第2話 調達




 夜が明け、赤黒い空が徐々に明るくなり始める。

 レオンとアベルは崩れかけた建物の影で一夜を明かした。

 アベルは警戒心を解かないまま、レオンから少し距離を取って座っている。


 レオンはリュックから古めかしい地図とコンパスを取り出した。

 それを初めて見たアベルは「なんだ、それ?」とレオンに尋ねる。


「これは事故以前に使われていた紙の地図と、方角を示す道具だ」

「紙の地図って……そんなもん、こんな世界になって役に立つのか? 大昔の地図なんだろ?」

「ないよりはマシだ。AI暴走で電子機器がほとんど使えなくなったからな」


 高度AI文明は暴走よって簡単に滅びた。

 ナノマシン制御に依存していた文明の遺産は、ほとんどが瓦礫と化した。

 暴走直後は動いていたロボットも回路が焼ききれるまで暴走した後、完全に動かなくなっている。

 原始的な道具だけが、今や貴重な生存手段となっていた。


「道中何があるか分からない。準備は万全にしておくべきだ」

「……どうせ無駄だ。どこに行っても同じだろ。希望を持つだけ後で辛い思いをするだけだ」


 アベルは相変わらず不機嫌そうに呟いた。


「そう決めつけるな。俺とお前が希望だ。俺もお前に会う前は人類は滅びたと思っていたからな」

「ふん……」


 レオンはアベルの言葉を軽く受け流し、持ち物を確認して出発の準備を始めた。


「まず食料と水の確保だ」

「……水? そんなものどこにあるんだよ」


 アベルが尋ねると、レオンはこの町に入ったときに見かけた噴水のことを話した。


「噴水が東の方にある。だが飲み水用の水ではないからな。濾過したり煮沸して使う必要がある。それから貯水槽を探す」

「チョスイソウってなんだ?」

「古い建物に水を貯めておくタンクがある場合がある」

「ふーん……」


 二人はまず噴水へと向かった。

 噴水は錆び付き見るからに古びていた。

 レオンは持っていたボトルを使って水を汲む。

 汲んだ水は濁っており異臭を放っていた。


「げぇ……マジ?」


 見るからに飲めないであろう水に対してアベルは嫌そうな顔をした。

 レオンはリュックから携帯型の浄水器を取り出し、水を濾過する。

 この浄水器はAI技術が発展する以前の古典的な浄水器だ。

 道中にあった博物館から入手したもので、今や貴重な生存手段の一つだった。

 科学汚染物質が流出した地域は把握している。この辺りの水は汚染されていない。


 泥水同然であった水は浄水器を通すと透明な水になった。


「もう飲めるのか?」

「いや、まだだ」


 その濾過された水を煮沸する為、周りにあった乾いている枝などを拾ってきて火おこし器で火を起こす。

 水を沸騰させ、煮沸処理をしたものを何度か入れ物を往復させて冷ます。

 アベルはレオンが何をしているのか全く分からなかった。


「なんでそんな面倒な事してるんだ?」

「安全の為だ。多少面倒でもやる価値はある」


 喉が渇いているのに、なかなか目の前の水が飲めないもどかしさにアベルは余計に喉が渇くような気がした。


「これで飲めるはずだ」


 レオンは濾過して煮沸した水をアベルに差し出した。

 若干暖かいお湯寄りの水だ。

 アベルは疑わしげな目を向けながらも喉の渇きに負けて水を口にした。


「……まずい」


 舌触りが悪い水にアベルは顔をしかめた。

 高度AI文明時代の舌触りの良い人間の味覚に合わせた水と比較すれば、劣っていても仕方がない。


「文句を言うな。飲めるだけありがたいと思え」


 レオンはそう言うと残りの水を水筒に入れリュックにしまった。


「次は食料だ。この町を隈なく探すぞ」

「……」


 二人は町の中を歩き回り食料を探した。

 崩れかけた店や家を一つ一つ調べ缶詰や乾燥食品を見つけてはリュックに詰めていく。


「しっ、静かにしろ」


 その途中異形の怪物が徘徊しているのを見かけた。

 怪物は異様な鳴き声を上げながら獲物を探しているようだった。


 人間や動物がナノマシン暴走によって怪物になったが、怪物も生きるには食料が必要だ。

 怪物は無限の食欲がありあっという間に他の生命を食べつくし、そして事故から三か月経った今、怪物すらも滅びつつある。

 怪物も病気になるし共食いもするし飢餓もある。

 町の中には怪物の死体の食べ残しの骨ばかりだ。

 生きている怪物をレオンは久々に見た。


