第二章
第五話 ストロベリーチョコレートの少女
バイパス沿いに大型の郊外型店舗が進出しつつあるが、それでもまだまだ西東市の中心である西東駅前の通り。
裏道にちょっと外れると歓楽的な店舗も交錯するそこに、古峰晃誠のバイト先であるコンビニエンスストアがあった。
現在進行形で友人と言えるような相手もほぼおらず、さして遊び歩くような趣味もない。そのため小遣いに困るようなことはあまりないが、漠然としたバイクへの憧れがあってなんとなく貯金を続けている。
単なる時間潰しという側面も大きかったかもしれない。
晃誠がここをバイト先に選んだ理由は中学時代の同級生の紹介といったこともあるが、何より髪色やピアスといったファッションに関して緩かったからだ。
目と鼻の先に小なりとはいえライブハウスやクラブの類があるおかげで、特に夕方以降は店員も客層なりの格好が許される傾向にある。なにより店長自身が派手めなロックバンドのバンドマン経験者だったのが大きい。
たまの土日のヘルプを除けば基本は週に二度、平日十七時から二十二時のシフト。
ゴールデンウィークが明けて初めてのそれを終えて表通りに出ると、晃誠はビルの隙間に隠れるようにうずくまっている人影に気がついた。
オーバーサイズの長袖カットソーの背中を丸め、黒いデニムパンツの膝に顔を埋めている。小柄な体格とシルエットからして女性らしい。
ただの酔っ払いなら放っておくところだが、急病人の可能性もないわけではない。しばし逡巡してから様子をうかがおうと近付いた瞬間、人影はぱっと顔を上げた。
その表情には一瞬ひどい恐怖のそれが走ったが、晃誠の顔を見るともう一度顔を伏せてほうっと息をついた。
再び上げた顔にはさきほどの怯えた表情はないものの、怪訝そうにこちらをうかがっている。
「な、何? なんか用?」
輪郭にほんのり丸みのある顔をふち取る、モカブラウンのナチュラルボブ。そこに耳周りからうなじまで、甘やかなミルク感のある、くすみピンクのインナーカラーを入れた少女だ。
(いちご味のチョコレートみたいな頭してんな)
知っている相手だった。古峰晃誠のそれと、自分のものではない『記憶』と。その両方が結びついて情報を補完しあう。
「
呆然と呟くと、相手もはっとした顔をした。
「あんた古峰? だよね」
学校で顔を見かけたことがある程度で知り合いですらないが、お互い校内ではそこそこ有名人だ。
そしてそれだけではなく――。
(そうだよ、たしかこんなNTRヒロインも)
『僕の隣に君はもういない~姫萩魅恋の場合~』はシリーズ第二作で、かなりハードな内容だった。
◇◆◇◆◇◆◇
『姫萩魅恋の場合』の主人公は彼女と同い年の幼なじみだ。
小学校卒業と同時に東京へ引っ越して疎遠になった魅恋が、高校入学時に派手な遊び人になって戻ってくる。
お互い昔通りの関係には戻れず疎遠なまま一年が経過するが、あるきっかけで再び交流を持つことになる。もともと家が近所で家族ぐるみに近い付き合いがあったので、進展は早い。
その後不穏な流れになるのだが、魅恋視点では粗暴な男につきまとわれ、脅迫を受けている。
知り合いを頼って紹介してもらった男で、男女間のトラブルを解決してもらった借りがあるため無下にもできず、仕方なくデートをした際に泥酔させられ関係を持たされたのだ。
その行為時の写真をネタにされ、また主人公とその家族を的にかけるとも脅されて魅恋は男に従い続けた。
そして徹底的に弄ばれ、最終的には薬物の使用まで示唆された行為に耽溺するようになる。主人公の追及からも逃げて自暴自棄になった魅恋は学校もやめ、堕ちるところまで堕ちる。
二、三年後、同棲していた男の身代わりに薬物売買の犯人に仕立て上げられ、警察に捕まることで一応のケリがつく。
家族にも見放され、懲役を終えて刑務所から出てきた孤独な魅恋を出迎えたのは主人公だった……。
と、NTR作品にしては若干の救いがあるラストシーンだったのは、内容のハードさの反動だろうか。
(いや早い段階で警察行けよ)
プレイヤーの賢者タイムの感想の多くはそれだったという。
◇◆◇◆◇◆◇
一瞬、『記憶』に気を取られていた晃誠を魅恋が不思議そうに見上げる。
「で、何? あ、もしかしてナンパ?」
魅恋はややテンションを上げた笑顔でそう言うと、次の瞬間には柳眉をしかめた。
