第35話「モテ期と告白ラッシュ」
「……あ」
交差点の角、信号待ち中。ふと足元に目をやった沙織の口から、小さく声が漏れる。
アスファルトの隅に、クシャっと潰れたコンビニのレシートと、飴の包み紙。それに空になったペットボトルが寄り添っていた。
反射的にしゃがみかけたその瞬間、沙織はハッと手を止めた。
「……あれ、もう“呪い”って……ないんだった」
手を止めたまま、自分のスマホを取り出す。いつものアプリを開くと、そこにはもう見慣れた数字。
《現在の数値:50/100》
「うん、だよね。もう変わらないんだよね」
占い師との最後の対話を思い出す。もう、無理に善行を積まなくてもいい。
じゃあ、これは――拾わなくてもいいごみ?
「……いやいやいや、だからって“拾わない理由”にはならんのよ!」
思わず自分にツッコミを入れながら、しゃがみ込む。ゴミをビニール袋に入れて、近くのゴミ箱へ。
「善行って、べつに誰かに評価されなくても……気持ちいいものだったんだな」
ふっと小さく笑って、歩き出したその瞬間――
「沙織さん!」
突然、背後から声が飛んできた。
「えっ、だれ……あっ、五十嵐さん!?」
以前、職場の飲み会でしれっと告白してきた、経理部の五十嵐さんがそこにいた。
「ずっと探してたんです!今度こそ本気で伝えたくて……好きです!付き合ってください!」
「え、また!? しかもストレート!!」
「前は勢いで言っちゃったけど、今度はちゃんと気持ち固めてきました!」
「う、うれしいけど……ごめんなさい。気持ちはありがたいんですけど……今はまだ、自分のことに集中したくて」
すると五十嵐はあっさりと――
「……なるほど。うん、それも素敵ですね。やっぱり沙織さんは、まっすぐな人だなぁ。ありがとうございます!」
さわやかに笑って、そのまま去っていった。
(あれ、五十嵐さん、こんな好青年だったっけ……?)
そう思ったのも束の間――
「桐谷さんっ!」
今度は駅前のカフェから出てきた男が一人、駆け寄ってくる。
「……えっと、え、えーと……確か……パフェで喧嘩した男の人?」
「覚えててくれて嬉しい!あのときはひどいこと言ってごめん。でも、あれから色々考えて……」
「まさか……」
「好きです!俺と、カフェ巡りしてください!」
「デートに誘う内容、軽っっ!!」
「……ですよね。でも、あなたみたいな人と一緒に過ごせたら、なんだか人生が豊かになる気がして」
「あの、ありがとうございます……でも、すみません。やっぱりその気持ちには応えられなくて……」
「……そっか。でも、言えてよかった。失礼します!」
颯爽と背中を見せて去っていく彼。
(……なにこの全員“名シーン風”で去っていくシステム)
頭を抱えながら、沙織は再び歩き出す。すると――
「さおりん先輩〜!」
「えっ、誰!?」
「同じ派遣の、原田です!この前のお弁当、わざわざお箸貸してくれたじゃないですか!」
「ああ、あのときの……?」
「それが嬉しくて!先輩、めっちゃ素敵だなって……!」
「待って待って待って、これも告白案件なの!?」
「俺、先輩と二人でお弁当食べたいです!!」
「お弁当から!?そこから愛育てに来た!?いや、ありがとう。でも、気持ちはありがたくいただいておくから!」
「はいっ、ふられても元気でいられます!先輩が元気ならそれでいいっす!」
敬礼までして、笑顔で去っていく原田くん。
「……なんなの今日。モテ期の無料体験キャンペーンでも開催中なの?」
さすがに疲れて、近くのカフェに逃げ込む。ふぅと深呼吸して、席につくと――
「……え?」
今度は店員さんがメモを差し出してきた。
「お客さま、さきほど席で落とされていたようで」
受け取ったメモには、ぎこちない文字でこう書かれていた。
「いきなりごめんなさい。よかったら今度、一緒に読書しませんか?」
沙織はそっと手で顔を覆った。
「もう無理……今日だけで人生何周分告白されてるの……」
でも、不思議と心は穏やかだった。
(昔の私なら、全部に戸惑って逃げてただろうな。今の私は、ちゃんと向き合って、ちゃんと断って、それでも人に優しくできてる)
そして、誰一人、悪く思わずに去っていった。
善行でも呪いでもない。
ただ、彼女が「自分の言葉で、自分の行動を選んだ」だけのこと。
その夜、日記アプリにひとことだけ書いた。
「今日はなんか……色んな意味で、モテました。たぶん前世で徳を積んだ」
そして最後に、スマホをそっと確認する。
《現在の数値:50/100》
「……うん、これでいい」
パラメーターがどうあれ、彼女の中には確かな実感があった。
(幸せって、自分で選んでいいんだ)
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