「……まだ生きてるバケモンがいたのか」


 アベルは怪物の姿を見て呟いた。


「戦いは避けるべきだ。俺たちに勝ち目はない」


 怪物は様々な種類がいる。

 全く攻撃性のない怪物もいたが、それらはとっくに食べられてしまって今残っている怪物はそれらを食べて生き残った攻撃性の高い個体で間違いないだろう。

 姿を見ても元が人間だったのか動物だったのかは判別できない。


 静かにその場を後にしてその周辺には近づかないように地図に印をつけた。


 二人は怪物を避けながら慎重に食料探しに戻る。

 怪物は恐ろしいが敵は怪物だけじゃない。空腹も大きな敵だ。


 日が傾き始めた頃二人はある程度の食料と水を確保できた。


「これで何日かは持つだろう」


 レオンはリュックの中身を確認して言った。

 缶詰、水、乾物などを町で補充することができた。


「……そのナイフどこで手に入れてきたんだ?」


 アベルがリュックの中を見ながら尋ねる。

 世界がこうなる前はロボット技術が発達しておりナイフなど生活に必要ではなかった。

 レオンが持っているナイフは博物館から持ってきた骨董品に過ぎない。


「博物館で埃を被っていたナイフだ。切れ味が悪い」

「バケモンと戦ったことはあるのか?」

「……一応な。これでは勝てない。逃げ延びただけだ」

「貸して。持ってみたい」


 アベルはその骨董品のナイフに興味を示して触って見たかった。


「危ないぞ」

「ガキ扱いするなよ」


 少し気は引けたがレオンはアベルにナイフの柄の部分を向けて渡す。

 ナイフを受け取ったアベルは思ったよりもナイフが重いと感じた。

 こんなに重い物は持ったことがなかったしこのナイフを振り回して戦う自分の姿をまったく想像できなかった。


「こんな重いもんで戦えねぇよ」

「心配するな。いざというときは俺が守ってやる」

「……別に心配なんかしてねぇよ」


 アベルはそっぽを向いて呟いた。


「夜が明けてから次の町へ向かおう。水が手に入ったから暫くもちそうだ」

「その水マズイ」

「喉が渇いていずれこのマズイ水も飲みたくなる」


 レオンはそう言うと冷たい床の上で横になって寝る態勢をとった。


「もう寝る。お前も寝ろ」


 無防備に背中を向けているレオンに対してアベルは釘を刺すように言った。


「……あんたの事信用したわけじゃないからな」


 2度目のその言葉に、レオンは若干の違和感を覚えながらも返事をする。


「分かってる」

「あ……あんたも俺のことそんなに簡単に信用したらそのナイフで刺されるかもしれないぞ」

「本当にナイフで刺すような奴は無言で刺してくるはずだ。分かったら寝ろ」


 親切心でそう言ったのに軽くあしらわれてアベルは納得のいかない気持ちになった。

 いくら世界がこんなふうになったとはいえ簡単に他人を信用することはできないはずだとアベルは考えていた。

 しかしレオンは自分に背を向けて横になっている。


 まだ不満を言いたい気持ちもあったがアベルはレオンの背を睨むように同じ方向を向いて黙って横になった。


 アベルの寝息が聞こえてきた頃レオンはまだ起きていた。

 上半身を起こして振り返ってアベルの方を見る。


 ――まだあどけない表情をしているが過酷な人生を送ってきたようだな


 アベルは見せようとはしないが古傷が体中についているのが昼間分かった。

 新しい傷じゃない。古い傷が身体にいくつもついている。

 見える範囲でしか分からないが手の甲にある傷跡は自然にできたものとは考えにくい。


 ――虐待だろうか……


 ナノマシンを埋め込まれていない場合は出生届けが出されていない可能性が高い。

 全ての人類の義務として、産まれたと同時に身体にナノマシンを埋め込む決まりだった。

 身体の部位の欠損でナノマシンを紛失しないよう、胸の辺りに埋め込む事になっている。

 身体の奥深くに埋め込む為、自力で取り出すことは不可能だ。


 レオンは色々考えるがそれをアベルに聞くつもりはなかった。聞かれたくないことは誰しも一つや二つある。

 いずれ話したくなれば自然に話すだろう。

 それに、細かい事情を知っているようにも見えない。


 レオンはアベルが眠っていることを確認すると、再び背を向けて自身も眠りにつくことにした。



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