第24話 爆発してたな……

 午後三時過ぎ。

 学院の回廊は、傾きかけた陽射しに照らされ、大理石の床に長く柔らかな影を落としていた。


 リミュエールは、銀髪の王子・エアリスに先導されながら、美術工房アート・エレメンタルへ向かっていた。

 その両脇には取り巻きの令嬢たち、そして後方には、静かに歩くセスの姿もある。


 まるで貴族のパレードのような一行に、リミュエールは内心でため息をついた。

 豪華すぎる。というか、落ち着かない。


「エアリス様の絵、きっと素敵なんでしょうね♡」


 令嬢たちは、華やかな声でエアリスにアピールを重ねていた。

 エアリスは「ありがとう」と微笑みを返しながら、どこか余裕のある曖昧な態度を保っている。


 ヒスイの瞳がときおりリミュエールの横顔をちらりと盗み見るたび、取り巻きたちの視線がビシビシと突き刺さってきた。


(……あー、やりづらい)


 そんな中、セスは最後尾を無言で歩いていた。

 手をポケットに入れたまま、視線は前。けれどそのまなざしは、ふとした瞬間にエアリスの背中を鋭く捉えている。


(……バチバチしてるなあ。本人たちは無言なのに、空気が火花散ってる)


 そんな感想を抱いた直後、エアリスが足を止めた。


「ここか……」


 彼が手を伸ばし、木製の扉を押し開ける。

 その瞬間、ふわりと鼻をくすぐる独特の香りが流れ出た。


 絵具と魔素の混じった匂い、そしてほんのり乾いた紙の香り。

 室内には淡い光が差し込み、空間全体がやさしく霞んで見える。


 天井からは魔光が降り注ぎ、宙に浮かぶ魔法キャンバスがくるくると静かに回転していた。

 壁沿いには筆先から魔力が花火のようにこぼれ落ち、色彩の粒がきらきらと舞っている。


「うわ……まじで芸術の領域……」


 リミュエールは思わず足を止めた。


 風属性の魔法絵具で描かれたキャンバスが、そよ風のように揺れ、

 水属性の絵具が描く波紋が、絵の中で本物のようにゆるやかに広がっていた。


 その幻想的な空間に、言葉を失っていると——


「ようこそ、美術工房アート・エレメンタルへ!」


 明るく弾む声が響いた。


 現れたのは、小柄で快活そうな上級生。耳には絵筆を差し込み、ローブの袖を肘までまくっている。

 ローブにはさまざまな色の絵具が飛び散り、まるで彼自身がひとつの抽象画のようだった。


「今日は部活選択週間サークルインビテーション、二日目でしたよね? どうぞ、どうぞ! 中で魔彩体験マジカル・ペインティングしていってください!」


 彼は絵筆をくるりと回してウインクする。


「あなたの感情、魔力、センス! ぜんぶキャンバスにぶつけちゃってください!」


 ……ぶつけろと言われても。

 リミュエールはうっすら引きつりながら、美術工房の空気に足を踏み入れた。


「……魔彩体験マジカル・ペインティング?」


 首をかしげると、上級生はぱあっと顔を輝かせ、胸を張った。


「魔力と絵具を融合させて、感情や精神を絵として表現するんです!

 色も、線も、ぜんぶあなたそのもの。最高にエモいですよっ!」


(……筋肉で制御できる気がしないんだが)


「……まあ、せっかくだし、やってみようか」


 エアリスが静かに言うと、取り巻きたちは一斉に「きゃああ♡」と歓声を上げ、我先に画材セットに手を伸ばした。


「私、エアリス様と並んで描きますっ♡」

「エアリス様の絵……神々しい光がきっと宿るはず……!」


 きゃいきゃいと騒ぐ中、エアリスは落ち着いた手つきで筆を取り、無言でキャンバスに向かった。

 筆先が軽やかに走り、魔力の光が淡く揺れる。


 現れたのは、風と光がたゆたう優しい情景。

 水面に咲く白い花のような、静かで美しい構図だった。


「……きれい」


 思わず漏れたリミュエールの言葉に、エアリスは筆を止め、少し照れたように微笑んだ。


「ありがとう。……君の色も、見てみたいな」


「え、あ、うん……」


 そう言われたはいいものの、いきなり描けと言われても困る。

 エアリスのようにうまくいく気がしない。

 お手本ないかな……と思ったそのとき。


 少し離れた場所で、セスが静かにキャンバスに向かっていた。


 誰に促されたわけでもなく、画材セットをさっと手に取って、迷いなく筆を動かしている。

 その動きは正確で、流れるように滑らかだった。


 リミュエールがそっと覗くと、そこには夜明け前の静かな丘が描かれていた。


 冷たい空気を孕んだ空に、うっすらと滲み始める朝の気配。

 霜が降りた草の上に、淡い光が差し込もうとしている。


 静かで、控えめで、なのに目を離せない絵だった。


「……セスの絵、なんか……やけに静か」


 その言葉に、エアリスもちらと視線を向ける。

「へえ……そういう表現、するんだ」


 セスは答えず、筆を置いた。


「……俺の色は、こういうやつだ。派手でも目立たなくても、関係ない」

 ぶっきらぼうに言いながらも、その声には芯があった。


 リミュエールは小さく頷く。

「……じゃあ、わたしも……やってみようかな」


 見よう見まねで筆を握り、魔力を注ぎ込む。


 次の瞬間——


 バチィン!!


