第14話 誰かに慰めてもらうため

「おー、お帰りーって、どないしたんその子!?」


 マルゥはイナンナの元へ帰って来ていた。ポテトを背負って。出迎えてくれたのはムネチカだ。


「ポテト。俺のダチだよ。いろいろあって死んでる」

「ほぉーん、しん——死んどるぅう!?」


 取り乱したムネチカがあたふたするうしろでイナンナが首を傾げる。


「アリスくんはどうしたんだい?」

「いろいろあって連れ去られた」


 マルゥは鞘から折れた刀を差しだした。


「あとこれも、いろいろあって折れたわ」

「本当にいろいろあったんだねえ」


 しみじみとイナンナが言った。


「直せるか?」


 ムネチカに視線を向けた。彼女はハッとしてポテトから目を切って向き直る。だが刀に目を落とすより先に言葉が出る。


「無理やわ。炉がないのはそこの煙突付き暖炉で代用できんこともないねんけど、相槌打ってくれるやつがおらへん。アリスがおったらこないだみたいにしてもろて、なんとかなったんやろうけどなあ」


 根本的な問題だった。

 折れた伊邪那美命イザナミで、罠が仕掛けられた敵地に向かわなければいけない。それは避けられないことのようだった。

 しかしその前に、マルゥは自分が戦う意味がわからなくなっていた。


「イナンナ、電話を貸してくれないか?」

「ああ、もちろん」


 マルゥは電話をするために別の部屋に案内された。そこは木の匂いに満たされた個室になっていて、電話のためだけに作られたような場所だった。

 マルゥはダイヤルを回す。宛て先はエンキの電話ボックスだ。


 ——トゥルルルルル、トゥルルルルル、トゥルルルルル。


 何度もコールが鳴って、やがてそれが途絶える。


『もしもぉーし?』

「師匠? 俺、俺」

『あー、マルゥちゃん……んー? じゃなくてオレオレ詐欺ねぇ』

「そう言うのいいから」

『もぉー、冷たいんだからぁ』

「はははっ。まあ、でもなんか、安心したわ」

『ふふ、そう? なら良かったぁ。それにしてもわたしがここにいるってよくわかったわねぇ』

「師匠は多分襲撃を受けてこっちに向かってるだろうって思ったから。師匠の足ならそろそろそこかなって思ってな」

『偉いわぁマルゥちゃん。さすがわたしの子。それで、そっちはどうなのかしらぁ。順調?』


 マルゥは低い天井を仰いだ。オレンジ色の木の木目が波のようだなと思った。


「順調じゃあねえな」

『あらあらぁ』

「アビスに、ポテトを、けしかけられてさ」


 それからマルゥはニンフルサグにエリアe15の保管施設での出来事をすべて話した。


「ナンナが作ってくれた電話も、悪用されちまった。こんなことなら回線切っておけばよかったな」

『あらまぁ。そんなこと聞いたらナンナちゃんが傷付くわぁ。今電話ボックスの外に居るのにぃ』

「一緒だったのか」

『最終的にはみんな合流した方がいいものぉ。それに一人より二人の方が安全でしょう? それより回線を切っておけばなんて結果論じゃない。ダイナマイトさんだってまさか鉱山で働く人たちの安全のために作ったダイナマイトが人を殺す道具に使われるなんて思ってもみなかったわよねぇ? それともダイナマイトさんがダイナマイトを作らなければ良かったのかしら? 違うわよねぇ。だって彼がダイナマイトを作っていなかったら鉱山で働く人たちはもっとたくさん死んでいたもの。悪い部分にばかりフォーカスを当てたらいけないわぁ』

「まあそりゃそうだが」

『実際、回線を切っていたら、今こうして電話することもできていないはずよぅ?』


 確かにその通りだった。


『マルゥちゃんはどうして電話を掛けたのかしら? わたしに現状報告をしたかっただけ? それだけじゃないわよねえ?』


 マルゥがニンフルサグに縋る理由は一つしかない。どうすればいいのかわからないのだ。しかしそれをそのまま言うのにはためらいがあった。しばらく無言の時間が過ぎる。


『マルゥちゃん。いつも言ってるわよね? 疑問を持って、誰かに聞くこと。探求心を忘れないことが大切。それが問題解決の糸口にもなるのよぅ? 解決できない問題をいつまでも自分の中にしまっておくのは、賢い手段とは言えないわぁ』


