第37話「そして、ふたりはまた出会う」

「お疲れ様でーす!」


いつものように挨拶し、オフィスを出る。足取りは軽い。最近は、残業も減ったし、心の余裕も少し増えた気がする。


沙織は、ふと立ち寄ったコンビニでアイスカフェラテを買った。スリーブの文字が目に入る。


《今を、生きよう》


「…最近、こういうの多くない?刺さるなあ」


呟きながらスマホを開くと、YouTubeのおすすめに、見覚えのある顔がサムネに並んでいた。


春日駿。彼女の“かつての推し”。


いや、今も推しに変わりはない。だけど、依存はしていない――はずだった。


「……見ない、って決めたんだけどなぁ」


再生ボタンに指がかかる。


迷っていると、画面が勝手に切り替わり、動画が再生された。


(あ、オート再生……)


あの独特の、優しくてどこかはにかんだ駿の声が流れる。


『今、自分に言いたいのは…「ちゃんと立ってるよ」ってことですね』


『どんなに迷っても、立ち止まっても、そこで止まらなければ、ちゃんと続きがあるんだなって』


スタジオの照明の中、真っ直ぐカメラを見る駿。


その表情に、不意に胸が詰まる。


(ああ、ずるいよ…そんなこと言われたら…)


沙織は気づいたら、涙をこぼしていた。


頬を伝う温かさに驚いて、急いでカフェラテの紙ナプキンで拭った。


「推しの言葉で泣くの、卒業したつもりだったのになあ…」


でも違う。今回は「救われた」わけじゃない。


駿の言葉が、まるで自分の声のように感じられたから。


(私、ちゃんと歩いてる。前に)


***


数日後。


「うわー、雨、急すぎでしょ!」


昼過ぎまで晴れてたのに、帰り道はバケツをひっくり返したような雨。しかも傘は持ってない。


最寄り駅の高架下で足止めを食らい、空を見上げていたそのとき――


「……さおりさん?」


背後から聞き覚えのある声。


驚いて振り返ると、そこにいたのは、


「――えっ?駿くん……?」


まさかの、本人登場。


カジュアルなキャップに、ラフなジャケット。傘を片手に、少し驚いた顔でこちらを見ている。


「久しぶりですね」


「……う、うん、そうですね。あの、え?」


「あっ、ごめん、急に話しかけて」


駿が笑った。まるで、昔からの知り合いみたいに。


「ちょうど近くで収録してて。歩いてたら、なんか見覚えある後ろ姿があって」


「私、そんな特徴的でした…?」


「いや、わかるもんですね。なんか、オーラ変わりました?」


「え、ええと……成長?ですかね?」


変なテンションで返してしまった。


「すごくいいと思います。前より、なんていうか、自然体で」


「そ、それは……ありがとうございます」


何を話していいかわからない。推しに偶然会った。前なら挙動不審確定案件だったけど。


今は、落ち着いていられる。不思議な感覚。

(状況が現実離れし過ぎてるから・・・?)


「あ、傘ありますよ。ご一緒しましょうか」


「あっ、でも、忙しいんじゃ…」


「帰り道なんで。送らせてください」


差し出された傘の中に、ふたり並んで歩き出す。


雨の音が、思ったより静かだった。


***


「そういえば、この間のトーク番組、見ました」


「えっ、ほんとですか?」


「はい。ちょっとだけ、泣きました」


「うわ、それ嬉しいけど、なんか照れますね」


「“ちゃんと立ってる”って言葉、すごく響きました。……なんだろう。自分に言われてるみたいで」


「それ、僕も自分に言い聞かせてました。実は、あれ台本ほぼ無視で喋ったんです」


「えっ」


「現場スタッフに怒られました。でも、言いたくて。言わなきゃって、思ったんです」


沙織は足を止めた。駿もそれに気づいて、振り返る。


「……その言葉、ちゃんと届いてます」


「ありがとうございます。そう言ってもらえると、救われます」


「……前は、あなたに救ってもらおうとしてばかりでした。でも今は違うんです」


「うん?」


「自分で立てるようになったから。今こうして、あなたと自然に話せてるのが、たぶんその証拠です」


駿が、ふわっと笑った。


「ああ、なんか……すごく、いいですね、それ」


「ふふっ、なにが?」


「“推し”じゃなくて、“ひとりの人”として話せてる気がします。今のさおりさん、すごく素敵です」


「それ、褒めてます?」


「もちろん!」


照れ隠しに、ちょっとだけ前を向いて歩き出す。


ふたりの傘が、雨の中で少し近づいた気がした。


《現在の数値:50/100》


変わらない表示。でも、沙織の表情は晴れやかだった。


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