第10話:記憶の花束
――深夜、住宅街の奥に佇む一軒家。
タカトの家。そこに、黒ずくめの影たちが音もなく展開していた。
「――目標地点、確認。突入準備、完了」
通信の合図とともに、MtMの回収部隊が屋敷を包囲する。
静寂が、ほんの一瞬、世界を凍らせる。
そして、低く響く音。
玄関のドアが静かに開かれ、足音ひとつ立てずに黒装束の隊員たちが屋内へと滑り込んでいく。
「対象T、反応あり。二階へ移動中!」
「回収優先。ナナカの確保は後回しだ!」
隊員が一斉に雪崩れ込むそのとき。
家の奥から、タカト――否、“タカネ”がナナカの手を引きながら現れた。
「ここからは……走れ、ナナカ!」
ナナカは一瞬、立ち止まって彼を見た。
その目は揺れていない。むしろ、薄く笑うような口元で、言い放った。
「――アナタのことなんて、もうどうでもいいのに」
それでも足は止まったままだった。
ほんの少しのためらい。それを、タカトは見逃さなかった。
「もういい。お前は……自由に逃げろ。俺が……そう決めたんだ」
その瞳には、苦悶と決意が同居していた。
タカトの髪型は以前と変わらず、短く整えられている。だが、制服のスカートが夜風に揺れ、体の“形”は、既に元には戻っていなかった。
ナナカはタカトの視線から逃れるように、すっと目を逸らし――そして窓から夜の闇へと、音もなく姿を消した。
直後――タカトは、自ら隊員の前に立ちはだかる。
「動くな! ここでの抵抗は無意味だ!」
銃口が向けられても、彼は微動だにしなかった。
ただ、口を開いた。
「――ようやく、自由になった気がしたんだ。ほんの、少しだけどな」
◆
――数時間後、MtMの隔離施設。
タカトは拘束服のまま、診療室のベッドに座っていた。
扉が開き、セイが入ってくる。
「――その様子じゃ、半分くらいは戻ってこれたんだな?」
「戻った? 違う。……これは、俺の“まま”なんだ」
彼の声は穏やかだったが、その目はどこまでも深く、迷いがなかった。
「後催眠暗示は、完全には解けてない。3分の1……いや、それ以下かもな。でも、セイ。俺はあのとき、自分の意志で“敵になろう”って決めたんだ」
「――なんで」
セイの問いに、タカトは小さく笑った。
「お前が正しいからさ。あまりにも、まっすぐで、優しくて……ずっと俺のこと、見ててくれて。だから、“壊したかった”。その目に映る自分を、完膚なきまでに壊して、消したかった」
「……。」
「俺、ずっと怖かった。自分が何者なのか、何をされたのか。でも、壊れることでしか、何かを確かめられない気がしてた。だから……お前にぶつけた。痛みも、恐怖も、ぜんぶ」
セイは、拳を握ったまま俯く。
「――じゃあ、今の“お前”は……どこにいるんだよ」
「ここにいるよ、セイ。タカネでも、タカトでもない、“俺”が。……でも、今はまだ、答えを出せない。体も心も、途中なんだ」
◆
――数週間後。春の気配が漂う午後。
MtMの裏庭に、小さな花壇があった。
その前に、セイとタカトが並んで立っている。
「花……植えたのか」
「ああ。ナナカと一緒に見た夢の中で、こういうのがあった気がしてな。……あいつ、まだ逃げ続けてるんだろ?」
「逃がしたのは、君だ」
タカトは頷く。
「どこかで、また会うかもな。そのときは……お前と一緒に止めたい」
「ほんとに、できるか?」
「できるさ。俺は“壊れる”だけの奴じゃないって、お前が証明してくれたから」
風が吹き、白い花弁が二人の間を通り抜ける。
その瞬間、セイは小さく笑った。
「じゃあ、これからだな。“全部”取り戻すための、戦いが」
「――ああ。ここからが、本当の始まりだ」
タカトの髪が揺れ、スカートの裾が風に踊る。
それでも、彼の“目”だけは、どこまでも真っ直ぐだった。
(おわり)
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