第17話 会議は踊る

 風は刃のように鋭く、山峡を吹き抜けていた。


 トシオの姿は湧き立つ砂塵の中に溶け込み、戦場へと急ぐ足音だけが地面に刻まれていく。真新しい革靴の底が土を蹴る音が、かつて会議に遅れそうになった朝の記憶を呼び覚ます。


 ネクタイが首筋にぴったりと張り付き、スーツの裾が風を受けて翻る。見慣れぬ異世界の空の下、ビジネススーツという異質な存在が、まるで高速で流れる矢のように大地を駆けていた。


「はぁっ、はぁっ……」


 荒い息が白く吐き出される。遠く、戦場の轟音と叫び声が、大地に反響して届いてくる。


 名刺ホルダーからの猛烈な情報量に支配されていた頭が、今はむしろ冴え渡っている。【営業部係長】という名刺から流れ込んだ力は、彼の身体能力を上回る速度と反射神経をもたらしただけではなかった。


 情報収集、状況把握、危機管理、そして──周囲への気配りという、これまでの人生で磨き上げてきた「仕事の型」がこの身に宿った。


(……案外、営業スキルとは、戦場適性だったのかもしれませんね……)


 自嘲気味に思いながら、トシオは丘の上に飛び上がった。


 遥か下方、彼の視界いっぱいに広がる戦場──


 アルウェンとヒノエは、背中合わせになりながらも、息も絶え絶えになりつつあった。無数の敵兵が取り囲み、精霊の詠唱と風を切る刀身が交錯する。


 だが、そこに別の人影が──。


 トシオは眉をひそめた。


 戦場の端で戦っている二人の女性。一人は鎧に身を包み剣を振るう白い肌の女性、もう一人は眼鏡をかけ、銀糸のようなものを指で操る褐色の髪の女性。


(誰でしょう、あの方たち……)


 敵とも味方とも判然としない二人の姿に、トシオは首を傾げた。ビジネスマンとしての危機管理能力が、瞬時に正体不明の存在を掌握しようとする。


 視界の端で、眼鏡の女性が銀糸を使って三人の盗賊を絡め取り、地面に叩きつける光景が飛び込んできた。直後、鎧の女性が短刀で盗賊の喉元に斬りかかる──。


(なるほど。彼女たちは……盗賊と戦っているようですね)


 一瞬の観察で状況を把握したトシオは、躊躇なく判断を下した。


「味方でしょう。何はともあれ、アルウェン殿の元へ!」


 革靴が再び地を蹴り、風を裂いて駆け出す。スーツの肩が風を切り、ネクタイが首筋でぴたりと張りついたまま、彼の姿は戦場へと流れ込んでいった。


 白と黒のコントラストが、血と泥にまみれた荒野に奇妙な映えを見せる。まるで和風庭園に置かれた洋風置物のような、絶妙な不調和をたたえながら──トシオは戦場の中心へと走った。