 彼女にはすべてが見透かされているようだった。マルゥは観念して心の内をさらけ出す。


「俺ぁもう、なんで戦ってるのかわからねえんだ。だって、アリスを助けたのもここまで連れて来たのも、ポテトに会わせたかったからだ。あいつが、アリスを守れって言ったからだ。なのに、その、アリスを助けて来た理由を、俺が、俺が……殺しちまった……! なんで? なんでだよ師匠……! 俺は、俺がわからねえ……! なんで10年来のダチを殺せるんだよ。意味わかんねえよ。こぇえよ……」


 知らず、嗚咽が漏れていた。自分にはこんな機能が付いていたのだと、妙に感心してしまう。ポテトは苦痛の中一筋も涙を流さなかったというのに。自分だけ泣いてしまうのが、卑怯なことのように思えてしまう。


『マルゥちゃん、あなたに無手不手ムシュフシュを教えていたときのことを覚えているかしらぁ?』


 霞んだ視界の中でも明瞭に浮かべることができる。遠き日の思い出。


「ああ。痛い目を見た」



□ □ □ □



 当時5歳くらいだっただろうか。初めから完成された体で生まれたマルゥに、幼さは関係なかった。それゆえニンフルサグは容赦がなかった。


「痛ぇああ!」


 無手不手ムシュフシュを体得するためにマルゥは毎日訓練を受けていた。高度な武器を持てないマルゥが一人でも生きられるようにと言う訓練なのだから、手を抜くことはできなかったのだろう。

 踏ん張りの効かない畑に入れられ、鉄パイプで何度も打ち合った。


「なんで痛覚神経を切っちゃダメなんだよ! ってぇえ!」

「痛覚って言うのは触覚なのぉ。無手不手ムシュフシュは五感で感じなければいけないのよぉ」

「んだよ五感って、味覚もか? 味わえって言うのかよっぃってぇええ!」

「そうよぅ。たくさーん、いたーい思いを味わってねぇ」

「虐待じゃねえかコノヤロー!」

「泣くほど痛かったら、泣いても良いのよぅ?」

「誰が泣くか! ってーか俺にそんな機能付いてんのか!? いらねえよ! くそ!」


 反撃を試みたが、まったく効いていないようだった。

 旧人類なら痛みでショック死をしているのではないかというレベルの打撃を受け続け、マルゥのパーツがベコベコに凹んだところでその日の修行は終わった。


「なんで師匠は俺の攻撃を簡単に避けられるんだ?」

「逆にどうしてマルゥちゃんはわたしの攻撃を避けられないのかしらぁ」

「どうして……起こりが見えないから」

「せいかぁい」

「じゃあつまり俺の攻撃が当たらないのは、起こりが見えるからってことか」


 マルゥの気付きに、ニンフルサグは満足そうに頷いた。


「でもその起こりってのも具体的にわかってねーんだよな。見えないように見えているだけで本当は見えてんだよなあ」

「そうねえ、実際動いているんだもの。無いように勘違いさせているだけ。でもそれで通用してしまうのよ。視覚情報だけを頼っている人に対しては」


 言われてマルゥは目を瞑ってみた。直後にニンフルサグの緩やかなチョップが頭に落とされた。


「見ないと余計わからねえよ」


 手刀が寝て、やわらかい掌が頭頂部をサラサラと撫でた。


「五感をフル動員すればきっとわかるようになるわぁ。もちろん五感には視覚も含まれるけれど、目に見えるものがすべてだと思わないことねえ。見るならその奥の、見えない部分を見なさい。旧人類が滅んだのだって、裏に潜む真実を見ようとせず、目の前にある情報だけを信じてしまったからだもの。大事なのは考えること。五感で考えなさい」

