第22話 あれ、筋肉で止める!

 園芸部の温室は、学園の東の端──魔導薬草学エリアのさらに奥にあった。

 ガラス張りのドームに足を踏み入れた瞬間、やわらかな湿気と植物の香りがリミュエールとフローラを包み込む。


「うわ……あったかい……」


「ここ、自然の魔力が循環してるんだよ。一歩入るだけで、少し癒やされるの」


 案内をしていたのは、薄緑のローブを羽織った上級生の女性だった。

 彼女はにこやかな表情で二人を迎えると、見学に来た新入生たちを前に、落ち着いた声で説明を始める。


「ようこそ、園芸部グリーン・スプラウトへ。ここでは、回復魔法に使われる薬草や、属性ごとの魔法植物を育てています」


 リミュエールとフローラも列の中に並び、その話に耳を傾ける。


「こちらは炎薔薇フレイムローズ。炎属性の魔力を蓄えていて、調合に使うと爆発的な火力が得られます」


 先輩が指さした鉢から、ふわりと熱気が立ちのぼる。

 花びらの縁は赤く燃えるように光っていて、見た目にも迫力があった。


「こちらは魔香薄荷マジカル・ミント。清涼感のある魔力で、集中力や冷静さを保つ効果があります」


 スースーしそうなその葉を見つめながら、リミュエールは思った。


(……これ、試験前に欲しいやつだな)


「そして、これが童根草マンドラ・チビ。まだ幼体ですが、驚かせると叫ぶことがありますので、取り扱いには注意してくださいね」


(こわいこわいこわい……叫ばれたら筋トレどころじゃない)


 そんな説明が続く中、二人が植物に見入っていたそのとき——


「さて、では少し説明を引き継ぎますね」


 温室の奥から現れたのは、白衣にグリーンのベルトを締めた青年教師だった。

 二十代前半ほどの若さ。ややあどけなさの残る顔立ちに、理知的な落ち着き。

 手にした魔力ファイルを手際よく操作する姿は、見る者に確かな信頼感を与える。


「今年から園芸部の指導にあたることになりました、草属性担当の新任教諭、ヴェルグリーンです。まだ不慣れなところもありますが、どうぞよろしくお願いします」


 その場が一気にざわめいた。


「えっ、先生……若っ!」

「うそ、かっこよすぎる!」

「声もやさしい〜……!」


 黄色い歓声が巻き起こるなか、ヴェルグリーン教諭は軽く片目を閉じて、女子生徒たちにウィンクを飛ばした。


「ふふ、植物も生徒も、丁寧に育てる主義ですからね」


「きゃああああああっ!」


 女子たちが一斉に叫び声を上げる。

 その中には、普段控えめなフローラの姿もあった。


「リ、リミュちゃん……かっこいいね……!」


 顔を真っ赤にして、口元に手をあて、小さく震えている。


「……軟派そうなやつだな……」


 リミュエールは微妙に引きつった顔でそうつぶやき、内心で全力の警戒態勢を敷くのだった。



 ──そのときだった。


 温室の奥から、かすかに異質な魔力の揺れが走った。

 湿った空気がざわめく。葉擦れの音が静かに重なり、温室内の草花たちが、まるで息をひそめるかのように震え始める。


「……あれ?」


 リミュエールが顔を上げた瞬間、鼻先を焦げたような魔力のにおいがかすめた。

 すうっと冷えた空気の流れに、温室内の空気が一変する。


「せ、先輩……! あれって……!」


 誰かの叫びが上がったその刹那、奥の作業台付近から——


 ぶわっ、と土と草が巻き上がった。


 鉢植えの中から伸びる無数のツタが、四方八方に暴れ出す。

 ガラスに反射する緑の光が一斉に乱れ、まるで生きているかのようにうねる蔓。

 中央には、魔力の暴走により異常成長を遂げた一体の巨大植物——


 強魔草花ラフレッサ(Lv.12)が、咆哮のような振動を響かせていた。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




「うそ……! なんで今、あれが暴走を……!」


「っ……まさか、さっきの肥料……!」


 案内役の上級生が顔面を蒼白に染め、手にしていた魔力ファイルを取り落としそうになる。

 震える指先で確認し、青ざめたまま口を開いた。


「……私が……強魔草花ラフレッサ用の制御魔法を……かけ忘れてました……っ!」


 上級生の震える告白が、温室内を走った瞬間——

 新入生たちの間に、ざわめきが広がった。


「やば……!」

「うそ、マジで!?」

「早く下がって!」


 異常成長を遂げた強魔草花ラフレッサのツタが、ぎゃん、と高く跳ね上がり、天井のガラスに音を立てて叩きつけられる。

 バチンと魔力がはぜ、葉の隙間から飛び出した蔓が、今にも誰かを薙ぎ払おうとしていた。


 その軌道の先には——フローラ。


「フローラ、下がってて! あれ、筋肉で止める!!」


「えっ!? 魔法じゃなくて!?」


 次の瞬間、リミュエールの体からバチッと小さな雷光が弾けた。


 両の拳に魔力を集中させる。

 それは雷属性魔法——筋雷術サンダーノイド


 肉体内部に雷の電流を流し、筋繊維を限界以上に活性化させる技。

 外的な放電はないが、その身体強化の威力は絶大。


 リミュエールの腕に浮かび上がる雷紋。

 拳を握り締めると、関節がきしみ、魔力と筋力が共鳴する音が鳴った。


(これで……いける!)