 戦場の喧噪が立ち込める中、突如として現れた黒衣の男の姿に、盗賊の視線が一斉に向けられる。


「何だ、あいつは!? どこから湧いて出た!?」


 驚きの声がいくつも上がる中、一人の弓兵が素早く矢を番え、トシオに照準を合わせた。


「なんだこの髭野郎は! 止まれ!」


 緊張を孕んだ声とともに、矢が弦を離れる。


 空気を裂く鋭い音が響き、矢がトシオの顔面を捉えようと飛来する──その刹那。


「ほっと」


 トシオの上半身が、水面に落ちた風のように軽やかにたわみ、矢はわずかな隙間を通過して風の中へと消えていった。


 スーツの裾が風に舞い、彼の足取りは途切れることなく──まるで重力に縛られていないかのように、滑らかに地面を這う。


 弓兵の目が見開かれた。その視界に、迫り来る黒衣の髭面がゆっくりと大きく映る。


「射りましたね……?」


 瞬間、盗賊の腕を掴む手があった。


 「がっ……!」


 気がついたときには、盗賊の体は宙を舞い、背中から地面に叩きつけられていた。どのような技が使われたのか、盗賊自身にも分からない。


 トシオは息一つ乱さず、右手でネクタイを整えながら、左手を胸元のスーツの内ポケットに伸ばした。ここで初めて、少し驚いたように眉を上げる。


「おや? これは……ひょっとして……」


 取り出したのは、渋い黒縁の眼鏡。彼が転生前から愛用していた、紛うことなき「田中敏夫の相棒」だった。スーツに合わせて、こうした小物まで再現されているのだろうか。


「いえ、これはありがたい。そう言えば、少し物足りなさを感じていたところでした」


 トシオはゆっくりと眼鏡を広げ、静かに顔に乗せる。


 そのゆったりとした所作は、四方から迫り来る混沌の空気とあまりにも不釣り合いだった。あるいは、そのコントラストこそが、この場を制していた。


「おお、良く見えますね。視力は前より良くなったんですが、やはりこれがあるとないとじゃ違いますね」


 眼鏡を指で軽く押し上げながら呟いたその瞬間──


「うおらぁっ!」


 後方から一人の盗賊が、大きな斧を振りかぶって跳びかかっていた。


 トシオは振り返りもせず、右肘を後方へと繰り出す。肘が盗賊の腹に突き刺さるような感覚。続けざまに左肘を相手の顎に打ち込み、トシオの背中には、ふらつきながら倒れ込む盗賊の姿が映っていた。


 盗賊が地に倒れる前に、トシオの手は相手のベルトをすでに掴んでいた。一瞬のうちにベルトがほどかれ、盗賊の両手を背後で縛りあげるように巻きつける。


「失礼いたしました。お昼寝でもなさっていてください」


 簡潔に言い放ち、トシオは落ちていた剣を拾い上げる。刀身が光を受けて煌めいた。


「こちらも、お借りします」


 そのとき、視界の端に動きが。


 先ほど地面に叩きつけた弓兵が、なお意識を取り戻し、再び弓を構えようとしていた。


 トシオは眉一つ動かさず、倒れた盗賊の腰に差していた短剣を素早く拾い上げると、振り返りざまに投げ放った。


 飛来した短剣が、弓を構えた盗賊の腕を貫く。


「ぐああっ!」


 悲鳴と共に盗賊は弓を取り落とす。


 短剣に貫かれた腕を押さえ、盗賊はのたうち回った。血が地面にこぼれ落ち、粘り気のある赤い跡を描いていく。悲鳴は、やがて苦しみの呻きへと変わった。


 トシオはその様子を、静かに見つめていた。


(……人を、傷つけてしまいましたね)


 感情というものが、予想外に薄い。


 魔物ではない。れっきとした人間である。その人間の腕を、今、刃物で貫いた。


 しかし、思ったような罪悪感はない。トシオ自身が、自分の感情の薄さに驚いていた。


 地面には次々と倒れていく無名の盗賊たち。


 彼らの血が、大地を赤く染めていく。


 吹き荒れる風に、金属と血の匂いが混ざり合う。死と痛みの匂い。


 しかし──胸に広がるのは、不思議と平静。むしろ奇妙な高揚感すら宿っている。


(この感覚……ああ、そうですね)


 トシオは静かに胸ポケットに手を当てた。


 名刺入れを納めたポケットの感触に、静かな理解が生まれる。


(正確には「平静」ではなく……「剃られている」のかもしれませんね)


 初めて名刺スキルを使った時。自分よりも二回りも大きな魔物と対峙した時。当時も、不思議と恐怖はなく、むしろ高揚感があった。あのバリアントボアとの戦いも、ディアルガとの戦いも──今思えば、あまりにも「冷静」に戦えていた。


(ひょっとして、名刺のスキルは……精神面にも作用しているのでしょうか)


