第3章 天邪鬼 弟の憂鬱
アカナメが猫又にもらったというあめ玉を二口女に喰わせると、事態は一変した。
人間になりたいと必死で食べる事を我慢していた二口女だが、よほどにあめ玉がうまかったらしい。口にあめ玉が入った瞬間に嬉しそうな顔をして、必死であめ玉をしゃぶりだした。そのあめ玉はなかなか減らないらしく、今日でもう三日もたつのにまだ口の中で転がしている。
さっきアカナメがハンバーガーの袋を両手に持ってクチメの部屋に入るのを見た。
あれからアカナメはせっせとクチメに食い物を運んでいるらしい。掃除好きの奴は稼ぎがいいらしいから、二口女に腹一杯喰わせてやれるだろう。
クチメが人間になるのをあきらめたかどうかは知らないが、どうも人間になれるという方法がガセネタのようなのでどうしようもないだろう。
そのガセネタで何人かの妖怪が消滅したとサキが言っていた。
俺はそんな事に興味もないが、サキは妖怪仲間の訃報を聞くと悲しそうな顔をする。
妖怪は輪廻転生の輪から外れた存在だからだ。人間のように二度と生まれ変わる事がない。だから消滅してしまった妖怪は文字通りに消え去ってお終いだ。二度とこの世に蘇る事はない。
もちろんどんな妖怪もかなりな再生能力を持っているから、ちょっとやそっとじゃ消滅まではいかない。少々の傷ならすぐに治ってしまう。だが今回のように妖力の源を引きちぎられたり、えぐり取られたりしたら最後だ。手長足長もろくろ首も一つ目小僧も再生する事は有り得ないだろう。
「こんにちわ。今日も寒いわね」
「ああ、どうも」
先日隣の部屋に引っ越してきた、くねくねした女だった。あやかし荘と呼ばれているおんぼろアパートに引っ越してくるぐらいだから妖怪なのだろうが、どうも正体がよく分からない。あの憎ったらしい鬼ほどではないが、俺もけっこう妖力は高い妖怪だ。なのに、この女の正体が見極められない。
ブランド物の服と靴、バッグを持っているのは分かる。夕方に出かけていくから人間界で水商売でもやっているのだろう。
人間の中では美人という部類に入るかもしれないが、笑いに嫌な感じが出る。
腹黒そうだ。
「もう十二月ですもんね。寒いはず。良太さんはホストなんですって? 儲かってる?」
「いや、別に。そうでもない」
「そうよねえ。忙しいばかりでちっとも儲からないわ」
女はうふふと笑った。
「お姉さん、サキさんには昨日挨拶させてもらったんだけど、あたし、紅葉っていうの。よろしくね」
と女が言った。きつい香水の匂いと、派手な化粧が毒気を含んで見えた。
「紅葉? ふうん、で? 正体は?」
「いやぁね。そんな野暮な事言いっこなしよ」
紅葉は名刺を一枚差し出した。メイクアップアーチスト・紅葉と書かれていた。
「メイクアップアーチスト? へえ」
「それじゃあ」
紅葉は軽くウインクをして、カンカンと音を立てながら階段を降りていった。
「良太?」
サキが玄関の戸を開けて顔を出した。
「ご飯、食べないの?」
「喰う」
俺は部屋に戻った。六畳一間の部屋は狭い。サキがきちんと掃除をして片づけているが、二人だと荷物は増える一方だ。
もう少し広い部屋に移ろうと言ってるのだが、サキはこのおんぼろアパートが気に入っているらしく、動こうとしない。確かに妖怪ばかりのこのアパートは気が楽だ。俺達が姉弟だろうがそうでなかろうが、妖怪どもには何の興味も関係ないからだ。サキと俺の顔を見比べてこそこそと余計な妄想をする人間とは違う。
「紅葉さんに会った?」
サキが茶碗に飯を盛りながら言った。
「ああ、さっき会った。毒々しい女だな」
「あら、そう? とっても綺麗な人じゃない」
「サキの方が綺麗だ」
俺がそう言うとサキはちょっとだけ笑った。
「あのねえ、そういう事、よそで言っちゃ駄目よ?」
サキは俺にみそ汁の椀を渡しながらそう言った。
「本当の事だ」
「私の本当の顔を知ってるのは良太だけなんだから。他の人にはこの醜い顔しか見えないんだから、そんな事言ってたら良太が変に思われるのよ」
「別にかまやしない」
「妖怪の中じゃかまわないけど、人間の中じゃ駄目よ。また騒ぎになって別の場所に行かなくちゃならなくなるわ。この街は気に入ってるの。妖怪も多いし、なるべく長くいたいわ」
「分かってるよ」
俺は飯を喰うのに集中した。サキの言葉は分かるが、俺には我慢出来ない。
サキの本当の顔がどんなに綺麗か誰も知らないくせに。
妖怪どもはまだましだ。サキの事をからかったりしてもぶん殴ってやればいい。力の差を見せつけてやればそれでいい。二度目はないという事をみんな知っているからだ。
人間はたちが悪い。一日中あれやこれやと噂をして、俺とサキの事情を知りたがる。
俺の顔とサキの顔と比べたがる。本当に姉弟か知りたがる。サキの留守に俺に誘いをかけてくる女も後を絶たない。そんな人間どもを殴ったり、殺してしまった時もある。そして警察には何度も捕まった。そして逃げた。そんな生活がずっと続いて、やっとこの街を見つけたのだ。妖怪が多いこの街はサキも俺も気に入っている。
今までは自分から外に出ようとしなかったサキがこの街に来てからは、よく散歩に行くようになった。この間はクチメの為にと酒場まで行って騒ぎの中にいたのに驚いた。
人間にいじめられて悲しそうな顔をするのを見たくない為に俺はサキの外出を許さないが、最近はそんな俺に反抗するようにもなった。
サキの顔はどこへ出かけても好奇の目で見られるだけだ。なるべく目立たないようにしていても、人間って奴は残酷で容赦がない。
時にはサキをかばい守ってくれる人間も出てくるが、たいがい他に目算がある。
女の目当ては俺で、男は金だ。
せめてそんな人間どもから金でも巻き上げてやろうとホストという職業を選んだが、これもくだらない女が寄ってくるだけだ。
サキがどんなに心の優しい者でも、その容姿はサキを酷く悲しい現実へ突き落とす。
もう五百年生きている俺達はずっとそんな人間どもから逃げてきた。
俺は人間どもを皆殺しにしてやりたいと思うようになり、サキは人間に戻りたいと強く願うようになっていった。
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