良いことしないと不幸になりますと言われたので、打算的に善人やってたらアイドルに好かれました

御幸 塁

第1話「あなた、不幸になるわよ…」

「ふぁ~……月曜からこれかぁ……」


桐谷沙織、29歳。派遣社員、彼氏なし、趣味は推し活。華やかさゼロ、地味さ満点。今日も定時に終業し、駅までの道をぼんやり歩いていた。


会社では“いい人止まり”のポジション。派遣仲間とつるまず、上司とも必要最低限の会話。たまに新しく入った若い子に「えっ、桐谷さんってもうすぐ30なんですね~!」なんて悪気のない地雷を踏まれ、「そうだけど何か?」と内心でだけ返す日々。


そんな彼女の心のオアシスが、帰り道にスマホで見る推しのSNS。今日は彼――春日駿の新しいCMが解禁される日。満員電車を避けて帰るため、少し遠回りの静かな通りを歩きながら、スマホを取り出してニヤニヤしていたその時。


「あなた、不幸になるわよ……」


「は?」


不意にかけられた声に、反射的に足が止まった。


「ん?」と顔を上げると、そこにいたのは年齢不詳の派手な格好の女性。真っ赤な羽織に大きなサングラス、首には鈴がジャラジャラついたネックレス。完全に“関わってはいけない”オーラを放っている。


「……すみません、急いでるので」


沙織は軽く会釈して通り過ぎようとする。


「そこの……そこの綺麗なお姉さん、ちょっと!ほんの数分!数分でいいの!」


「……綺麗なお姉さん?」


思わず足が止まる。綺麗、というワードに反応してしまった己を内心で殴りたくなる。自分でもわかっている。地味で冴えない29歳。でも、“綺麗なお姉さん”と呼ばれたことなんて、最近では宅配便の人にも言われてない。


「はぁ……で、何ですか?」


「良いことしないと、不幸が訪れる呪いがあなたにかかっています」


「うさんくさ!」


即答。


「よくあるじゃないですか、『3日以内にこれを誰かに送らないと呪われる』的な。そういうチェーンメール的なノリで声かけてるんですか?」


「違います。これはガチです」


「『ガチ』って……占い師が言っちゃダメなやつじゃないですか?」


「あなた、最近心の底から幸せを感じたのはいつ?」


「……昨日、推しのツイートに“いいね”された時?」


「それ、ポイント下がってます」


「え?」


「あなたには今から、“善行パラメーター”が見えるようになります。ほら」


そう言って、女性は沙織の額をぴたっと指で押した。


「え、ちょっ……うわっ、近っ!今の何ですか!?やめてくださいよ!」


「見てごらんなさい、あなたの“現在値”は……っと、はい。52ですね。ふむふむ、そこそこですね」


「ちょ、なにその数値……え、え?なんで頭の上に数字が浮かんでるんですか!?怖っ!えっ!?!」


そこには、なぜか沙織にもはっきり見える、青白く光る数字52/100が浮かんでいた。


「……やば、なんかドラクエのMP残量みたいになってる……え、なにこれ?どういう仕組み?え、私疲れてる?これは疲労幻覚?」


「このポイントが下がると、不幸が起きる。50を下回れば小さな不幸、40で中程度の不幸、ゼロになれば……死にます」


「いきなりデスゲーム始まった!?ちょっと待って、なんで私が……」


「因果は巡るもの。この呪いを解くには……打算でも何でも構わない、“良いこと”をしなさい。善行よ」


「は?なんでそんな面倒な縛りプレイしなきゃいけないんですか?」


「それは……あなたが、なんとなく悪人ヅラだからです」


「失礼極まりないなこの人!!!!!」


「まあ、冗談はさておき。目に見えるポイントは、これから常にあなたに付きまといます。良いことをすれば上がる。幸せを感じると、下がる。何もしなくても、自然にじわじわ下がる。逆に不幸が起これば、少しだけ回復します。まるで人生のバランスのようにね」


「え……私、昨日チョコ食べて幸せって思ったけど、あれで減ってたってこと……?」


「そういうことです」


「いや、無理無理無理。なんで幸せになるとポイント減るんですか?逆でしょ普通!?」


「現実とは、理不尽なものです。では、ご武運を――」


そう言い残して、占い師の女性は、道の向こう側の暗がりにスーッと消えていった。


「え、マジで消えた……忍者?忍者だった?……いやいや、待て待て待て……なに今の……やば……」


額の上で、いまだにふわふわと浮かぶ《52/100》の数字。手を振ってみても、消えない。


「いや……まさかね。夢オチとか、そういうアレでしょ?」


沙織は自分のほっぺたをぺちぺち叩く。


「……痛い。……ってことは現実?いや、いやいや、そんなバカな。……ってかこれ、どうやって消すの?会社行けないじゃん。え、みんなに見えてるの?いや、見えてないよね……?」


周囲をきょろきょろ見渡すが、通行人は誰も気にしていない様子。


「……もしかして、私にしか見えない系?うわ、そういう設定か~……マジで面倒くさいやつじゃん……」


その夜、家に帰って鏡の前に立つと、やはり額の上に《52/100》が浮かんでいた。


「……52って……なんか中途半端だな。良いことしないと……これ、下がるの? で、0になったら……死ぬ?」


まさかと思いつつ、沙織は翌朝も何もしなかった。翌日の数値は――《49/100》。


「マジかよ……減ってる……!!」


こうして、桐谷沙織の“打算的・善行ライフ”が、静かに幕を開けた。

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