 営業マンの冷静さ。数字を追う営業部長の鋭さ。


 それは、日常の中で戦場をくぐり抜けてきた「職場の武器」。


 いまやそれは、文字通りの武器として、この異世界でトシオを護っている。感情を制御し、恐怖や罪悪感を抑えて彼を「戦える男」にする力になっている。


「ほんと、名刺様々ですね、ええ……」


 寂しげに微笑むトシオの顔に、一筋の血が滴り落ちた。


 敵の血だ。彼自身の血ではない。


 瞳の奥に、何か見えない淋しさが浮かんでは消える。


 一瞬の感傷を振り払うように、トシオは再び前へと足を踏み出した。


 どこか遠くから、アルウェンたちの戦う音が、刻一刻と大きく響いてくる。


 風が翻す黒のスーツ。血に染まった盗賊たちの間を、トシオは静かに歩を進めていた。


 そのとき、後方から荒々しい怒号が響く。


「ふざけた格好しやがって!」


「死ねや髭もじゃ!」


 轟く声と共に、三人の武装集団が一斉に斬りかかってきた。一人は大振りの長剣、もう一人は二本の短刀、三人目は重い鉄球の付いた鎖を振り回している。


 三方からの包囲。物理的に避けようのない陣形。


 トシオはゆっくりと眼鏡を押し上げた。


「いつの世も、お客様は正面突破でいらっしゃいますね……アポは取りましたか御三方!」


 しかし、その静かな眼差しには、三十八年の社会生活で磨き上げた「無理な案件対応力」がにじんでいた。


 大剣が斜め上から振り下ろされる──すでにトシオの身体はなく、風だけが揺れていた。


 短刀が咽喉を狙う──しかし、そこにあるのは影だけ。


 鉄球がうなりを上げながら空を切る──だが、その先にあるのは空虚。


「では、失礼して」


 トシオはすでに大剣の男の背後に立っていた。怯んだ敵の首筋に、剣の柄を叩きつける。鈍い音と共に、大剣の男はその場に昏倒した。


 短刀の男が振り返り、恐慌の色を浮かべる。


「何だこいつ!ば、化け物か!?」


 だが、トシオにとって"後方からの不意打ち"など、会議室の扉を背に立つ部長から受けた叱咤の嵐に比べれば、造作もない事だった。


 腰を落とし、短刀の男の手首を掴み、一閃。流れるように背負い投げへと持ち込む。投げられた男の身体が宙を舞い、地面に激突する。首を痛打し、気を失った盗賊の上着が風になびく。


「新人教育からやり直してきなさい」


 最後の一人、鉄球使いが恐怖に怯え、武器を投げ捨て、反対側へと逃げ出した。


 トシオは地面に落ちていた弓を拾い上げる。


 その手さばきはまるで異世界の狩人のよう──いや、それ以上の精緻さがあった。矢を弦に番え、一瞬の静寂。


 「失礼します」


 矢が離れる。まるで生きているかのように軌道を描き、逃げ惑う盗賊の足首を貫く。


「ぐああああっ!」


 鋭い悲鳴と共に、盗賊が地面に転がり、足首を押さえて苦悶する。


 トシオは拾った弓をゆっくりと下ろした。


(……おや、これは……)


 何か違和感がある。彼は立ち止まり、手にした弓を見つめる。


 名刺ホルダーから、新たな名刺を取り出していない。それ以前に名刺を入れ替えてすらいない。


 それなのに、確かにスキルを使えている。剣も弓も扱える。しかも、以前に比べて格段に制度が上がっている。身体のバランス感覚も、反応速度も、明らかにレベルが違う。


(【狩人】と【剣士】は、武器による能力発現だったはず。だが今は……)


 眼鏡越しに手元を見つめるトシオの瞳に、理解の色が宿る。


(【営業部係長】という"名札"そのものが──なるほど、上位版"統合型"なのでしょうか)


