第三話 継母と始まる新生活
「ええっ――そんなことしなくてもいいのに」
「いいですって。新婚なんですから親父と二人で座ってテレビでも見ててくださいよ」
黒地にクマのポケットがついたエプロンをかけ、晃誠はキッチンシンクの前で腕まくりする。
継母、睦美の手料理を初めて味わった夕食後、晃誠は洗い物をすることにした。
もともと晃誠は雑に茹でたり煮たり焼いたり炒めたりの、「自分が食べるものだからなんでもいいや」レベルで、料理らしい料理はできない。それすら普段あまりやらないのは、何より後片付けが面倒だからだ。
作るのはいいが、洗い物は面倒臭い。食器だけでなく、凝った調理をするほど洗わねばならない調理器具が増えるのが嫌だった。
晃誠はインスタントラーメンも小鍋から直に菜箸で食べるタイプだ。
逆に言えば、後片付けというのは食事を作ってくれた人へのちょうどいい返礼になるのでは? と思い至って行動に移すことにしたのである。
急造家庭の良好な空気の醸成というものを考えたら、初期から早々に一人で部屋に籠もるというわけにはいかない。そうした部分から変えていく必要があるだろう。
しばらく困惑気味の笑顔でこちらを見上げていた睦美だが、最終的には「じゃ、お願いするね」と改めて微笑むとリビングのソファ、雄大の隣に腰掛けた。
晃誠は洗ってすすいだ食器類を、ふきんを敷いたワークトップに伏せていく。
(四人家族ぶんだと食洗機とかあった方がいいんだろうか。いや、俺が考えることじゃねえな)
継母が使いやすいように勝手に整えていくだろう。
気付くと、テーブルを拭いていた睦希が隣に来て、洗い終えた食器を拭き始めた。
「……一人だけ部屋にも戻りづらいし、私の身の置き所がないじゃないですか、もう」
口を尖らせてそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇
「ああ、二人とも、これは今月の小遣いだから」
雄大がテーブルの上に並べた封筒を、晃誠はひょいと拾い上げて中身を覗く。
「ありがとうございます」
「……中身、確認した方がいいぞ」
封筒を一度押しいただくようにして礼を述べた睦希に、晃誠は耳打ちした。
中身をちょっとだけ引き出して確認した睦希は目を剥く。
「――あのっ、私、こんなにいただけないです」
一般常識の範囲で考える高校生の小遣いとしては、少々多すぎる額面だった。
「やっぱり、そうよね。だから言ったじゃない」
と、我が意を得たりという顔で頷く睦美。
「そうか? ゴールデンウィークだし、友達とも遊びに行くならこれくらい……」
「すいません睦美さん。今までウチはちょっと特殊だったんで――」
不服そうな父を見て、晃誠が割って入って説明する。
離婚後、最初こそ家のことをしっかりやろうとしていた雄大だったが、生活はだんだんと破綻していった。
晃誠が中学も二年になる頃には、ある程度まとまった金額を渡しておいて、それぞれで勝手に食事をしたり、学校や生活上で必要なものを自分で調達、管理させ始めたのだ。
要するに、小遣いという名目の生活の費用みたいなものだったのである。
今考えると、ただの中学生が健全な金銭感覚をもって生活をマネジメントできていたのは、なかなか奇跡に近かったのかもしれない。
「まあそんなわけで、俺らにとって子供の小遣いに関する感覚は少々狂っちゃってるところがあると思うんですよね……。これからは食事もおおむね家族でするわけだし、小遣いの範囲と、別に必要なものは要相談とか、睦美さん達の感覚でちゃんとやっていく方がいいかと」
息子から苦言を呈された雄大は口をへの字にしているが、ここは晃誠も退けない。
『記憶』の支援を受けているから理解できる。
雄大は、金を出すことで家庭の面倒な責任から逃れたいと考えがちなタイプだ。それが卑怯な態度だと自分でも感じてはいるから、その罪悪感で余計に金額を上乗せしたりする。伊達に妻に逃げられた男ではない。