 筆先から雷のようなスパークが飛び、キャンバスにギザギザの閃光が乱れ走る。


 取り巻きの数名が「ひっ」と後ずさり、ひとりが魔彩セットを取り落とす音が響いた。


「……なんか、爆発した?」

「す、すごい躍動感……!」


 リミュエールはそっと筆を置いた。


 ……結論。


「芸術は、俺には向いていない……」


 感性や繊細さが求められる空間は、エネルギッシュなリミュエールは不似合いだ。


 そのとき、隣からふいに声がした。


「でも……君の絵、好きだよ」


 エアリスが静かに呟く。

 キャンバスを見つめたままの横顔は、どこかまっすぐで、少しだけ寂しげだった。


「……な、何だよ。絵になってないだろ……」


 リミュールの胸に、ひゅうっと風が吹いた気がした。

 それは雷ではなく、どこか柔らかくくすぐったい風だった。


 ふと視線を感じて振り返ると、セスが壁際で腕を組んで立っていた。

 その目に感情の色は見えない……はずだったが、リミュエールの描いた絵――という名の爆発痕をちらりと見て、口元がわずかに緩んだようにも見えた。


(でも……やっぱり、ここじゃ汗はかけない)


 ひとつ息を吐いて、リミュエールはそっと筆を置いた。

 美術工房の甘く澄んだ空気を背にしながら、静かに歩き出した。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




 美術工房アート・エレメンタルを出た瞬間、リミュエールは思いきり息を吐いた。


「……やっぱり、芸術は俺には早すぎた」


 校舎の影はすでに長く伸び、空はゆるやかに茜色へと染まりつつあった。

 魔力を帯びた絵具の香りがまだ鼻の奥に残っている。


 ひとり、夕焼けの差し込む石畳を歩き出そうとした、そのとき——


「リミュエール」


 背中越しに聞き慣れた声。

 振り返れば、制服の裾を風に揺らしながら、セスがこちらへと歩いてくるところだった。

 目は逸らし気味だけど、足取りはまっすぐだ。


「あれ、セス。いたんだ」


「お前こそ。あれでよかったのか。王子と同じ部に入らなくて」


「うーん……自分には、ああいう繊細な空間は合わないってわかったよ。セスも見ただろ? 絵を描いたら爆発したやつ」


「爆発してたな……」


 二人して苦笑がもれる。だが、セスの目はすぐに真剣な色に戻った。


「……なあ。絵に興味があるようには見えなかった。なのに、なんで美術工房アート・エレメンタルに行った?」


 問いかけは、まるで本当の理由を知りたいと探るように、まっすぐだった。


「誘われたから……かな」


「エアリス王子に?」


 短く返されたその言葉には、わずかに棘があった。


(……やっぱり気にしてたのか)


「もしかして、昨日、音楽魔奏団エコーズ・オブ・ルーンに行かなかったこと、まだ引っかかってる?」


「……べ、べつに気にしてなんて……!」


 珍しく語気を強めるセスに、リミュエールは苦笑して肩をすくめた。


「いや、その……断った理由って、そんなに深くないんだ。ただ、俺……音痴でさ」


「……音痴?」


 リミュエールは遠い記憶を思い出し、少しうつむいた。


 前の世界で、合唱コンクールのときに『声がでかいのに音程が迷子』って言われて、口パクを頼まれた記憶が蘇る。


 セスはしばらく黙っていたが、やがて目を伏せて小さく息を吐いた。


「……俺が嫌だったわけじゃないのか?」


「は? なんでそうなる?」


 即答するリミュエールに、セスの目が驚いたように瞬く。


「あ、いや……そうか」


 気まずそうに目を逸らしたその姿に、少しだけ笑いがこみ上げる。


 けれど、続いたのは意外な提案だった。


「じゃあさ、歌わなくていい。見るだけでいいから、来てくれないか」


「……見るだけ?」


「うん。演奏してるところを、見てくれるだけでいい」


 まっすぐなその目に、リミュエールはしばし沈黙し、やがて頷いた。


「……じゃあ、見るだけな?」


「ああ」


 セスが、ほっとしたように小さく息を吐いた。

 どこか張りつめていた空気が、やわらかくほどける。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




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