「考えるのではなく感じろって昔の武術の達人は言ってたけど、違うんだな」

「そうねえ。厳密にはこれは武術ではないもの」

「じゃあなに?」」

「身体操作術。つまり生命鍛錬よぅ。肉体を強化するとか、そう言うお話ではないの。どうすれば生き残れるか。どうすれば生きやすいか。そういう根幹のお話なの。だから考えるの」

「でも考えようにも俺は叢雲むらくもに繋がってないし、そう言う部分でも不利じゃねえか」

「不利じゃあないわ。だって知識がなくたって想像はできるもの。知識を得ることと思考することはまったく別よぉ。それにいくら知識を得たからと言って見えないものがあるの」


 叢雲むらくもと繋がると言うことは、全人類がこれまでに得て来た知識をすべて知ることができると言うことだ。それをもってしても見えないこととはなんなのか。マルゥは視線をニンフルサグへ向け、続く言葉を待った。


「それは心」


 確かに物質化されていない部分だ。目には見えない。


「量子より曖昧な、存在しているのかさえ曖昧な現象よぅ。マルゥちゃん、心について考えたことはあるかしらぁ?」

「心? 師匠の虐待に殺意が芽生えたとかそう言う話か?」

「うふふ、殺意ねぇ。マルゥちゃんったら思ってもいないことを言うんだから」


 どこまでも前向きなニンフルサグに、マルゥは呆れてため息を吐いた。


「心の存在について考えるほど、わからなくなるわぁ。そもそも人間が考えて当て嵌めただけのものだから。植物や石にも心はあるかもしれないのに、人間がないって決めつけたらないってことになるんだもの。おかしなことよぅ」


 ニンフルサグの言葉に、マルゥは聞き入った。


「わたしたち無機生命体も人類継承前は心がないとされていたのぉ。けれど旧人類がほとんど死んで、ラストイニシエーターたちもコールドスリープに就いて、当時のアンドロイドたちが人類を継承して人間になった。観測者は新人類のみになったのぉ。新人類が心ある者と知覚した存在はみぃんな心があるとされたのよぅ」


 ふーん。とマルゥは反応した。


「で?」

「心が一番動くときってどんなときだと思う?」

「……いてぇとき?」

「半分せいかぁい」

「あと半分は?」

「死にそうなときとかぁ、大切な人が死んだとき」

「そしたら俺たち新人類は分が悪いよな。全体的に死ににくい。旧人類より心が動きづれぇから育ちにくいように思うぜ」

「あら、そうかしら? 旧人類だったら死んじゃうくらい痛い思いも、わたしたちは受け止められる。簡単には死ねないのって、死を感じたままに生きながらえてしまうってことじゃあない? それってとってもつらいことよぅ。そのつらさを抱えて生き続けたら、それは旧人類よりもわたしたちの方がより死を身近に感じているってことだから、心の純度はより高まると思うわぁ」

「そんなもんかー?」

「さあねぇ。結局これも、思ったもの勝ちだもの」


 ふふふと笑うニンフルサグ。この表情にも心がないと思われていた時代があるとは、マルゥには想像がつかなかった。


「けどよ。すげぇ根本的な問題として、心の純度が上がったからどうなるんだ? 俺は強くなるのか?」

「さあ?」

「さあって!」

「だってわたしが教えているのは生命鍛錬だもの。そもそも強さなんて関係ないわぁ。だから強くなるかもしれないし、弱くなるかもしれない。でも強さってなぁに? 弱さってなぁに? それがわかるようになることが、本当の意味で強くなるってことなのよぅ」

「うーん……わからん」

「今はわからなくていいわぁ。時間はたっぷりあるものぉ。でも一個だけ。心が磨かれれば無手不手ムシュフシュの練度も上がるのぉ。どうにも突破できない壁が現れたときにはぁ、心を見つめてみるのもいいかもしれないわぁ」

「ん? 心は曖昧で見えないんだろ? 心を見つめるって、どうやってやりゃあいいんだ?」

「その時々によるけれど、一番は自分がなにをしたいかを考えることねぇ。すべきかではなくて」



□ □ □ □


 