それをもし父子二人きりの時に言えばとうぜん喧嘩になるだろうし、睦美と睦希の前ではっきり指摘してしまえば確実にヘソを曲げる。
実際、雄大は今も面白くなさそうな顔をしていた。
「雄大さんもそれでいいかしら」
「わかった、じゃあ来月からな。睦希ちゃんも今月は引っ越してきたばかりで、まだ部屋に揃えたいものなんかもあるだろうし、これくらいさせてくれ
大きく息をつき、雄大が頷く。
「はい。――晃誠くん」
「なんでしょう」
「あなたのお父さんはね、子供をかまってやりたいけどどう接したらいいかわからない、それが手っ取り早く物とかお金に出ちゃう人なの。金額が気持ちだと思ってるのね。そういうところ、尻をひっぱたいてやりたいと思って私はこの人と結婚することにしたってわけ。もちろんそれだけではないけれど」
罵倒なのか惚気なのかわからない唐突な言葉に、雄大は口に運んだお茶を吹き出し、晃誠と睦希は唖然とするしかなかった。
父にはそういう面も確かにあるのかもしれないが、物は言いようという気もする。
「それは……また……なんと言えばいいのか……ごちそうさま、です?」
「だから、お父さんのことは任せておいてちょうだい」
咳払いする夫の肘を引き寄せた母を見て、睦希が恥ずかしそうに封筒で顔を隠す。
晃誠としては苦笑して、「よろしくお願いします」と答えるしかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
夜更け、寝る前にノンカフェインのカフェオレでも飲もうとダイニングに降りた晃誠は、睦美とばったりとかち合った。
「ちょうど良かった。ちょっといいかしら」
ピンクベージュのネグリジェ姿でリラックスした様子の継母に、自分は意識しすぎなのかとちょっと考えてしまう。
ネグリジェと言っても、男が想像しがちなベビードールのような薄いレースの扇情的なものでもなければ、フリルやプリーツでプリンセス感たっぷりなものでもない。いたって落ち着いた、前開きワンピースのパジャマといったデザインだ。ゆったりしたドレープが女性的で優美なシルエットを演出している。
「ごめんなさいね、さっきは変に混ぜっ返すようなこと言って」
「いえ……俺も親父の機嫌損ねたかなと思ってましたから。フォローしてもらっちゃって……」
見た目おっとりで天然そうだが、そのイメージに反して明敏な女性のようだ。
(まあ親父の性格があれで、俺がこれじゃあ、誰でも関係は悲観的に捉えるか)
「ううん、それは別にかまわないのよ。家族になる……なったんだし」
そう言って笑い、慎重に言葉を選ぶように続ける。
「だからね、その……食事の時なんかの会話でも、晃誠くんが私たちに気を遣ってくれてるのは感じるし、そこは素直に嬉しいんだけど、それで貴方とお父さんの関係がぎくしゃくするようなことがあったらよくないかなって」
「う~ん……別に親父とそこまで仲が悪いってわけじゃないんですよ。まあお互いにあまり踏み込まず悪化するほど近付かないようにしてるだけですけど。――ていうか、気を遣ってるつもりで睦美さんたちに気を揉ませてるようじゃ本末転倒ですね」
「そういう水くさいこと、言わないの」
「すいません。これからも父のことに関しては甘えさせてもらいます」
実際、継母には是非しっかりと旦那の手綱をとっておいていただきたいと思うものの、そういう話でもないのだろうという事は晃誠だってわかる。
おそらく自分が父子関係のバッファーになることを考えているのだろうが、晃誠としてもまだそこまで介入されることに関しては若干の抵抗もあった。
「まあ、関係の改善に務めるのはおいおい……藪をつついてお二人に嫌な空気を吸わせるようなこともしたくないので」
「そうね……ごめんなさい。私もせっつくようなつもりはないの」
デリケートな問題であるだけに、そう言えば睦美もそれ以上は何も言うことはないようだった。
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