第5話「善行サボったら階段で人生転げ落ちた件」

「は〜、今日はなーんにもしたくな〜い」


月曜の朝、ベッドの上で全力の伸びをかましながら、沙織は開口一番そう言い放った。


土日に善行頑張りすぎたツケが、月曜のテンションとして回ってきた形である。


(つーか、席譲っただけでなんでこんなに体力削られてんの?善人ってブラック労働なの?)


もぞもぞと布団から這い出し、洗顔、着替え、メイクをいつもの流れ作業でこなしてから、スマホを手に取る。


《現在の数値:51/100》


「……うん、まあ、ギリギリセーフだね?」


※前提:50を下回ると地味な不幸が発動します。


(てかさ、考えてみればちょっと下がったところで何が起きるわけでもないし?あんまり気にしすぎても人生つまらないっていうか……うん、今日はもう“普通の一日”ってことで)


完全にフラグを立て終えた状態で、沙織は家を出た。


会社では、特に何も起こらず、定時ダッシュに成功。


「平穏ッ!!パーフェクト平穏!!ありがとう私のノー善行デー!!」


浮かれながらスマホを見る。


《49/100》


「……あれ?」


心なしか、風の音が冷たくなった気がした。


(49って……あ、ギリ下回ってる……)


だが、このときの沙織はまだ気づいていなかった。パラメーター49の恐怖を――


その事件は、帰宅途中の駅の階段で起きた。


トン、トン、トン……


何気なく足を踏み出す。


ヒールのかかとが、階段の端に――


グキッ。


「……え?」


その瞬間、視界が斜めになる。


「いってぇぇええええええ!!!!!」


ズサーッ!!!


見事な前のめりスライディングで数段を滑り落ち、最後の着地は膝から。もちろんヒールはふっとんだ。


まるで映画のワンシーン。だが、主演女優は沙織。ジャンルはラブコメではなく、間違いなくドキュメント“痛い女”系。


駅員「だ、大丈夫ですかっ!?救急車呼びますね!」


沙織「いや、全然平気です……って言いたいところなんですけど、多分折れてます……心と膝……」


膝の痛みによる涙か、笑いすぎた自分への情けなさの涙か、それはもう定かではなかった。


翌日。


病院のベッドにて。


ギプスでがっちり固定された足を前に、沙織は天井を見つめていた。


「……ほんとに来た。中程度の不幸。いや、中程度っていうか、普通に重くない?ヒールで滑るって、アニメかよ……」


昨日、帰宅後に確認したパラメーターはこうだった。


《41/100》


(あと1ポイントで中程度の不幸ってとこで、この仕打ち……呪いさん、仕事が早い……)


だが、ふとスマホを取り出して再度数値を確認すると――


《56/100》


「えっ、回復してる!?階段でダイブしたら回復すんの!?」


※ルール:不幸が起きるとポイントは回復します。


「ってことはさ、今後の人生で“ちょっと下がったな〜”ってときは、派手に転んどけばチャラってこと……?いやいや、それは極端すぎる……いやでも、手っ取り早い……?」


一人、病室で悶々としながら、ベッドに深く沈み込む沙織。


そこへ、看護師さんが笑顔でやってきた。


看護師「あら〜沙織さん、来週の退院まではのんびりしててくださいね。なんなら、善いことでもして、徳を積んでおくと運気上がるかもですよ〜?」


沙織「もうそれ、まんま呪いの人と同じこと言ってますけど!?」


看護師「え?」


沙織「あ、いえ、なんでもないです……」


(てかこの病院でも、また“善いこと”とかやらなきゃいけないわけ?もしかして私、この人生から抜けられない……?)


そのとき、廊下から元気な子どもの声が聞こえてくる。


「ママー!こっちこっちー!」


「まって〜!」


沙織(……ああ、絶対迷子フラグ……)


《現在の数値:55/100》


ベッドの上の沙織、ふぅ〜っと深いため息。


「……もう、いいよ。やってやろうじゃないの、善行ってやつを……」


善行は、転ぶよりはマシ。


そう呟いて、沙織はゆっくりとベッドから立ち上がる準備を始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る