 かつての日々。提案書を作り、打ち合わせを重ね、時には泥臭い交渉をし、時には理不尽な要求に応えてきた三十八年の記憶。


 今、彼はそれらすべての"型"を、この身に宿らせている。


 この考えが脳裏を過ったとき、トシオの眼前に衝撃が走った。


 ──地を揺るがすような爆音が響く。


「なっ……」


 異変を察知し、トシオは不意に身を翻す。


 戦場が一瞬にして変貌していた。


 異様に歪んだ風が渦巻き、大地を震わせていく。血の匂いが、突如として腐敗の匂いへと変わる。空が唸り、雲がうねり、大地が悲鳴を上げる。


 盗賊たちが、何かに怯えるように固まる。そして次の瞬間、一斉に──トシオの方へと逃げ惑う。


「ひ、ひいいいいいっ!!」


「あんなの話に聞いてねえぞ!逃げろ!」


「助けてくれ!」


 今まで牙を剥いていた連中が、まるで子どもの如く恐慌に陥り、ありとあらゆる方向へと散っていく。


 トシオに向かって逃げ込む盗賊の群れ。鎧同士がぶつかり合い、盾の縁が押し合う。互いに蹴落とし合い、踏みつけ合う無秩序な逃走。


(相当な混雑ですね……)


 トシオはため息と共に、襟元を少し緩めた。


 とはいえ、これくらいの"雑踏"が彼を怯ませることはない。勤続三十八年の通勤地獄。満員電車の中で、資料やパソコンを胸に抱きながら立っていた日々。押しあいへし合いの地下鉄。これに比べれば、この程度の混乱など──


「お引き取りください」


 ネクタイを軽く引き上げ、革靴で地面を蹴るトシオ。その身体は水の流れのように盗賊たちの間を滑り抜けていく。肩と肩の隙間を縫うような精緻な動き。誰にも触れず、誰にも触れられぬ域にある。


(アルウェン殿は……!?)


 混乱の渦中、トシオの目はただ一点を見据えていた。銀髪の導き手の姿を。


 そのとき、ものすごい爆発音が響き渡った。


 赤と黒の光が煌めき、砂塵が天へと舞い上がる。大地を裂くような轟音と衝撃波が、全ての者を押しのける。


 トシオは腕で顔を覆い、踏みとどまる。風に煽られてスーツの裾が翻る。


 やがて、薄れゆく砂埃の向こうに、ゆっくりとうごめく巨大な影が見え始めた。


 一同の息が止まる。


 トシオの目が見開かれる。


 ──それは、禍々しくも巨大な姿。


 赤黒く焼けただれたような皮膚。強靭で、剛腕で、重厚な体躯。


 背から無数の太い腕を生やし、頭部にはざんばらな長い髪。その隙間からは、無数の瞳がじっとりと雫のように光を滲ませている。


「あれは……?」


 呆気にとられるトシオの背後で、誰かが恐怖に震える声で呟いた。


「所謂巨人というものでございましょうか……」


 その瞬間、化け物は六本の腕を高々と天に向けて掲げた。そして、容赦なく一点を狙って、大地にたたきつけんばかりに振り下ろそうとする。


 その先に見えるのは──


 銀糸のように輝く髪色の少女。美しいその顔が、死を覚悟したように青ざめている。


(またか……)


 トシオの身体が、意識に先んじて動いていた。


 大地を蹴り、風を切り、砂塵を蹴散らしながら、彼の姿は少女へと駆け出していた。スーツの裾が翻り、眼鏡が風に煽られてぎりぎりのところで留まっている。ネクタイは首筋にぴたりと張り付いたまま、黒い流星のように、彼は少女へと向かっていた。


 その時、トシオの脳裏に鮮烈な記憶が蘇る。


 ──線路の上で身を縮める少女。


 迫りくる電車の轟音。恐怖に凍りついた群衆。そして、彼の身体だけが無意識に飛び出していく感覚。


(あれから、何も変わっていないな……)


 不思議と胸に温かいものが広がる。


 人間を傷つけた時、自分は何も感じなかった。魔物を倒した時も、奇妙なほど冷静だった。そのことに、心のどこかでトシオは不安を抱いていた。


 自分は、もう"人間をやめてしまった"のではないか──そんな恐れが、胸のどこかにあった。


 だが違う。今こうして少女を救おうとしている自分がいる。まだ胸に宿る温かさがある。


 急に、それが嬉しくて仕方なかった。


(ここが異世界だろうと、やはり私は──田中敏夫なのですね)


