最弱(自称)サラリーマン、気づいたらSランク冒険者扱い!? 〜のんびりダンジョンライフ〜

りおまる

第一部:会社員・椎名陽の、ちょっと不思議な散歩道

第1章:月曜日の迷い人、未知との遭遇

第1話:溜息まじりの月曜日

 けたたましいアラームの音が、安らかな眠りの世界から椎名陽しいなはるを引きずり出した。


 無意識に手を伸ばす。

 スマートフォンの画面をタップした。

 表示されたのは、絶望的な「月曜日」の文字。

 そして、AM6:30という非情な時刻だった。


(うわぁ……もう朝かよ……)


 昨日、寝たのは何時だったか。

 確か、深夜2時を過ぎていたはずだ。


(まぶた、鉛みたいに重い……)


 陽は重い瞼を無理やりこじ開けた。


 寝返りを打ちたい。

 あと五分。いや、十分だけでも、この温かい布団の中にいたい。

 しかし、そんなささやかな願いが叶うはずもない。

 社会という名の巨大な歯車は、陽の都合などお構いなしに回り始めるのだ。

 人生とは、かくも無慈悲なものである。


(起きるか……)


 起きないと、またあの満員電車地獄が待っている。


(遅延でもしてたら最悪だ……)


 諦めて上半身を起こした。

 首と肩がミシミシと悲鳴を上げる。

 まるで錆びついたブリキ人形のようだ。


 典型的な社畜の週末だった。

 土曜日は昼過ぎまで泥のように眠る。

 日曜日は溜まった家事をこなしつつ、結局夕方から会社のPCを開いて仕事の残り。

 お気に入りの海外ドラマの最新シーズンも、まだ1話も観れていない。

 そんな生活で、蓄積された疲労が回復するはずもなかった。


 ワンルームマンションの窓の外は、まだ夜の気配が残る薄暗さだ。

 カーテンの隙間から差し込むのは、頼りない街灯の光。

 そして、どんよりとした曇り空の色。

 まるで自分の心模様を映しているかのようだ、と陽は自嘲する。


(今日の天気、雨じゃなきゃいいけど……)


 折り畳み傘は、会社に置きっぱなしだったような気がする。


(またビニール傘が増えるのか……無駄な出費だ)


 そんな些細な心配事が、朝一番の思考を占める。

 自分の人生のスケールの小ささを感じずにはいられない。

 学生の頃は、もっと大きな夢とか、野望とか、そういうものがあったような気もする。

 だが、今となっては遠い昔の霞んだ記憶だ。


(ああ、今日のプレゼン資料……)


 課長は、絶対また何か言ってくるぞ。

 あの人の「ちょっとした思いつき」が、こっちの睡眠時間をどれだけ削ると思っているんだか……。


 陽は、上司のいつものセリフを脳内で再生する。

 あの独特の、ねっとりとした口調で。


「椎名くん、例のデータだけど、やっぱりグラフの種類変えて、あとフォントもこっちのほうが見やすいんじゃないかな?」


 そこで終わればまだマシだ。


「あ、それから昨日の夜中に思いついたんだけど、この要素も追加で……もちろん、今日の朝イチでね! 急ぎだから、よろしく頼むよ! 君ならできると信じているからね!」


 とか、平気で言い放つんだ、あの人は……。

 信じているとか、便利な言葉だよな、まったく。


 リアルな上司の声を脳内再生してしまい、陽は思わず顔をしかめた。

 こめかみがズキリと痛む。

 考えただけで胃がキリキリと痛む。

 これはもう、一種のパブロフの犬状態かもしれない。

 いや、確実にそうだ。

 課長の顔を思い浮かべるだけで、ストレス性の胃痛が条件反射のように襲ってくるのだから。


 ふらつく足取りで洗面所へ向かう。

 鏡に映った自分の顔を見て、さらに気分が沈んだ。

 目の下の隈は、もはやコンシーラーでも隠しきれない領域に達している。

 寝癖で爆発した髪は、現代アートのオブジェか何かだろうか。


 ルーティンと化した歯磨きを終える。

 クローゼットから代わり映えのしないワイシャツとスラックスを選んだ。

 適当なネクタイを締める。

 ワイシャツの襟は少し黄ばんでいる気がするが、クリーニングに出す暇もない。

 お洒落に気を遣う気力など、とうの昔に枯渇していた。

 第一、そんな時間があるなら、少しでも長く寝ていたい。


(……ひどい顔だな)


