第二話 義妹と始まる新生活

「本日からお世話になります……で、いいのかしらね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ゴールデンウィーク半ばに、古峰家は新しい家族を迎え入れた。

 定型句があるような出来事でもないため、互いになんとなく言葉を選びながらの挨拶になる。


 雄大と睦美の婚姻の届け出は休み前に済ませており、その晩には四人揃って少々格式張ったレストランでお祝いもした。

 二人の家具や荷物も数度に分けて計画的に運び込んであるので、後は最後に持ってきた本当に最低限の荷物と、部屋の整理だけだ。力仕事は終わっているので、男の出番はほぼないだろう。


 落ち着くまではまだまだかかるだろうが、とりあえずの新生活スタートということになる。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 夜はピザでもとろうという話になり、晃誠はいったん部屋に戻った。

 義妹となった睦希が隣の部屋で荷解きをしていると思うと、なんだか落ち着かない。彼女は自分以上の居心地の悪さと、先行きの不安を感じているだろうとは晃誠も思うが。


 『記憶』にある『僕の隣に君はもういない~古峰睦希の場合~』のシナリオでは、ヒロインの睦希は母の再婚による新生活に苦痛を感じ、家に帰ることに抵抗を覚えるようになる。


 はじまりは学校で自習したり、寄り道をしたりして時間を潰す程度。そのうち事情を知る友人達と一緒に過ごすようになると、男子のグループも交えてカラオケに行くなど、そのメンバーの中にいる主人公とも親睦を深めるのだ。

 そして主人公は睦希に告白し、家庭からの逃げ場を求めていた睦希もそれを受け入れる。


 二人が付き合い始め、若干強引なファーストキスにぎくしゃくするなどイベントをこなしていくと、いつしか睦希が家族を優先することが増えるようになる。


 多少の不満も感じながら、それ自体は家庭の問題が解決したならいいかと主人公は無理やり納得する。

 そこで睦希の言動や周囲に、学校では有名な不良である義兄の陰がちらつき始め、主人公とプレイヤーは不穏な空気に苛まれる流れだ。


 決定的なのは人気のない特別教室棟の外階段で、抱き合ってキスをしている二人を目撃したこと。

 問い詰めると睦希の謝罪とともに彼女視点での裏面ストーリーが始まる。


 オチを先に言うなら『古峰睦希の場合』はいわゆる「純愛NTR(寝取られ)」に属する。

 端的に説明するならば、「ヒロインにもっと心惹かれる誠実で魅力的な相手が現れ、そちらに乗り換えて幸福になる」のを二股期間を設けて行われる話だ。


 もちろん事後の賢者タイムにはヒロインの不誠実さが問題になりがちな構成であり、主人公側にも瑕疵かしが設けられるなどする。

 寝取られ物というのはどうしても主人公、ヒロイン、寝取り役の誰か、あるいは全員に何かしら問題がないと成立させづらいジャンルなのである。


 二人の話のきっかけはある日、特に帰りの遅くなった娘を心配する睦美を見かねて、義兄が睦希を駅まで迎えに行った時。

 夜道に不安を覚えていた睦希は少しだけほっとするが、家に帰ると心配していた睦美と一悶着が起きる。

 親に振り回される立場から助け船を出す形で義兄が仲裁に入り、家族劇が始まる。

 母娘は言いたいことを言い合い、仲直りし、結果的に義兄との距離も近付くことになる。


 続いて義兄の心中を知った母娘も男親子の関係修復に動き始める。

 その中で睦希は義兄の抱えた寂しさや、ぶっきらぼうな態度に隠れた優しさに触れて惹かれるようになり、義兄も心に空いた穴を埋めるように睦希を求めるようになる。

 親のことを考えると二人はどうにも関係を言い出しづらく、主人公にも睦希は別れをなかなか切り出せずにいたのだ。


(これが俺の妄想の産物だったら俺は相当やばい奴だな)


 医者に行った方がいいのだろうかと本気で考える。


 睦希と義兄の関係はかなり念入りに甘酸っぱく描写されていた。

 実はこちらが本編のハートフルドラマで、主人公の方が何かの間違いで物語に絡んでしまった余計者だった――というくらいの方が、寝取られ作品としての完成度が高まるということかもしれない。


(しかし、妄想だろうが用意された筋書きだろうが、俺がその義兄の立場になることはないな)


 睦希は客観的に見て可愛い少女だと思うが、義妹とどうこうなどと考えようとは思えない。

 彼女を求める心の穴とやらも、晃誠のそれは『記憶』の存在感で既に埋まっている。


 そもそも両親のことや中学時代の自身の失敗から、晃誠は恋愛や男女関係というものに夢や幻想、憧れを抱いていないので、あまりピンとこない。

 切ない想いに胸を焦がし、眠れぬ夜を過ごしたような経験もない。


(まあ、NTR竿役には恋なんかできないってことだ)



 ◇◆◇◆◇◆◇



 朝目覚めた晃誠は、いつも通りすぐに部屋を出ようとして思い直し、クマ柄のパジャマを脱いでトレーナーとイージーパンツという部屋着に着替える。

 顔を洗ってダイニングキッチンと続きのリビングを覗くと、睦希がちょこんとソファに座って、コーヒーを飲みながらテレビを眺めていた。


(だらしない格好で家を闊歩する自由は失われたか……)


 パジャマくらい……と思わないでもないが、同居を始めた昨日の今日では、まだ他人が家にいるようなものだ。そのへんはお互い様というか、男の自分が若干息苦しさを覚えるくらいだから女性陣はなおさら気を遣いそうだと感じる。


 一呼吸考えて、義妹がこちらに気付いて振り返る前にと、言い慣れない言葉を絞り出す。


「おはよう」

「おはよう、ございます」


 睦希が振り返ってぺこりと頭を下げる。


(我が家で朝の挨拶なんて何年ぶりだ?)


