影の誕生
豚骨
ストーリー
ある日、世界が止まった。
藤崎真奈は、いつものように東京の街を歩いていた。
会社帰りの喧騒、どこかで流れる歌、夕陽に染まるビルのガラス。
そんな何気ない風景の中、ふと違和感が背筋を這った。
何かがおかしい。
足を止めたその瞬間だった。
世界が、静止した。
風は止み、鳥は空中で止まり、人々はまるで彫像のように固まっていた。
空気は張り詰め、光すらも揺らいで見えた。まるで、現実そのものがノイズに侵されているようだった。
「……何、これ?」
真奈はひとり、動けていた。
そして、次の瞬間、彼女の足元に落ちた影が——ゆっくりと動き出した。
―――
影の反乱は静かに始まっていた。
真奈が凍りついた街を彷徨う中、止まった人々の「影」だけが、ゆっくりと蠢き始めた。
影は主から離れ、形を変えながら立ち上がり、黒い霧のようにうねる。
そして突然、人々の身体が砂のように崩れ、消えていった。
「嘘……でしょ……?」
崩れた人間の代わりに、影がその姿を模倣し、街に戻っていった。
まるで何事もなかったかのように、人々のフリをして歩き出す。
朝、通勤し、昼には弁当を食べ、夕方には家路につく。
ただし、それは“昼”の話だった。
夜になると、彼らは変わる。
影たちは、夜になると“何か”をしていた。
それが何なのか、目には見えない。ただ音だけが、聞こえてくる。
ギリ……ギリ……ギリ……
骨を削るような不気味な音。
誰かが低く囁く声。
湿った何かが擦れる音。
真奈は恐怖に凍りつきながら、ただその場に息を潜めていた。
―――
ある夜、影に気づかれた真奈は必死に逃げ、廃ビルに身を隠す。
そこには、数人の生存者が潜んでいた。
変人扱いされていた老人・天野。
「こうなると思っていたよ……影は、人間の“本当の姿”かもしれん」
誰にも信じられなかった彼の言葉が、今では唯一の指標だった。
もう一人は、新城という男。
妊娠中の妻を連れていた。
「俺は、家族を守る……どんなことがあっても、俺は受け入れる。」
真奈は彼らとともに、恐怖の中で息を潜めて暮らした。
だがある日、その日が来た。
新城の妻が、産気づいたのだ。
影に怯える中、廃ビルの一室で出産が始まる。
真奈は手を握り、必死に声をかける。
だが、生まれてきたものは——
黒く揺らめく、形を持たない“影の赤ん坊”だった。
その瞬間、赤ん坊の影が、母親の影に手を伸ばし、
まるで喰らうように融合する。
「ま、待って……!」
真奈が叫ぶ間もなく、母親の身体が砂のように崩れ落ち、影だけが残された。
新城は茫然と、影の赤ん坊を見つめていた。
最初は震えていた。だが次の瞬間、小さな影の手が彼の指を掴んだ。
「……そうか」
新城はゆっくりと微笑んだ。
それは恐怖ではなく、悟りのような笑顔だった。
赤ん坊を抱きしめた瞬間、新城の影が揺らぎ、彼の実体が砂のように崩れていく。
真奈は叫んだ。
「新城さん! どうして……!」
彼は静かに答えた。
「最初から、こうなる運命だったんだよ」
そう言い残して、新城は影へと変わった。
まるで何事もなかったかのように、赤ん坊を抱いたまま、静かに歩いて行った。
―――
天野は、影に襲われた。
血を流しながらソファに倒れ込む。
「結局……わしらは……影に還る運命なんじゃよ……」
彼の目は虚ろに開いたまま、夜の訪れを迎える。
真奈はその隣で、気を張ったまま、うたた寝してしまった。
―――
目が覚めたとき、天野の身体はなかった。
ただ、影だけがソファに横たわっていた。
「……もう、私しかいないの?」
真奈は懐中電灯を握りしめ、廃ビルを出た。
静まり返った街。
人々の姿はある。だが、それが人間なのか影なのか、もう誰にも分からない。
その瞬間——
街中の電灯が、一斉に消えた。
真っ暗な世界。
闇だけが、息をしていた。
真奈の息遣いが響く。
ギリ……ギリ……ギリ……
あの音が、近づいてくる。
「だれ……なの……?」
カタン。
懐中電灯が手から滑り落ち、床を転がる音が響いた。
その瞬間、闇が真奈を呑み込んだ。
——暗転。
END
影の誕生 豚骨 @tonkotsu_S
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