第8話 追憶


〝私は裕福な家庭に生まれた。

幼少期は習い事や勉強ばかりで母と

公園で遊んだりしたことは一度も無かったし

それが当たり前だと疑わなかった。

父は仕事ばかりで家に居ることは少なかった。


小学生になると、周りの子達を見て自分の置かれている環境を疑い始めた。

家では、子どもがテレビを見ると馬鹿になる。

という訳のわからない理由で、

テレビを見せてくれる事は無かったから

流行の芸能人や音楽を全く知らず、

クラスの子達と会話にならないことも多くて爪弾き者にされていた。


そんな私でも学校から家に帰る間はとても楽しかった。何故なら真っ直ぐ家に帰らずに商店街に寄るからだ。


商店街で色々なお店を見るのが好きだった。

毎日見に行くのでお店が変わることはなかったが

それでもただ見れるだけで良かったし、

特に洋服屋を覗くのが好きだった。

母は子どもにお金は必要ないとお小遣いを渡すことはなかったので、自由に使えるお金なんて無かった。


きっとお小遣いがあれば貯めて、洋服でも買ったのだと思う。

私が着る服はいつも母が選んで買ってきたもので、はっきり言ってダサい服装ばかりだった。

でもそれを母に伝えたら叱られるとわかっていたので黙りこくっていた。


母は私の学校生活についてとても興味深々で、

学校での生活はどうかとよく聞かれて母が喜びそうな事を繕って聞かせ安心させていたし

三者面談の時に先生が聖花ちゃんはとても優秀です!と言った時には母は一日中ご機嫌だった。


テストは90点以上を取るのが当たり前で、それ以下の点数を何度か取った時は母から暴行を受けたが、父はやり過ぎるなよ。と嗜めるだけで一度も止めようとはしなかった。


いつも母の顔色を伺っていたし、テストの高得点を見て、機嫌が良くなり笑った顔を見せることが嬉しかったから、その笑顔を見る為に頑張っていた。


でも、私のなにもかもに興味を持ち、支配しようとする母が心の底では大嫌いだった。


中学生になると反抗期になって母と衝突することが日常になり

母はよく、幸せになりたいなら私の言うことを聞け、レールからはみ出せば

底辺の人間に堕ちるぞと何度も言っていた。

その度に今が幸せではないのに未来では幸せになれるって?今、幸せが欲しい。と言い返していた。


夜中に家をこっそりと抜け出すようになり、

俗にいう不良達とつるむようになっていた。

不良達の幼稚で短絡的な思考は好きじゃなかったけど、ここにいる間だけは自分の中のガス抜きができた。


それから高校は進学校に入学した。

というより入学させられたの方が正しい。

だが、高校生の証である制服を着ていたのはたった数ヶ月だった。

母への不満が深まっていき、ある日の口喧嘩で

不満は爆発し家出を決意した。



家の金庫に札束が入っていたことは前から知っていたし解錠方法も把握していた。

金庫を開けると、100万円の束が三つあり全て持ち去って家を出て行った。

盗みまで働いたのでもう家には二度と戻れないし、戻らないと強く心に誓った。


家を出てからは当ては無く、ただ彷徨した。

不思議と不安ではなく一人で何処まで行けるのか一種の好奇心が胸に詰め込まれていた。


ただ、中卒だと働き口は限られていたので、

歳を誤魔化してキャバクラで働くことにした。

店長は恐らく気づいていたが、

女性特有の察しで深く詮索はしてこなかった。

それどころか住処が無いことも見透かされ、

アパートを紹介してくれて入居手続きの面倒を見てくれた。


ようやく手に入れた一人の空間。そして誰にも何も言われずに好きなものを買える。親から盗んだ金で気に入った洋服を片っ端から買ったが、

そんな欲は数日で消えてすぐに飽きた。


ある日、キャバクラに来る客から店の外で会わないか?

