今日、死ななかったのは
接木なじむ
第1話
それは多分、深夜。
照明を落とす前にスマホを確認した時は十時半だった。
それからどれくらいの時間が経っているのか、いまいち判然としない。まだ三十分も経ってない気もするし、もう五時間ぐらい過ぎた気もする。
わからない。
わからないが、夜明けがまだまだ遠くにあることはなぜかわかる。
天井に見飽きた僕は寝返りを打つ。
隣では、彼女が寝息を立てていた。
健康的に眠る彼女に安心感を覚えつつも、僕は暗い夜にひとり取り残された気がしてしまう。
こうなると、もうだめだ。
過去に残してきた恥や悔いが激流のように頭を巡り、負の感情が溶岩のように吹き出てくる。
寝る前に飲んだ抗不安薬も効かない。
止められなかった。
僕の胸はすぐにどろどろでいっぱいになって、抱えきれなくなって、ついには泣き出してしまった。
しくしくと、ひとり涙を流す。
情けないが、よくあることだった。
そして、いつものように彼女を起こしてしまうのだった。
「おぉ、おぉ、いったいどうしたの」
寝起きとは思えないぐらいはっきりとした口調だった。
僕は、僕の心が言うままに答えた。
「死にたい」
彼女を困らせてしまうとわかっていても、そう言うことしかできなかった。
「……そっかぁ」
彼女は少し考えて、言う。
「どうして死にたいの?」
「わからない……」
「わからないなら、もう少し生きてみるのはどう? ほら、週末にふたりで出掛けるって約束したでしょう?」
「でも……」
「でも?」
「……でも、もう辛いんだ。この心を抱えながら生きるのが辛い。眠れない夜が永遠に続くような感覚なんだ」
僕はまた泣いた。
声を出して泣いた。
そんな僕を、彼女は優しく抱きしめて、とんとんと、まるで赤子をあやすように背中を叩いてくれた。
安心したからだろうか、それとも自分が情けなくてだろうか、涙はなかなか止まってくれなかった。
「落ち着いた?」
鼻をかんで、ひと息ついた僕に、彼女は問いかける。
「……うん。ごめん、変なこと言って」
「いいんだよ。人間誰しも、そういうときはあるよ」
「誰でもあるの?」
「あるよ。私だってあるよ」
僕は驚いた。
「君にも?」
「そうだよ。今日だって、仕事中に怒られて、生きるのめんどくせーって思ったよ」
でも、と。
彼女は言う。
「でも――それでも、今日死ななかったのは、帰ったら君がおいしいご飯を作って待っててくれてるって思ったからだし、まだまだやりたいことあるし、そう考えたら死ぬのもめんどくせーって思ったからだよ」
僕は問うた。
「そんな簡単なことなの?」
彼女は言った。
「そうだよ。そんなもんだよ」
「……そっか」
「それにさ、この前、一年に一都道府県ずつ旅行しようねって約束したでしょう。それってつまり、最低でも四十七年は生きるってことだからね」
「たしかに……」
「ふふっ、軽率に約束なんてするもんじゃないよ」
彼女は意地悪く笑った。
「さて、じゃあこれからどうする?」
「どうするって、なにが?」
「眠れないんでしょう? だったら夜更かしするしかないじゃん」
「そうだけど……」
「ここは、定番のあれじゃない?」
「あれ?」
「あれだよあれ。ほら、布団かぶりなおして」
「う、うん」
言われるがままに、僕は布団を深くかぶりなおして、彼女とベッドの上で向き合った。
すると彼女は、にやにやとしながらひそひそ声で言った。
「お前さ……好きな人いる?」
僕は思わず噴き出した。
「ふふっ、君だよ」
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