筋雷術サンダーノイド、発動!」


 電撃が駆けめぐるように、リミュエールの体が一気に加速する。

 足元を強く蹴り、拳を構えてラフレッサの核めがけて跳び込む。


 だが——その直前。


 空中に、ひゅっと細い光が走った。


 銀白色の魔力が編み上げられた結界の蔓が、暴走するツタの動きを一瞬だけ封じたのだ。


「……?!」


 見ると、それはフローラの魔導結界だった。


 細く、繊細で、それでも確かな力を持った草の結界が、暴れるツタを絡め取り、動きを鈍らせている。


「だ、大丈夫……今のうちに……リミュちゃん、お願いっ!」


「任せてえええええっ!!」


 雷の残滓をまとったリミュエールの拳が、風を切ってラフレッサの中心部に炸裂した。


 ──ドガァッ!!


 拳がめり込み、魔力核が砕ける。

 バチィィン! と雷音が響き、核の残光が四方へ飛び散った。


 けれど——完全には止まらない。


 砕かれた核の余波が、空気中に滞留し、残されたツタたちが再びざわめき始める。


 そのとき——


草調律グラース・ハーモニク


 澄んだ声が、静寂の中に響いた。


 天井のガラス越しに差し込む夕陽の光と重なり、温室全体がやわらかな緑に染まっていく。

 春風のような癒しの波動がふわりと流れ、ざわめいていたツタの動きが次第に静まっていった。


 草の葉が、最後にひと揺れして──沈黙。


 魔力の渦が完全に収まり、空気がしん……と落ち着きを取り戻す。


 立っていたのは、白衣の裾を揺らしながら片手を掲げる男。

 草属性担当の新任教諭、ヴェルグリーンだった。


 癒しと抑制を兼ね備えた草属性魔法。その仕上げの一手が、暴走を鎮めたのだ。


 ざわついていた見学者たちが、少しずつ息を吐き始める。


「……終わった……」


 リミュエールが力なく肩を落とし、膝に手をついて深く息を吐いた。

 その髪の先には、うっすらと汗がにじんでいる。魔力と筋力の余熱がまだ体を包んでいた。


 隣では、フローラがふらりとその場にへたり込み、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「ありがとう、リミュちゃん……すごい勇気だったね……!」


 彼女の頬はまだ赤く、声はわずかに震えている。だがその瞳は、確かにまっすぐにリミュエールを見つめていた。


「いやいや……支えてくれたからだ……。あの結界、助かった!」


 リミュエールは笑って肩をすくめ、汗を拭う仕草でぐしゃっと前髪をかき上げる。

 その顔にも疲労はあったが、どこか満足げだった。


 周囲では、見学に来ていた新入生たちや園芸部の部員たちが、安堵と興奮の混じった拍手を送っていた。

 何人かは口を押さえ、目を輝かせながら「すごかった……」と小声で呟いている。


 その拍手の中、先ほど暴走の原因を作った上級生が、一歩前に出て深く頭を下げた。

 顔は真っ赤に染まり、唇がかすかに震えていた。


「本当に……申し訳ありませんでした……。私の不注意で、皆さんを危険に晒してしまって……!」


 沈黙を破ったのは、ヴェルグリーン教諭だった。

 彼は白衣の裾を揺らしながら静かに歩み寄り、上級生の肩にそっと手を置く。


「過ちを認め、真摯に謝れる人は、強い人です。大丈夫、これからは一緒に学んでいきましょう。園芸部全体で、対策を考えましょうね」


 その穏やかで落ち着いた声に、上級生は胸に手を当てて、こくりと頷いた。


 やがて、ヴェルグリーン教諭はリミュエールとフローラの前に立ち、やわらかな笑みを浮かべて言った。


「おふたりとも……冷静で的確な行動でした。あれほど見事な連携、滅多に見られるものではありません。ぜひ、園芸部に入っていただけませんか?」


 その言葉を受けて、フローラの肩がびくっと跳ねた。


「え、えっと……わ、私……」


 彼女は小さく手を胸に当て、顔をほんのりと赤らめる。瞳の奥には、確かな決意が灯っていた。


「入りたいですっ!」


 思い切って飛び出した声。周囲からぱらぱらと温かい拍手が起きる。


 一方、リミュエールにも視線が集まる。


 しかし彼女は苦笑いを浮かべながら、そっと手にしていた申請書をヴェルグリーン教諭に返した。


「……私は、他の部も見てこようかなと思います」


 そう言って、軽く一礼する。


「でも、ありがとうございました。先生、フローラのこと、よろしくお願いします」


 ヴェルグリーン教諭がにこりと微笑み、深くうなずく。


「ええ。大切に育てさせていただきますよ」


 温室を出るころには、空はすっかり夕暮れに染まり始めていた。

 ガラス越しに差し込む橙の光が、リミュエールの背中に淡い影をつくる。


 その表情に、少しだけ清々しさが混じっていた。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




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