 何かが蘇ったような気持ちで、トシオは決意を新たにした。


 手にした武器を投げ捨て、素手で迎え撃つべく構える。


 両拳を固く握り、身体の中心を落として、じっと瞳を閉じた。


「拳聖戦技――」


 トシオは全身の力を解放し、大地を蹴った。拳と体が一体となり、光を孕んだ矢となって空高く跳躍する。


 怪物の六本の腕が、渦巻くように少女目がけて迫る一瞬手前。


 「飛天一閃、アギト!」


 トシオの左右の脚が交互に繰り出される。まさに竜の牙のような鋭さと速度を持った二連の蹴り。


 大気が割れる。風が歌う。


 化け物の巨大な頭部に、想像を絶する衝撃が走る。腕がぶれ、少女へと向かっていた攻撃の軌道が変わる。


 怪物の無数の目から、悶えるような黄色い液体が噴き出し、醜い唸り声が発せられる。巨躯が大きく揺れ、やがて、倒木のような音を立てて地面に崩れ落ちた。


 トシオはしなやかに着地し、しゃがみ込んでいた少女を軽く振り返る。


「大丈夫ですか、お嬢さん?」


 少女は呆然とした顔で、トシオをじっと見つめていた。プラチナに煌めく髪が風に流れ、深い翠の瞳は星のように輝いていた。


 トシオの声に、彼女はハッとして我に返る。


「シェ、シェリル! シェリル・フォン・アルベルトと申します!」


 その声には凛とした威厳があり、しかし同時に、目の前の出来事を受け止めきれていない混乱と若さも滲んでいた。


 トシオは「え?」と言いかけたところで、息を呑んだ。


(貴族様の様ないでたち……わ、私も名乗るべきなんでしょうか?)


 そう思った瞬間だった。


 倒れていた化け物が再び顔を持ち上げ、ゆっくりと巨躯を起こし始めた。そして、無数の瞳がギョロリとトシオを睨み、その眼球の奥で怪しい光が収束し始めたのだ。


「……これはまずいですね」


 トシオは一瞬で状況を飲み込んだ。"攻撃の予兆"は間違いない。


「失礼しますよお嬢さん!」


 トシオはとっさに腕を伸ばし、シェリルをスマートに、紳士的に抱きかかえた。左腕で彼女の肩を、右腕で膝裏を支え、まるでプリンセスを扱うような丁重さで。


「え!? は、ひゃい!」


 顔を赤らめ、シェリルは必死に頷いた。


 トシオは少女を抱きかかえたまま、その場から跳躍する。


 次の瞬間、彼らがいた場所に禍々しい光線が直撃した。大地を焦がし、土を爆ぜさせる熱と衝撃。爆風が辺りを焼き払い、巨大な爆発音と共に戦場全体が揺らめいた。


 トシオは少女を抱いたまま優雅に着地する。


 同時に、黒髪の女騎士と、眼鏡をかけた女性が駆け寄ってきた。


「シェリル様!」


「大丈夫ですか!?」


 しかし、シェリルと呼ばれた少女は彼女たちに返事を返さず、まだトシオの顔をぼうっと見つめていた。柔らかな銀髪が風に揺れ、その瞳には何か言葉にできないものが宿っている。


 トシオはなぜ見つめられているのか分からず、照れくさそうに視線を逸らした。そして再び、巨人へと向き直る。


 巨大な怪物がうなり声を上げ、再び体勢を整えつつあった。無数の腕がうごめき、無数の目が光を宿す。すでに向こうに逃げ出した盗賊たちをかき分け、ひとり、また一人と引き裂きながら進んでくる。


 「この程度では準備運動というところでしょうか──」


 コンパクトにたたまれたハンカチで眼鏡を拭き、もう一度掛け直す。


 「さて、一世一代のプレゼンと、参りましょうかね……!」


 トシオはネクタイをきりりと締め直し、混乱の戦火を、きっと睨みつけた。

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