ep.3 静かな読書

鮮やかな赤が、今日のこの店には似合いすぎていた。


紫琴の笑い方が、ほんの少しだけ軽すぎた昨日のことを思い出す。


指先で赤いカバーを撫でながら、俺はそっと、ページをめくった。




最初の数ページで、これは“普通の嘘”ではないとわかった。


綺麗すぎる言葉が、逆にひどく痛かった。


きっとこれは、“誰にも読まれたくなかった本”なのだ。




紫琴が、本当に誰に渡したかったのか。


答えは、黙っていても届くように書かれていた。


誰にも読まれたくなかった物語を、誰かに渡すと決めた勇気が、行間に滲んでいた。


嘘で守ってきた人間が、本気で書いた嘘は、真実より痛い。


名前は書かれていない。


だが、これは“田山花袋”を呼ぶための物語なのだと気づいた。




気づけば次々にページをめくっていた。


最後のページには、水が落ちたような、小さな跡があった。


ページを閉じる手が、一瞬止まった。


読み終えた後、鴎外はしばらく本を見つめたまま動かなかった。


鴎外は、静かに本を閉じた。


辛かっただろう、苦しかっただろう、其れを表に出さずにいることが、どれほど大変なことか。


これは、誰かに渡された本ではない。置かれた本となる方がふさわしいのだろう。


だが、


「マスター、これを預かってもいいか?」


「なぜですか?」


「渡された気がするんだ。……言葉じゃなくて、全部」


「…わかりました。大事にしてくださいね」




赤いカバーを取り外し、黒いカバーを付けた。


「あいつ、強いな。俺なんかより、ずっと」




鴎外が去ったあと、白い本を手に取り、マスターは記録を書いていた。


『こわれ指環』――渡した者:紫琴 受け取った者:鴎外


備考:静かな返事




カフェの灯りが消えた。









あとがき


今回は、前回の紫琴の話の続きとなっています!

鴎外がくみ取った紫琴の気持ち、ぜひ大切にしてほしいです!

評価と感想、お待ちしております!

次のエピソードで、お会いしましょう!

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