と誘われて会い、一夜を共にしてお金を貰った。

中学生の時には既に初体験を終えていてその後も数人と経験していたので嫌悪感は殆ど無かったし、一回寝るだけでこんなに稼げるんだと嬉しい気持ちの方が勝った。


それからは、客と関係を持つ事が多くなったことですぐに店長に見つかってしまい、店をクビになった。

店長にはお世話になったので、事務所の机に謝礼金を入れた封筒を置いてお店を去った。

安い義理人情だと思われるかもしれないが、

自分の中では義理を果たしたつもりだ。




それからすぐに妊娠していることが分かった。

もちろん、相手が誰なのかは分からない。


私はなにも考えずに生きてきた<罰>なのだと思った。

どうしてかこの罰を受け入れようと考え

中絶するという選択肢は消えていき、

子どもが成人するまで<母>になるという刑を受け入れた。


アパートよりも家賃が安い団地に引っ越しをして

それから少し経ってから出産して、

名前を<彩華>と名付けた。

華が彩るように、彩りのある人生を送って欲しいという意味合いであり、これはそういう風に育ててみせるという自身の枷でもあった。


彩華が赤ちゃんの時はお世話に精一杯で働くことは出来なかったので、

お金を切り崩して生活をして、時間があるときは売春をしてお金を稼いでいた。


彩華は順調に育って小学生になり、ある程度は目を離してもよくなるとお金を稼ぐ為に風俗店で働くようになっていった。

彩華は物分かりが良く、机にお金を置いておくとそのお金で飲食物を買って、文句や問題は起こさなかった。


少しは母親らしい事もしてあげたいのでショッピングモールで洋服を見に行ったりしたが、彩華はこれが欲しい!とおねだりすることは無く、

服に無頓着な女であることが私にとっては理解に苦しんだが、彩華に似合う可愛い服を選んで着せてあげていた。


自分の母に学校生活のことを詮索されて嫌だった記憶は鮮明に残っている。だから、

娘にはそう思わせたくなくて敢えて学校生活の事は聞かなかった。


彩華が学校でどういう生活を送っているのか気にはなっていたが聞けば母と同じになるのでぐっと堪えていたが、

テストで高得点を取った!と満面の笑みでテスト用紙を持ってきたことがあった。

その笑顔は無邪気な笑顔ではなくて、私の顔色と機嫌を伺って取り繕っている顔だった。


私が母の機嫌を伺ってしていた行動を、誰に教えられたわけでも無いのに、

娘が全く同じ行動をしていることが堪らなく気持ち悪くなった。


でも、娘がどういう気持ちでそうしているのかは経験者として痛いほど分かるが素直に褒めてあげられず

「そうなんだ」と一言で終わらせてしまった。

振り返ってみると、素直に褒めてあげれば良かったと後悔している……


風俗店で働くようになってから、客と店外で会ったりして、何人かは彼氏になることもあったが子どもが原因で誰とも長くは続かなかった。



彩華が中学生になって、男女のことについて

ある程度、理解が出来る年齢になったので

好きな男がいるのか気になっていた。

いても構わないけど、私みたいに望まない妊娠はして欲しくなかったから、思い切って聞いてみた。


「あんた、学校で好きな男とかいないの?」


「えっ??いるわけないじゃん!笑」


「綺麗な顔に産んであげたんだから、活かしなさいよ〜まだ中学生には早いか笑」


まだ彩華には早かったみたいで少しホッとして、茶化すようなことも言ってしまったが、笑顔の彩華を見て無垢で可愛いなぁと微笑ましく思えた。



そのあと、高校は公立に進学してくれたので金銭的に本当に助かった。

風俗の仕事は年齢が重要で、三十代半ばになってからは前より稼げなくなっていた。


店長にその話をすると三十代以降がメインで在籍する店舗に移動すれば客層も変わるから稼げるかもしれないと言われてそうすることにした。


だが、実際は単価も下がり、稼ぐ為には出勤日数を増やすことになり、結局は安売りしているだけだったが食べていく為には仕方なかった。


彩華がアルバイトを始めて、自分の物は自分で稼いで買うようになっていった。

その気遣いが苦しかったが、順調に成長して大人になりつつあることも感じられた。

ようやく子育てを終えて<母>という刑から解放される兆しが見えた。


娘は大学に行かず、就職すると言っていたので就活の状況を気にしていたが、

上場企業の一般事務に受かったと聞いて私は自分の事のように喜んだ。

でもそれはぬか喜びに変わっていく……



まさかの入社して二ヶ月で仕事を辞めた。

彩華は何故辞めたのか言おうとしなかったが、

恐らくは顔で採用され、男に付き纏われて嫌気が差したのだろう。


彩華は今後も家にいるつもりだと言った時は怒りが底から湧いてきた。

子育てを終えて、ようやく<母>ではなく<女>に戻れると思ったのに。

子育てという刑期がもうすぐ終わるというのに、これ以上延ばされることは我慢ならなかった。


かといって、次の仕事が決まっていない娘に家を出て行けとは言いづらく、どうしようか考えていたが、答えは出ず、どうにでもなれと感情のままに行動した。


その時に付き合っていた男は反社で下っ端だったが、金が返せない女を風呂屋に堕として仲介手数料でかなり儲けたとよく自慢げに話していた。


男に電話をかけて、部屋にいる彩華に聞こえるように話した。


「いきなりだけどさ、水商売でも風俗でもいいからさ、娘を働かせてやってくれないかな。

その代わり、まとまったお金を渡してくれない?」


「えっ?どういうこと?……家に行って話聞くから待ってろ」


「お金さえちゃんとくれるなら娘はあげるって言ってんの。

その後はどうしようが私には関係ないから気にしないで。それで、今から家に来るのよね?」


「今から行くからとりあえず待ってろ」


トイレに入って彩華が家から逃げる隙を作った。

彩華には話が聞こえていたはずだが本当に家を出るだろうか?

出る前に男が来るのだろうか?

来たら本当に差し出すのか?

様々な疑問が頭の中をぐるぐると回り続けていると、彩華が家を出て行った。


彩華の部屋を見ると修学旅行用に買ったリュックと衣服や貴重品が無くなっていて、本当に出て行ったのだと体感できた。


家に来た男には酔っていて変なことを言ってしまったと適当に言ってその場を納めた。〟

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