 あれから10年。ずっと鍛えて来た。ニンフルサグも、同じ過去を思い出してくれているだろうか。


『マルゥちゃんは心を磨いて強くなったわ。わたしよりもずっと。自覚してないようだけれど、今戦ったらマルゥちゃんの方が強いのよぉ』


 満足げに言った。師匠として嬉しいのだろう。


「強さは関係ねーんじゃなかったか?」

『そうねぇ。でも、無手不手ムシュフシュで正しく身体操作ができると言うことは、生存を脅かされたときにそこから脱却する考えをいくつも手に入れたと言うことになるから、翻って強くなったと言うことになるのよぉ』

「そんなもんかー?」


 あのときの調子で返答した。受話器の向こうで穏やかな笑い声が聞こえた。

 マルゥは師匠に問いかける。


「なあ、師匠、なんで俺には涙が流れるんだ……? どうしてこんな機能を付けたんだ……?」


 意味のない機能だ。強さの逆を行くものだ。旧人類がどうして泣くのか、合理的な理由が見当たらなかったから、新人類には備わってない機能のはずだ。それなのにマルゥには備わっていた。恥ずかしくて、ずっと堪えていた。


『生きるため』


 ニンフルサグは確かな口調でそう言った。


『あなたの心がつらいよぅってときに、誰かに気付いてもらうため。誰かに慰めてもらうため』


(ああ……これが)


 マルゥは、それが母親の愛情なのだと思った。だとすれば旧人類の流した涙は祈りの結晶だ。父母が子の傍に居られないときに、誰かに見つけてもらうための願いを乗せた、祈りの結晶。


「ありがとな。……母さん」

『てへっ。照れちゃうわぁ』


 もしもアリスが傍にいたならば、と思う。

 彼女ならすぐに気付いてくれるだろう。恥ずかしがるマルゥを窘めて、慰めてくれるだろう。同じ、泣くことができる者として。助かるために縋ってしまう弱き者として。ポテトならきっと「へぇ、そんな機能が付いていたのか」と感心するだろうし、アビスなら嘲笑うだろう。エンキは面白がるかもしれない。なんにせよ、ニンフルサグの祈りに答えてくれるのは、アリスだけだろうなと思った。

 彼女は星空を綺麗だと言った。騒がしく軋む夜空を思い出す。


(ああ……あのとき、アリスも言ってたな。怖いって)


 彼女は言っていた。エリアe15に向かうのが自分の意志なのか、新人類の意志なのかわからなかったと。魔物や生き物に対してあまりにあっさり魔法を使える——簡単に殺そうとしてしまう自分はなんなのかと。自分のことをわからないままに自分の体を操縦する怖さに怯えていた。

 あのときは、アリスに心があるのかという問いかけに答えられなかった。しかし今ならわかる。彼女には心がある。自分と同じだから。共感の延長線上に証明を置ける。

 彼女は、今背負っているマルゥの悩みや苦しみを背負ったまま、ずっと旅を続けて来たのだ。力になると言ったマルゥを信じて。マルゥはポテトに言われたからアリスの助けになった。しかしアリスはポテトに言われたからマルゥを信用したのではない。マルゥを見てマルゥを信用したのだ。そんな彼女が今も不安に押しつぶされそうになりながら待っている。きっと、マルゥを信じて。


「あのさ。俺……また間違いを犯してくるよ。多分、旧人類のために新人類を何人も殺すことになる」

『そんなことをしたら、アリスちゃんを助けても、そのあと審判に掛けられてしまうかもしれないわねぇ』


 警察もいなければ裁判官もいない世界だが、それでも人類にとって大きな害があるとなれば審判ののちしかるべき処置を取られる。どんな罰を受けるかはわからないが、死ぬ可能性もある。


「それでも行く。俺は、解放派だからラストイニシエーターを助けるんじゃねえ。アリスが俺を待っているから……いや、俺がアリスを大切に思うから助ける。自分の心に従うことにするぜ、師匠」

『見えないものを見ることができたのねぇ』


 受話器の向こう側で、穏やかな微笑みを浮かべるニンフルサグを想像した。


「あ、それともう一つ。頼みごとがあるんだが」


 マルゥはニンフルサグに用件を伝え、電話を切った。

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