プレッシャー −静かなる崩壊−

豚骨

ストーリー

堀田晃は、静かな男だった。


地方自治体の防災課に勤めて二十年以上。かつて水害の現場で住民を救出し、地域新聞に「命の消防マン」として取り上げられたこともある。


けれど今、その姿を覚えている者は少ない。


妻と別れ、息子にも会えず、黙々と一人で生きている。趣味は日曜大工。仕事以外はほとんど誰とも話さない。


自宅の片隅で木材を削りながら、彼は何かを整えていたのかもしれない。世界か、自分か、その両方か。


ある日、同僚の若手職員がSNSで「防災課のハラスメント体質」を告発した。匿名だったが、すぐに噂が立った。「あれ、堀田さんじゃないか?」


真偽も確認されないまま、彼は“処理”された。


上司は言った。「しばらく、静かにしててくれ。」


それが“社会的に消える”ということだった。


通勤経路で、誰も彼に目を合わせなくなった。スマホの通知は、「お前が潰したのか」という見知らぬ名前ばかりだった。


自治体から紹介されたカウンセラーは、事務的に言った。


「今は辛いと思います。でも、誰にでもありますから」


“みんな一緒”だと言われて、彼は何かを失った気がした。


休職して数週間が経った頃、同僚の白石がやって来た。


「よっす堀田さん!いや〜噂は聞いてましたけど……生きてたっすね。安心した!」


白石はソファに勝手に座り、缶チューハイを開けた。


「てかこの制度すごいっすね。俺も病んでみようかな〜。ちゃんと診断もらえば、こんなに休めるんでしょ?」


堀田は無言で、冷蔵庫から水を差し出した。


「いやいや、水はいいっすって。こっちで潤ってますから(笑)」


白石は勝手に話を続ける。堀田の仕事を引き継いだこと、上司に褒められたこと、いかに自分が“使える存在”か。


「正直、堀田さんって仕事真面目だけど……ちょっと浮いてたじゃないですか?ね?」


堀田は立ち上がった。


「ちょっと、席外す」


「しょんべんっすか?(笑)」


白石が笑う。


堀田がいなくなった部屋で、白石は独り言を呟いた。


「ほんっと空気読めねえ奴だったよな……英雄気取りでさ……」


その瞬間だった。


背後から、重い音が鳴った。


白石の手から缶チューハイが転がり落ち、カーペットにしぶきが散る。


後日、堀田の部屋は静かだった。


誰も白石の姿を見かけなかった。


週に一度来るカウンセラーが現れた。


「少しだけ、お話ししましょうか」


「ええ」


「堀田さん、前より少しお顔が穏やかになりましたね」


「そうですか。……それはよかった」


「……皆さん、頑張ってますから。堀田さんだけじゃないんですよ」


その瞬間、彼の手が動いた。


工具棚から取り出されたものが、何だったのか。


そのあとの声は、近所には届かなかった。


その夜、隣人家族の部屋で悲鳴が上がる。


堀田は、長谷川家に侵入した。


笑っている家族の姿を、遠くから何度も見ていた。

温かい食卓。子どもたちの笑い声。妻の柔らかな声。


彼にはもう無いもの。


それでも、誰かに責められることはなかった。


責めなかったのは、無関心だったからだ。


堀田は暴れ、家具をなぎ倒し、子どもを抱えたまま逃げようとした父親を壁際に押し倒した。


ネイルガンが火を吹く音が一度だけ響いた。


そして静寂。


間もなく、通報により警察が家を包囲する。


堀田は自宅に戻り、工具だらけの部屋で一人、鏡の前に座った。


割れた鏡が、彼の顔を何枚にも分断して映す。


彼はネイルガンを手に取り、眉間に押し当てる。


何かを考える表情。だが、言葉は出ない。


代わりに、叫びが出た。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああ!!!!!!!」


その瞬間、特殊部隊が突入。

閃光。破壊音。銃声。


堀田の身体が吹き飛んだ。


翌朝。


誰もいない部屋。埃をかぶった木の棚。乾いた血。


DIYのための道具が、今はただ静かに横たわっている。

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プレッシャー −静かなる崩壊− 豚骨 @tonkotsu_S

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