「や、でもあたし今こんなだよ? マジ?」
そう言って自分の顔を指し示し、眉にかかる程度の前髪を払う。
その顔には、化粧の代わりというわけではもちろんないだろうが、左頬に痛々しい赤紫の花が咲いている。額にも小さな傷に血がにじんで、甘い香りでもしそうな取り合わせの髪はボサボサに乱れていた。
「いや具合が悪いのかと思って声かけようか迷ってただけだ」
「あんた他所じゃそういうキャラなんだ。ウケんだけど」
晃誠の素朴な返答に魅恋は吹き出し、すぐに顔をしかめて腫れた頬を押さえて唸った。
(まあちょっと前までの俺だったら、放っておくかは五分五分だったかな……)
面倒を避けてスルーしていた可能性の方が高いかもしれない。
「そっちこそどうした。あんまり穏やかな状況じゃなさそうだが」
「別に……男と喧嘩しただけ。そいつのアパートにいたら人のスマホ取り上げようとしたり、うるさくて。文句言ったら髪の毛つかまれて殴られて突っ転がされたから、こっちも下半身のあたり思いっきり蹴っ飛ばして逃げてきた」
魅恋は尻をついたままの姿勢で、グルカサンダルを履いた右足を軽く上げて見せる。
「スマホだけひっつかんで部屋に上着とカバン置いてきちゃって最悪。逃げるのに大廻りして、駅で待ち伏せ喰らってたら嫌だから、ここにしばらく隠れてたわけ。もう……お菓子つまんだだけで夜も食べてないしさぁ」
言って脱力し、魅恋は拗ねたように再び膝に顔を埋めた。
「だったら店とかに入ってた方がよかないか。ここがトー横か何かと勘違いされる前に」
「ひどっ。カバン置き忘れたって言ったじゃん、サイフもそっちなわけよ……電子マネーも小銭程度だし」
(どうするか……正直、『記憶』のこともあるし、少し気にはかかる)
画面のひび割れたスマホを振って答える魅恋を見て、晃誠はちょっと思案し、提案した。
「よけりゃそこでラーメンくらいなら奢ってやるよ。食ったら駅までつきあってやる」
「マジで? いいの? やっぱりあたしのこと口説いてる?」
余計なお世話だという返答も覚悟していたのだが、意外なことに顔を輝かせてのってきた。
学校で浮いていることもあって、勝手になんとなく気難しそうだという印象を持っていたが、実はこれであんがい人懐っこいタイプなのかもしれない。
「袖擦り合うも多生の縁って言うしな。ここで放っておいて後日に山の方で、ストロベリーチョコみたいな頭した女が冷たくなって見つかったとかなったら、寝覚めも悪い」
「怖いこと言うじゃん……」
おののく魅恋に右の手のひらを向け、「ちょっと待ってろ」と断りスマホを取り出す。目的の相手はすぐに出た。
「――あっ、睦美さん、俺です。知り合いと会っちゃって、少しダベってから帰るんで遅くなります。はい、鍵は持ってます、大丈夫です――」
義家族向けの朗らかな調子で一通り用件を済ませ、通話を切ると、魅恋が好奇心に目を輝かせて見上げてきていた。
「――すんごいキャラ変。睦美さんて誰? 年上と同棲してるとか?」
「なわけないだろ。親父の再婚相手だよ、継母なんだ」
「はぁん、複雑な家庭なわけね」
「別に、よくあることだろ」
「よくあるからって複雑じゃなくなるわけでもないでしょー」
「……それはそうだよな」
神妙な顔になって頷くと、魅恋が「んっ!」と甘えた声と表情で両手をこちらに伸ばしてくる。
「――立たせてくんない?」
「あいよ」
しっとりと冷たい両手を取って上に引っ張り上げてやると、魅恋は踏み出そうとした足に力を入れ損ね、よたよたとふらついた。
「あっ……えへへ。ありがと」
晃誠にしがみつくような姿勢で支えられ、魅恋は誤魔化しの照れ笑いを浮かべる。
(腰、抜けてんじゃねーか……)
ここにへたりこみ、男が追いかけてくる恐怖に怯えていたのだろう。――先ほどの憎まれ口は無神経過ぎたかと反省する。
一瞬強張った顔を努めてなんでもないように緩め、晃誠はできるだけのんきな口調で魅恋に声をかけた。
「ラーメンの前にその格好をなんとかした方が良さそうだな」
そう言って周囲の店を見回す。
目についたドラッグストアに一度寄り、魅恋の体裁を整えることにした。
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