイズは人の声のようだった。「さかき……やめて……」


解析ソフトで確認すると、音声波形は“自分の過去の叫び”と一致した。だが、そんな叫びを発した記憶はない。


声は日ごとに増え、やがて“まだ起きていない事故”や“家族の死”を告げ始める。


榊が録音をやめると、ノイズも止まった。


だが次の日、自分の声でこう記録されていた。


「これが最後の曲です。あとは、霧の中へ──」


第7話「書庫の娘」

大学の閉鎖前に図書館を整理することになった司書・安藤。蔵書リストにない1冊を見つける。それは「記録されていない家族の日記」だった。


中身を読むと、自分に“娘がいた”という記憶がよみがえる。しかし現実には、そのような家族は存在していない。


読み進めるほどに、彼女は確信する。「あの子は、いた」と。


だが日記の最後にこう書かれていた。


「娘は存在しない。存在していたのは、“館の声”」


書庫にいたはずの安藤は、翌日から“来たことがない人間”として扱われた。


第8話「静かな館」

音を一切吸収する特殊な材質で作られた迎賓館。調査のため訪れた取材班3人。


話しても足音を立てても、一切音がしない。やがて、自分たちの声が録音にすら残らないことに気づく。


その夜、誰かが叫ぶが、誰も気づかない。


翌朝、1人がいなくなり、他の2人はその存在を「最初から知らない」と言う。


館は音だけでなく“記憶”も吸収していたのだ。


第9話「階上の住人」

激安アパートに引っ越した男。毎晩、上の階から重い足音が聞こえる。


「夜中に歩き回るのはやめてください」と苦情を出すが、管理人は言う。


「あんたの部屋、最上階だよ?」


男は不審に思い、天井裏に登る。埃に覆われた屋根裏の奥に、小さな布団と黒ずんだ日記があった。


そこにはこう記されていた。


「この部屋には、いつか誰かが来る。その時、わたしはやっと下に降りられる」


その日以来、足音は“自分の部屋”から聞こえるようになった。


第10話「響く館」

第1話で消えた小説家の息子・透(とおる)は、大人になり父の消息を追う中で、あの山荘へとたどり着く。


館は朽ちていたが、なぜか“1部屋だけ”新品のようにきれいだった。そこには父の原稿が残されていた。


「この館は、音を喰い、記憶を喰い、人を写す。誰かが忘れられるたび、またひとつ『残響』が増える」


扉の奥で、透は父の声を聞く。


「おまえは、まだ書かれていない」


館の中で、透の足音が消えていく。そして、また誰かがこの館を訪れる。


「これは、終わりではなく──始まりだった」

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