二度寝が誘う時空螺旋
桐嶋紀
第零章 黎明
第1話 零
夢を、見ていた。
それは、現実ではない世界。
それなのに、どこか見覚えがあるような、それでいて初めて見る場所のような。
そんな場所に、自分は居た。
目覚ましのアラームで覚醒し、徐々に意識がはっきりしてくる。
「またあの場所か」
記憶に残る夢。
漠然とした感覚。
決して言語化出来ないイメージ。
そんな不思議な感覚の残滓を脳の片隅に残したまま、オレは現実の行動を開始する。
そう、憂鬱な出勤のための身支度だ。
◇ ◇ ◇ ◇
「えー、先週の営業成績を発表する」
今日も課長の厭味ったらしいだみ声の朝礼が始まる。
そして、ホワイトボードはA3の用紙の何枚にもわたってポスター印刷された、つぎはぎだらけの棒グラフが印刷されたものが二人の年配女性事務員の手によって張り出される。
「先週のトップは、宇佐美君だ。おめでとう!」
オフィスの中に拍手が響く。
「今回もダントツか。さすがだな」
「これで何週連続だよ」
「はあ、イケメンで頭も良くて、何でこんな会社に居るんだか」
「まだ25歳だろ? 大卒とはいえ入社3年目っていまだに信じられん」
周囲の声も聞こえてくる。
宇佐美という成績トップの社員に対する賞賛、諦念、やっかみなど、その感情は様々だ。
そして、上位から順に成績優秀者が課長の口から発表されていく。
「以上だ。皆、今週もさらなる努力を期待する!」
そして、課長のその言葉でこの朝礼は締められる、はずであったのだが。
「すみません課長、空石先輩の名前がないのですが?」
挙手と同時にそう言って立ち上がったのは、同僚の西田
24歳の独身女性で整った顔立ち。
宇佐美君と同様、まだ若手なのだが営業成績は上位に位置付けている。
彼女は入社時にお得意様周りをオレと一緒に回った縁で、今でも挨拶を返してくれる数少ない一人でもある。
そんな彼女が「名前がない」と言った空石とは――
そう、
37歳独身。ぶっちぎりで営業成績最下位を更新中。
オレの事だ。
「空石? ああ、そんなのもいたな。なに、どうせ最下位なんだ。どうせ0件だから名前入れるだけで紙とインクの無駄だからな」
「いえ、空石先輩は先週2件の更新契約を成功させています。しっかり評価されるべきと思いますが?」
課長と西田さんの雰囲気が微妙になってくる。
すると、
「まあまあ、礼音ちゃん、課長にもお考えがあっての事だと思うよ? それより、明日の得意先回りの件で打合せしたいんだけど?」
そう言って西田さんの両肩に手を掛けてその場から立ち去るように誘導しているのは、売上トップの宇佐美君。
ちょっとその距離が近すぎるきらいはあるが、さっきまでの微妙な空気を変えてくれるあたり、さすが有能な若者である。
で、当の嫌がらせ? を受けた俺はと言えば。
何のことはない。
心に響くこともない。
そう、これが平常運転だからだ。
課長の、いや、この会社の大半の社員のオレに対する態度は、よく言って無視、悪く言って無関心。
昔はもっと直接的な嫌味や嫌がらせがあったものだが、それになんの反応も示さない俺を面白くもないと思ったのか、そのうち何の関心も寄せられなくなった。
「好き」の反対は、「嫌い」ではなく「無関心」とはよくいったものだ。
よくクビにならないものだと自分でも感心することがある。
まあ、会社側としても、法を犯したわけでもなく、不祥事を起こしたわけでもない、単に仕事が出来ないというだけで社員を解雇するという、労基署に睨まれたり法廷案件になりそうなことは避けたいだろうからな。
せいぜい、早いとこ辞めて欲しいと冷遇するくらいしかないのであろうが。
「ふう」
ため息ともいえないような鼻息を漏らし、オレは自分の席に着く。
まあ、席があるだけいいと思わなくてはいけないのかな。
あ、あと一応更衣室にロッカーもあったんだったな。
オレはパソコンの画面上の予定表をスマホに同期させ、営業宣材を詰め込んだカバンを手に、いつも通りに外回りに出掛ける。そしていつものルートを回り、いつもの塩対応を受け、途中でコンビニで買ったパンを公園のベンチで食べ、会社に戻り、報告書を提出して自宅へと定時に帰る。
今日も、いつもと変わらない一日。
あ、でも、帰り際に西田さんがなんかオレに話しかけたそうなそぶりをしていたけど、多分勘違いだろう。
だってすぐに宇佐美君に呼び止められて会話していたし。
そもそも、オレへの用事なんて発生する余地もない。
いつもの通り、スーパーに寄り。
いつものように、弁当や総菜、ビールを買って。
安アパートに戻ってスーツを脱ぐ。
そして、いつもの通りにビールを飲み、夕食を摂り、シャワーを浴びる。
布団に横になり、今日もいつもと同じ一日が終わる。
あ、そういえば。
今日はいつもと違うことが一つあった。
いつもは1本のビールを、今日は2本飲んだのだ。
西田さんがオレのことをかばってくれたのが妙にうれしくて、思わず多めに買ってしまったからな。
そんなことを思いながらまどろみに身を任せ。
今日もまた眠りに落ちる。
そしてまた――
夢を、見る。
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