第一章
おはなしのはじまり
なんて、わたしはわざと遅らせた帰りをいつにするかで迷ってる。中三の最後の下校はあっけなく、そして怠かった。
五時が限界かな。六時でもいいかな?
そう思って、今日もバスを一本見送った。
ギリギリまで教えてたら遅れちゃった――そうお母さんに連絡する。
そして、次のバスを待たず、歩いて帰ることにした。
ちょっとしたノスタルジーってやつだ。浸ってもゆるされるでしょう。
家に帰っても、居るのはお義父さんとお母さん。
二人は新婚ほやほやのカップルだから、おっきな
ほんとは分かってる。お義父さんがすごくわたしに気を遣っていること。口調も態度も、生活面でも、すごくすごく気を遣ってるってこと、わかってる。お風呂とかトイレとか、言葉がけとか、いろいろ、ひしひし伝わってくる。
でもわかってほしい。それ以上にわたしは、お義父さんに気を遣ってるってこと。
ぎりぎりまで残って勉強してるのは本当。でも、進学を不安がってるトモダチに勉強を教えてほしいって言われてるのは嘘。頼み込まれて塾のまねごとしてるってのも嘘。
嘘ばっかりならべて、馬鹿みたいだなぁ。なんて、これが鬱屈といわずしてなんと言うんだろう。
鬱屈、鬱屈と言葉を口の中で転がして、わたしは――
名字も変わったばっかりで、このフルネームにも慣れない。有朱――ありすという文字列だけがわたしを安心させてくれた。
ありす。私の本当のお父さんがくれた名前。
お父さんが死ぬまでは、わたしって特別で素敵な女の子なんだとおもってた。
でも、とんだ思い違いだった。
わたしが特別で素敵でいられたのは、お父さんがいたからだった。
わたしを宝物のように扱ってくれたからだった。
お父さんが居なくなって、わたしはわたしの本当の価値を思い知った。
お義父さんが来て、……お父さんがいかに私を大事にしていてくれたのかが分かった。
人は、扱い一つで宝石にもガラス玉にもなれる。ゴミにだってなっちゃう。
それが守野有朱、十五歳が出した結論だ。
そしてわたしは、今、まさに、ゴミそのものの気分で町を歩いている。
ああ、嫌になっちゃうな。
家に近づけば近づくほどに憂鬱になる。
鬱屈、という言葉をあめ玉みたいに何度も転がして、それにも飽きた頃。
暗い路地裏から物音がしたのはそのときだった。
ドンッ、と何か鈍い音がして。
続けて、視界の隅で青いポリバケツのゴミ箱がばんっと跳ね上がった。
飲食店の裏手に置いてあったゴミ箱がすごい勢いでわたしの目の前を飛んで行く。
「わっ!?」
ぶちまけられるありとあらゆるゴミ屑――生ゴミから漂う腐臭に、顔をしかめるよりさきに、驚いてバランスを崩してしまう。
尻餅をついて、呆然。
「なに!?」
「――ってめえふざけんじゃねえぞオラァ!」
わたしの声に応えるように、というか答えたのかどうか分からないけど――、ゴミ箱が吹っ飛んできたあたりから男の子の怒声がとどろいた。
「オレのことなめてんのか? あ?」
喉に言葉が張り付いて出てこない。なんだこれ。なにこれ。何が起こってるの、これ。
「見られたじゃねえかよ!! クソが」
パン、と土埃を払う仕草をみせて人影はゆらりと立ち上がる。
黒髪。
頬の絆創膏。
そして耳にたくさん開いてるピアス。
彼は汚れた服を何度も払いながら、こちらを冷たい目で見下ろした。
「オマエはとっとと行け! ヤンキーの喧嘩なんか見てんじゃねえよ!」
「ひっ」
わたしは兎のように跳ね上がって、ばねのように立ち上がり、そして後ろも見ずに走り出した。
男の子の怒声が耳にこびりついていた。
「やばい、やばいの見ちゃったかも……!」
あれってなんだろう。抗争? タイマン?
よくわからないけど、関わっちゃいけないタイプの人たちだ……!
わたしはあんなに嫌だった帰り道をびゅんと飛ばして、家に帰って、お義父さんになあなあに挨拶して、気づいたらベッドの上に制服のまま座ってた。
「有朱! またあんた門限破ったでしょ!」
お母さんの声が聞こえてくる。だけどわたしはまだ、あの生臭い匂いの中に居るような気がして。
「うちに門限がある理由が分かる? ただでさえこのあたりは不良が多くて治安悪いんだから、娘を心配する親の気持ちもわかってよね!」
「……う、うん」
ちらつくのはあの冷たいまなざし。どこかで。
どこかで……。
……どこでだっけ?
忘れちゃった。
「聞いてるの!?」
「聞いてる!」
ドア越しの会話がめんどうくさくなって、わたしはドアを開け、お母さんにいつも通り謝り――それからまた部屋に閉じこもった。
考えるのは、明日のこと。卒業式のこと。
それから、新しく通うことになる高校のこと。
私立
家から一番近いから、選んだ高校――。
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