第20話 ダンジョンの夜
上層へと向かう道すがら、俺たちは自然と足を緩めていた。ダンジョン特有の空気は相変わらず肌にひりつくようだったが、先ほどまでの緊張感は少し和らぎ、かわりに穏やかな会話が流れ始める。
話題はもっぱら、今も背後に迫っているかもしれない、黒龍についてだった。
前を歩いていたあかりさんが、ふと振り返った。
「にしても黒龍、ねぇ……実際どんなモンスターなのかしら?」
好奇心と、どこか警戒心を含んだ声だった。
「黒龍……って言うくらいだし、黒いドラゴン?」
アリスさんが小首を傾げながら答える。するとすぐに、耳に機械的な声が届いた。メナスだ。こういったダンジョン絡みの会話には積極的に参加してくる。
『黒龍と接触した
無機質な声が告げるデータに、思わず想像を巡らせる。それはまるで、絵本や神話に出てくるドラゴンそのものだ。
「……正しくザ・ドラゴンって感じですね」
つい口から漏れた言葉に、周囲からも小さな笑いがこぼれた。
「とはいえ分かっているのはこれくらいですから、黒龍に関しては、探索者の間でも色々と憶測や噂話が絶えないんですの」
麗香さんが、冷静に言い添える。その横顔は普段の気品に加えて、微かな緊張を帯びていた。
あかりさんは頬に指を当て、少し考え込む仕草を見せる。
「そうねぇ、特に有名なのは……」
「黒龍が出現した階層には”夜”が訪れる……だね」
アリスさんがぽつりと続ける。その声には、どこか高揚した色が混じっていた。
「夜、ですか?」
思わず聞き返すと、アリスさんは楽しそうに頷いた。
「そ。黒龍の出現後、怖いもの見たさで様子を見に行った探索者が言っていたらしいんだけど……」
アリスさんは一拍置き、少し大げさに息を吸った。
——そこには黒龍の姿は既になく、しかし赤岩の壁が覆っていたはずの空間は、夜で塗り替えられていた。
「——ってね。なんとも詩的な表現だよね」
アリスさんはそう言って笑った。
低く、静かな声で仰々しく語られた情景を思い浮かべる。
夜で塗り替える……言葉だけでは想像しがたい光景だ。
「……メナス的にはどうなんだ?実際見た探索者がいるってことは、メナスも記録しているってことじゃあないのか?」
ふと、気になってメナスに問いかける。探索者一人一人を記録しているメナスなら、そう言った噂話の真相を少なからず知っているはずだ。
『黒龍の”夜”に類似する現象は確認されていません……しかし、黒龍の出現した階層にはいずれも強力な魔力痕跡が残されていることから、何らかの方法で、階層の
メナスの淡々とした回答が響く。情報は断片的で、だからこそ底知れぬ不気味さがあった。
「……事実だとしたらただ事じゃねえですわ」
麗香さんが低く呟く。
日本でも随一の魔法使い、
空気を変えるようにアリスさんが手を叩いた。
「でも、実際ちょっと見てみたいよね、夜」
無邪気とも言える笑顔だったが、それが却って危うさを感じさせる。
「ぜってぇ御免ですわ……」
麗香さんが即座に拒絶する。珍しく語気が強かった。彼女がアリスさんに対して、時折このように口調が崩れる。
「えー、総司君も見たいよね?」
アリスさんがこちらに向き直り、にじり寄るような勢いで尋ねてくる。
「……ちょっと気になりますね」
迫る紅顔にたじろぎつつも正直に答える。興味はある、否応なく。
するとぴたりと麗香さんの視線が突き刺さった。
「……総司さん?」
冷たいジト目で睨まれ、思わず背筋が伸びる。
いや、ちょっとって言ったけど……実際はかなり見てみたい。
しょうがないじゃないか、ドラゴンだぞドラゴン。男の子の夢だ。探索者として、男として、本能には逆らえない。
心の中で言い訳しながら、ぷいと顔を逸らす。
「冗談じゃねぇですわよ……
「あうあうあうあう」
「え?こんなのってなにさ……」
麗香さんに肩をつかまれ、勢い良く揺さぶられる。第一等の魔力でブーストされた膂力に俺は成す術もない。
そんな様子を見ていたあかりさんが、ふわりと柔らかく笑った。
「……そっか、みんなは黒龍討伐が目標なんだっけ」
話題を戻すように、あかりさんが語りかける。
「……うん、そして最下層にたどり着く。停滞している東京ダンジョンの現状を打開して、世界初のダンジョン攻略者になる……それが目標。啓さん達もどう?黒龍討伐」
アリスさんの問いかけに、あかりさんはほんのわずかに視線を伏せた。
「……お手伝いしたいのは山々なんだけど……」
その横で、啓さんがじっとあかりさんを見つめた後、短く言った。
「……あかりを無闇に危険には晒せない」
静かだが、強い決意がこもった声だった。
「啓ちゃんがこの通りだから」
あかりさんは、困ったように微笑んだ。
「二人とも強いのに、勿体ない……」
アリスさんが唇を尖らせるが、あかりさんは静かに首を振る。
「ありがとう、でも現状に満足している私達ではきっとあなた達の足を引っ張ってしまうから」
「そんなことないと思うけどなー」
アリスさんが子どものように食い下がるが、あかりさんはその言葉に優しく微笑んだ。
まるで、すべてを受け止めるかのような、母親のような、柔らかな笑みだった。
「私も啓ちゃんも探索者としてやっていくには、大事なものが増えすぎちゃった……だから私たちは今のままで十分」
一瞬、アリスさんの顔に戸惑いが走った。けれどすぐに、彼女も小さく頷く。
「………そっか、残念」
その呟きは、わずかに寂しさを帯びていた。
「うふふ、いつかアリスちゃんにも分かる日が来るわ……」
あかりさんは、どこか遠くを見つめるように言った。
静かな笑い声だけが、道の向こうへと消えていった。
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