番外編1-3:孤独の宣言
始発電車のプラットホームは、いつも通りに静かだった。
早朝の空気はまだ肌寒く、吐く息が白くなる。時間はまだ五時台。けれど、今の僕にとって、朝の静けさすら落ち着きを与えてはくれなかった。
僕は今日も、あの電車に乗る。乗らなきゃいけない理由なんてないはずなのに、乗らないわけにもいかない。ユウナさんとカズハさんが、きっと待っている。いや、正確には——僕のことを“見つけに来る”。
先に乗り込んだ電車のシートに身を沈めながら、僕は昨日までの提案を思い返していた。
「アナタがワタシたちに宣言したことは真実でなくてはならない」
「僕は提案を拒否しません、と一度だけワタシたちへ宣言しなくてはならない」
あの時は、言うだけなら……と思って承諾した。ゲームだし、何か裏があるにしても、僕に影響が出るのはずっと先だろうと、そう高を括っていた。
でも、それは大きな間違いだった。
「おはよう、サトルくん」
ユウナさんの声が、耳元に柔らかく届いた。
顔を上げると、彼女がいつの間にか僕の隣に腰を下ろしていた。
ショートヘアが軽やかに揺れている。朝の光を受けて、その輪郭だけがほのかに輝いて見えた。
僕が反応するより早く、カズハさんも向かいの席に無言で座った。
「今日は、ちゃんと待っててくれたんだね」
ユウナさんの微笑みが優しくて、それが逆に怖かった。
「――今日の“提案”は?」
僕の声は、思っていたよりも小さく震えていた。でも、それを隠す余裕もない。
ユウナさんは静かに一枚のカードを取り出して、僕の膝の上にそっと乗せた。
「第三の提案は、これだよ」
『僕は誰にも助けを求めません、と一度だけワタシたちへ宣言しなくてはならない』
思わずカードから目を逸らした。拒絶したい。これは、あまりにも——重すぎる。
「――なんで、こんなことを」
「特に意味はないよ。ただ、これは“提案”だから。受けるも拒むも、サトルくんの自由だよ?」
カズハさんが、口元だけで冷たく笑う。
「――それなら、僕は……」
口にしようとした。「拒否する」と。
けれど、その言葉は喉元で詰まった。出てこない。声にならない。意識とは裏腹に、唇が閉じたまま動かない。
おかしい。
喉に力を入れてみても、空気が抜けるだけ。言葉にならない。拒否する、そう言うだけのはずなのに。
「――あれ……?」
力が抜けたように座席にもたれかかりながら、僕は気付いた。
昨日、自分が口にした宣言。
「僕は提案を拒否しません」
その言葉が、第一の提案によって“真実”に書き換えられたという事実。
そして今、それが現実として僕を縛っている。
つまり――僕は、提案を拒否できない。
「――そんな、バカな……」
手のひらに汗がにじむ。心臓の鼓動が早くなって、鼓膜の奥でドクドクと響いている。
「逃げ道、塞がってるね。あーあ、かわいそうに」
カズハさんの声は、明らかに楽しんでいる。僕が追い詰められていく様子を、じっくり味わっているかのように。
僕は言い返せなかった。けれど、その時ようやく、全てが繋がった。
僕は、もう拒否できない。どんな提案が来ようと、従うしかない。しかも、それを口にした時点で、“真実”になる。つまり今日の提案を受け入れた瞬間、僕は——誰にも助けを求めることができなくなる。
「――そんなの、あんまりだ」
喉から漏れたのは、言葉というよりは呻きだった。
「なら、拒否すれば?」
カズハさんが言う。でも、それは僕にとって不可能な選択だ。拒否という行動そのものが、もう“選べない”のだから。
「――ふざけてる」
「ううん、これはゲームだよ。最初にそう言ったでしょ? 単純なルール、シンプルな提案。そして、それを受け入れるかどうかは君の自由」
自由? 僕にはもうそんなもの、残っていない。
でも、逃げることもできない。
「――僕は誰にも助けを求めません」
絞り出すように、僕は宣言した。その瞬間、何かが静かに、だけど確実に心の中で崩れた。
一言呟いただけなのに、胸の奥が真っ暗になった気がした。誰かに助けてほしい、怖い、止めてくれ。そんな当たり前の感情が、声にならない。いや、そもそも、浮かび上がってすらこない。
ユウナさんが、静かに目を細めた。
「ありがとう、サトルくん。これで、今日の提案は完了だよ」
その言葉を最後に、彼女たちは何も言わず立ち上がった。
次の駅のアナウンスが流れる。車窓の外に見える街並みは、昨日と何も変わらないのに、世界はもう僕にとって別物だった。
「また明日ね。ちゃんと来てね?」
ユウナさんが、振り返らずにそう言った。
まるで、僕が逃げられないことを知っているみたいに。
電車のドアが開いて、二人の姿が人混みに消えていく。
僕はただ、膝の上に置かれたカードをじっと見つめた。
今日から僕は、誰にも助けを求めることができない。
そして明日は——もっと、ひどい提案が待っている。
それでも僕は、それを拒否することすらできない。
(つづく)
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