第3話「副会計とは呼ばないで」

【前書き】

気づかないふりをしていたのかもしれない。

あの一晩、桃鉄といっしょに転がったもの──

それは、数字じゃ測れない感情だった。


* * *


 ゲームが終わった。

 勝敗は、私の勝ちだった。

 ……彼が、少し手を抜いたのはわかっていた。


「おめでと。ちゃんと勝ったな、氷室」

「……当然」

「はいはい、つよつよ副会計様」

「その呼び方、流行らせないで」

「マジでダメ?」

「……ちょっとだけなら」


 教室の時計は、もう十時を回っている。

 窓の外は、黒一色。

 蛍光灯の光だけが、取り残されたふたりの間に落ちていた。


「そろそろ……帰る?」

「うん。帰ろう」


 ゆっくり立ち上がる。

 座りっぱなしだった足が少ししびれて、

 思わずよろけた私の腕を、彼が軽く支えてくれた。


「……ありがと」

「いーえ。ゲーム中よりレアな“素直氷室”いただきました」

「キャンセル」

「だめ。もうログ保存済」


 ふたり分の笑い声が、教室に溶けていった。


「……なんか、楽しかったね」

「うん」

「もっと早くこうやって喋ってたら、

 クラスの雰囲気、変わってたかもな」

「それは……どうかな」

「俺は、けっこう嬉しかったけど」

「……私も」


 返事をしたあとで、

 胸のあたりがふわっと熱くなった。

 口にした“私も”が、

 今夜のすべてを言い表している気がして──

 だから、それ以上は言えなかった。


「じゃ、また学校で」

「……うん」

 扉のところで振り向いた彼が、

 まるで何かを言いかけるような顔をして、

 でもそれを口にしないまま、軽く手を振った。


 それが、

 この夜の、終わりの合図だった。


 私は、

 パソコンのシャットダウン音を聞きながら、

 心の中に、答えの出ない問いを抱えていた。


 “どうして私は──

 あの人の笑った顔を、こんなに何度も思い出しているんだろう?”


* * *


 帰り道、スマホの通知は鳴らなかった。

 LINEも、DMも、何も来なかった。

 当たり前だ。

 私も、なにも送っていないのだから。


 でも、電車の揺れに身を任せながら、

 ずっと思い出していた。

 彼が笑った顔。

 黙ってパソコンを眺めていた横顔。

 あの一言。


『……好きっていう感情の入り口だと思うんだよね』


 冗談。

 たぶん、軽いノリ。

 でも、わたしの心には、

 その言葉だけが静かに響き続けていた。


 “あのとき、言えばよかった”

 “あの瞬間、もう少し素直になれたら”


 そう思っても、時間は戻らない。

 わたしの手元には、勝利の記録だけが残っていた。

 ……でも、

 それが、本当に“勝ち”だったのだろうか。


 彼がボンビーを引き取ったときのこと。

 冗談みたいな優しさで、私を守ろうとしていたこと。

 あれは全部、偶然だったのかもしれない。

 でも、偶然が重なると、人はそこに意味を見出してしまう。


 ──あの夜の意味は、

 今の私にも、まだ答えが出せない。


 ただひとつだけ、わかっていることがある。

 あの時間は、

 私の心のどこかに、確かに“触れた”ということ。


 終点が近づく。

 駅のアナウンスが流れる。

 日常がもうすぐ戻ってくる。


 そして、私はこの想いを──

 誰にも言わないまま、心の奥に仕舞い込んだ。


* * *


 次の日。

 教室で彼と会っても、

 昨夜のことには、誰も触れなかった。


 彼も、私も、

 いつも通りの顔をして、

 いつも通りの距離感で過ごしていた。


 たぶん、それが“正解”だった。


 授業が終わって、

 帰り際に、生徒会の後輩が声をかけてきた。


「副会ちょ──じゃなかった、副会計、これ、提出でいいですか?」

「うん、ありがとう」


 “副会計”という言葉に、

 私はふっと、笑ってしまった。


 ──あの夜、

彼はずっと、私のことを“氷室”とか、“副会計”とか、そんなふうに呼んでいた。

茶化したり、

「勝ちたい氷室」とからかうことはあっても──


苗字や役職でしか、呼ばなかった。


でも、最後に一度だけ。

小さく、名前を口にした。


『……またな、サキ』


 それが、最初で最後だった。


 私はそのとき、

 返事ができなかった。

 振り向くことも、

 微笑むこともできなかった。


 ただ、

 胸の奥が、静かに波立っていた。


 その声の温度を、

 忘れたくないと思った。


 たった一晩。

 たったひとつのゲーム。

 でも、そこには──


 “恋だったかもしれない”と思える何かが、確かにあった。


 だから。

 たとえもう一度、あの夜が戻ってきたとしても、

 私のことは、


 ──副会計とは、呼ばないで。


* * *


【後書き】

たった一晩、たったひとつのゲーム。

でも、たしかに“恋だったかもしれない”。

お読みいただきありがとうございました。


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キングボンビーが引き寄せたのは──恋だったかもしれない 吉高 彰哉(よしたか あきなり) @mega20nen22

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