第22話「ハートと善行は両立しません(※本人だけ)」

「桐谷さん、少しお話、いいですか」


帰り支度をしていた沙織の前に現れたのは、同じ部署の後輩・田中くん。営業アシスタントの若手イケメンで、女子たちの人気者。

沙織は心当たりがなく首をかしげる。


「落とし物…ですか?」

「え、いえ、違います。落ち着いてください」


落ち着いてないのは田中くんの方だった。顔は真っ赤、手は汗でテカっている。

「ぼ、僕……桐谷さんがずっと気になってて……」

「えっ」

「この間、駅の階段で僕のUSB拾ってくれましたよね? あのときのお礼が言いたくて、いや、それだけじゃなくて……!」

「USB……」

(あれ? 私、落とし物届けた記憶……ああ、あのときか!)


善行パラメーターが50切りかけていた週末、駅の階段で落ちてた小物を拾って交番に届けた。

(なるほど、これもポイント稼ぎの一環だったのに……え? 告白??)


「好きなんです! よかったら食事でも……!」

「えっ、ご飯? えっ、あの、USBのことですよね?」

「……え?」


そこから3秒で田中くんの顔から血の気が引いた。

「USBも嬉しかったですけど、僕が言いたかったのは……その……人柄に惹かれてっていうか……」


完全に場の空気を読み損ねた沙織、気づいた時にはもう遅い。

「す、すみません……!」

田中くんは逃げるように去っていった。


――《現在の数値:64/100》


(え、今ので上がるの!?)


翌日。


「桐谷さん、最近変わりましたよね」

「えっ、変わってないですよ!」

「いえ、いい意味で。優しいっていうか、なんか……話しかけやすくなった気がします」


職場の女子たちからもそんな声をかけられ、沙織は戸惑いながらも、ようやく自分の“行動”が何かを変え始めていることを実感する。

(でも全部、善行ポイントのためだったのに……)


まるでゲームのNPCみたいに、“親切イベント”を片っ端からこなしてきただけ。

なのに、それが人の心を動かしている?


(いやいや、気のせいだって)


その頃、春日駿は祖母の家でメモを広げていた。


「ばあちゃん、前に助けてくれた女性のこと、もうちょっと詳しく覚えてる?」

「そうだねぇ……あの人、駅のベンチで、わたしに水と飴をくれたんだよ」

「うん、それ覚えてる。でもさ、どこの駅だったかって……」

「うーん、あれはね……たしか南荻窪駅よ」


駿の目が光る。


「南荻窪……! よし、ちょっと調べてみよう」


祖母の証言をもとに、駿はその駅付近の監視カメラ映像や、SNSの投稿記録を洗い始める。ファンの中に“偶然居合わせた人”がいるかもしれないという直感があった。


一方そのころ、沙織は昼休みにふらっと立ち寄った公園で、転んだ子どもに絆創膏を渡していた。


「ありがと、おねえちゃん!」

「い、いえ……よかったらこれもどうぞ。バナナ味のラムネ……(期限切れじゃないよね!?)」


――《現在の数値:67/100》


「ふぅ……善行って、ほんとタイミング勝負だよね……」


自販機の前で小声でつぶやく沙織。


その姿を、偶然通りかかった女子高生たちが撮影していた。


「ねぇ、この人、たまに見る“さおりさん”じゃない? Twitterの善行アカの人じゃない?」

「え、マジで?」


SNSには、こうした「目撃情報」がこっそり蓄積されていく。


そしてその夜。


駿はまた、ファン用の裏アカウントを使って、それらの情報を見つめながらつぶやく。


「やっぱり、“@sao_sao_love”……この人じゃないかな。祖母を助けた“さおり”って」


しかし、まだ決定打にはならない。


(会いたいな。直接、ありがとうを言いたい)


夜、沙織の部屋。


「今日も善行できた。うん……」


鏡の前でそうつぶやいたとき、ふと、田中くんの顔が思い出された。


「……ごめん、あれはほんとに私のせいだよね」


スマホを見ると、職場グループLINEで田中くんが「明日は有給です」と送っていた。


(……本当に私が人に何かを与えられてるのかな)


少しだけ、善行の意味が“数値”ではなく“誰かの気持ち”として染みてきた気がした。


《現在の数値:67/100》

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