ユウダイと提案ゲーム編

第1話:始発の静寂

まだ夜の匂いが残る、朝五時一八分。

任務を終えた俺は、始発電車の静けさの中にいた。


民間企業を装った国家機関「MtM(エムティーエム)」――その戦闘要員としての仕事を終えたばかりで、頭はまだぼんやりとしている。空っぽの車両。ガタン、ゴトンというリズムが心地よくて、目蓋が重くなる。


(あと3コンボでイベントSSR……やるしかねぇ)


制服の内ポケットからスマホを取り出し、定番の萌え系パズルゲームを起動した。画面の中で、ヒロインたちがにこにこ笑っている。目の下には、任務のせいでできたクマ。目をこすりながら、指をスライドさせてコンボを稼いでいく。


……この電車が終点に着くまでの、ほんのささやかな現実逃避の時間。


その静寂を壊したのは、斜め前から聞こえた女の声だった。


「ねぇ、あなた。眠るのは、好き?」


一瞬、聞き間違いかと思って顔を上げる。

そこに、誰か――いや、“明らかに異質な存在”が座っていた。


長い黒髪、透き通るような肌、整った顔立ち。そして、あの瞳……深い紫に染まったその目は、不気味なくらい光を湛えていて、まるで俺の思考を覗き込んでくるようだった。


(誰だ……? どこかで見たような……)


目を逸らせなかった。既視感が胸を締め付ける。でも、思い出せない。

まるで記憶の表面だけをナイフで削ぎ落とされたような、嫌な感覚。


声を出そうとしたが、喉が詰まる。


「私、闇野ナナカ。ちょっとした提案を持ってきたの」

「……提案?」


名前も、どこかで聞いたことがあるような気がする。


ナナカと名乗った女は、穏やかな笑みを浮かべたまま、すっと足を組んだ。

その仕草一つで、車内の空気がピリッと張り詰めた気がした。皮膚の表面を冷たい緊張が撫でていく。


「“7つの提案ゲーム”って聞いたことある? あなたが毎朝、始発に乗ってること……知ってたわ。今日から一週間、1日1回、私と小さなゲームをするの」

「……は?」


ゲーム? 何を言ってるんだ、こいつは。


「簡単な条件を一つ出すだけ。あなたがそれに“同意”すれば成立する。勝てば報酬をあげる。“理想のカノジョをプレゼントしてあげる”。これでどうかしら?」


耳元で囁かれているような感覚だった。声が滑らかすぎて、一瞬意識がふわついた。


「断る。……ていうか、中身も聞いてねーし」


眉をひそめて、俺は首を振った。だがナナカは、まるで予想通りとでも言いたげに笑って頬に手を添える。


「まあまあ、そう急がないで。今日の提案はシンプル。“眠ってはいけない”。あなたがこのまま起きていれば、あなたの勝ち。簡単でしょ?」

「……は?」


何をバカな。そんなの余裕だろ。


「ただし、眠ってしまったらどうなるか」


そのとき、ナナカが浮かべた意味深な微笑み。

その目に、誘導の意図がにじんでいた。なのに、俺はそれを疑うよりも先に、つい口を開いてしまった。


「――眠ってしまった場合は、どうなるんだ?」


その瞬間だった。ナナカの微笑が、ふっと深くなる。


「そうね。じゃあこうしましょう。あなたが次の駅に着くまでに万が一眠ってしまった場合――その日、私が出す“最後の提案”を、あなたは却下してはいけない。これでどうかしら?」


「……まあ、別に。ゲームやってりゃ眠くならねーし……」


何気なく呟いたつもりだった。

でもその瞬間、ナナカの表情にほんのわずかだけ変化があった。


(なんだ、今のは……)


引っかかる。けど、言葉にする前にナナカはすっと立ち上がり、黒いワンピースの裾を整えながら言った。


「今日は何も無しでいいわ、ハンデよ。初心者にはね。あと6回、楽しみにしてる」


言い返す間もなく、彼女は車両の端へと歩いていき、振り返ることもなくドアの向こうに消えていった。


静寂が戻る。けれど、車内の空気はもう、乗ったときのものとは違っていた。



駅に着くまでの数分間、俺はスマホを何度も点けたり消したりしながら考えていた。


(7回? 提案? 眠ってはいけない? ……いや、でも今日は何も無かったって言ってたし)


自分に言い聞かせるように、肩をすくめる。

そして、気が抜けたように小さく呟いた。


「あと6回だろ。……楽勝じゃん」


窓に映った自分の顔はいたって能天気で、むしろ「あと6回もあるのか、だりぃな」なんて考えているように見えた。


――だがその時点で、俺はまだ知らなかった。

「楽勝」の二文字が、地獄の入り口だったなんてことを。


(つづく)

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