 これじゃあ、クライアントにも失礼だろう。

 まあ、誰も俺の顔なんて気にしてないだろうけど。


(興味があるのは、俺が持っていく資料と、俺がどれだけ無茶な要求を飲めるか、だけだ)


 自己評価は常に低い。

 それが陽のデフォルトだった。

 期待しなければ、失望することもない。

 社会人になって数年で学んだ、ささやかな処世術だ。


 キッチンと呼ぶのも憚られるスペースへ。

 インスタントコーヒーを淹れる。

 棚には、いつか買ったお洒落なコーヒー豆が未開封のまま眠っている。

 豆を挽いて、ドリップして……。

 そんな優雅な朝の過ごし方は、今の陽にとってはファンタジーの世界の出来事だ。


 熱いそれを啜る。

 スマートフォンでニュースを流し読みする。

 目に入ってくるのは政治家の不祥事や、企業の不正、暗い事件ばかり。

 朝から気分が滅入るような情報ばかりで、ため息が漏れる。


(世の中、ろくな事ないな……)

(俺の人生も、ろくな事ないけど)


 カフェインだけが、今日の地獄を乗り切るための唯一の燃料であり、一時的な覚醒剤だった。


(AIが進化しても、俺の仕事はなくならないんだろうな……)


 むしろ、AIを使うための新たな仕事が増えるだけかもしれない。


(そして、そのAIのトラブル対応をするのも、きっと俺なんだろうな……)


 そんなネガティブな思考が、次から次へと湧いてくる。


 今日のスケジュールを脳内で再確認する。

 午前9時、朝礼。

 そこでまず、社長のありがたい(長いだけの)お言葉を聞かされる。

 9時半、課内ミーティング(という名の課長の独演会と、若手への責任転嫁大会)。

 10時、例のプレゼン準備最終確認(という名の、課長の鶴の一声による全面改修作業)。


(11時、クライアントA社へ移動。電車は遅延してないだろうな……)

(13時、クライアントA社と昼食兼打ち合わせ。きっと、また無理難題を笑顔で言われるんだろうな)

(15時、帰社して報告書作成。あのフォーマット、誰が考えたんだか……無駄に複雑なんだよな)


 ここまでは、まだ想定の範囲内だ。

 地獄の釜の縁を歩いているようなもの。

 問題は夕方以降、釜の中に本格的に足を踏み入れる時間帯だ。


(16時、クライアントB社からの緊急電話対応。きっと、また「仕様書に書いてない機能が動かない!」とかいうクレームだろうな……)

(17時、開発チームとの進捗確認(という名の炎上案件火消し会議)。エンジニアの皆さんも疲弊してるだろうな……)

(18時、定時……だが、帰れるわけがない。そこからが本番だ)


 深夜までの残業が確定している。

 下手したら、今日中に終わらないかもしれない……。


 もはやルーティンと化した残業予定に、陽の心は無感動だった。

 怒りも悲しみも通り越して、ただただ虚無感が漂っている。


(……うん、今日も一日、希望の欠片も見当たらないな)

(素晴らしい社畜ライフだ。これが俺の選んだ道……いや、気づいたらこうなってただけか)


 自嘲気味な笑みが、自然と口元に浮かぶ。

 それが、椎名陽の、いつも通りの月曜日の朝の風景だった。

 彼は静かにため息をつき、飲みかけのコーヒーをぐいっと飲み干した。

 そして、重い足取りで玄関へと向かった。

 外の空気はひんやりとしていて、少しだけ気が引き締まる……ような気もしたが、気のせいかもしれない。


 彼がこれから向かう、いつもの地下鉄の駅。

 その薄暗いホームの片隅で、日常とは異なる何かが静かに口を開けて彼を待ち受けていた。

 そして、その日が、彼の平凡で退屈な世界が、ほんの少しだけ、しかし決定的に変わる始まりの日になることなど、今の陽は知る由もなかった。

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