「あの、はは――お母さん達は二人で朝の散歩に出かけてます。昼は外へ行くけど朝はパンでも焼いて食べててくれって……昨夕はピザを食べて、食材の買い物をすっかり忘れてましたからね」

「ああ……そうか」


 あまり自炊などをしてこなかった古峰家の冷蔵庫には何も期待できない。


「二人で朝の散歩ねえ……熟年夫婦みたいだが、親父が女性とどんな話してるのか想像できないな」


 言いながら電気ケトルで湯を沸かし、トースターに食パンをセットする。

 待つ間、ふと何の番組か確認してみようとリビングに歩み寄ると、睦希がこちらを見てきょとんとなった。


(何を……ああ)


 彼女が見ているのは晃誠の耳だった。


 『記憶』に目覚めた一月前から、ロブ(耳たぶ)の左右一つずつを残してピアスを取り去っていたが、塞がりきっていない孔の跡が耳全体にぽつぽつと残っている。

 外出時にはピアスホール用のファンデーションテープにコンシーラーを塗り重ねて隠していたので、この状態を彼女が見るのは初めてだ。


「悪い、朝っぱらから気持ち悪いもの見せたな」

「あっ、いえ、そうじゃなくて……やっぱり初めて会った時はもっとピアスしてたなって……すみません」


 苦笑して耳をしごく晃誠に睦希が頭を下げる。


「あの時はちょっとガラ悪かったかなと思ってさ」


 だいぶ印象の悪い態度をとっていたはずだ。その後何度か会った時は一応愛想も改善したのだが。

 何のわだかまりもない継母や義妹にストレスをかけるのは晃誠も本意ではない。今の自分なら適切に距離を測れるのではないか。


「なんだか気を遣わせたみたいで」

「いや、やめたらやめたで開放感の方が強かったりするんだ、こういうの」


 特にファッション的な信念を持ってやっていたわけでもない。周囲への威嚇や挑発、あるいは父親への当てつけじみた自傷行為という面が強かったことが今なら理解できる。


「耳ってね、けっこう垢がたまる場所だし、沢山つけてると付け外しもメンテも大変なんだよ。服脱ぐ時なんか引っかけないように気を遣うし。こうやって襟元引っ張って広げて頭だけ先に通すとかさ」


 慣れて習慣になっていたようでいて、『もうそんな手間は必要はないんだ』と実感した時の開放感と耳がさっぱり軽くなった感覚は格別のものがあった。


「そういえば友達も似たようなこと言ってました」

「ピアス引っかけて腫れるくらいならいい方だよ。軟骨ピアスはともかく、肉にあけてるホールは裂けて広がることもあるし。拡張ホールがちぎれたり、穴が二つ三つ繋がって耳たぶが二股になった奴もいる」

「うへぇ……」


 きゅっと眉と肩をすくめる睦希。


「顔とか体にもピアスあけてる奴は相当気を遣うし面倒なんじゃねえかな……」

「確かに、顔なんてそのうえに化粧もありますもんね。顔のあちこちにピアスつけてるような、そういう人ほどきっちりメイクしてたりしますし。ピアスはもちろん穴自体も化粧には邪魔になりそうな」


 大きく頷きながらふーんと唸ると、睦希は納得したように続ける。


「なんか……そういう人って一見ちょっと怖いと思ってましたけど、考えてみると実は本人だいぶマメじゃないとできないファッションですよね」

「まあ、神経質とか繊細さんが多いって話も聞くかな。メンタルが沼にはまるとタトゥーなんかもいれたりして」


 睦希は首をかしげて興味深そうに晃誠の顔を見つめた。


「それ、晃誠さんも実はそういうタイプだって話ですか?」

「……ノーコメントで」


 年下の少女にくすくすと笑われ、なんとなくばつが悪くなった晃誠は、話題を少しだけ方向転換する。


「睦希ちゃんもピアスは興味ある方?」

「そうですね、高校入ったらあけてみたいとはぼんやりと考えてました。――あ、もちろん左右一個ずつくらいですよ?」

「うちの学校そういうのうるさくないし、いいかもね。俺のはさすがにやり過ぎで目ぇつけられたりしたけど」


 教師が顔をしかめるだけではなく、一年の一学期は上級生に呼び出されたことも何度かあった。


 不良グループと言えるほどのつるみ・・・は存在しない学校だし、ちょっと目立つ下級生を呼び出してどうこう、ということを実行に移すような軽率な生徒はそう何人もいなかったので、極めて小規模なイベントだったが。

 抵抗の結果どうにか痛み分けに持ち込み、「無意味で割に合わない行為」と冷静にさせることには成功して、夏休み明けからはそういうこともなくなった。


 学校では一匹狼の不良――今時恥ずかしいフレーズだが、本人も他に表現の言葉を持たない――としての立場を確立している晃誠だが、何の痛い目も見ず代償も払わずに「人を寄せ付けず、かつ侮られない」ポジションについたわけではないのである。


 トースターの鐘が鳴ったこともあってなんとなく会話が終わり、朝食の支度に集中する。

 バターを塗ったパンを頬張り、コーヒーで胃に流し込んでいると雄大と睦美が帰ってきて、二人っきりだった緊張からは解放された。


(意外と打ち解けられそう……だよな?)


 高校一年の少女に、家にいるのが辛いと思わせるのは心が痛む。


(仕方ねえ)


 ここは多少の無理を押しても絶対に改善するべきところだと晃誠は思った。

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