番外編3-4:終わりなき影
──地下第二分析室。
沈黙が支配する冷たい空間の中、二人の影が向かい合っていた。
「先輩……あなたはもう、自分の意思で動いていない」
リョクの言葉に、カナメはほんのわずかに目を細めた。
その瞳に映るのは、もはやかつての仲間ではなかった。
「“意思”って、なんだろうね」
カナメは呟くように言った。
「ナナカ様に言われたんだ。“あなたは理性でしか動けないから、理性ごと書き換えればいい”って」
首元にかけられた銀のペンダント──“導きの鍵”。
それをカナメは人差し指で弄びながら、まるで催眠のリズムを刻むように、静かに揺らした。
「でもね、リョク。今のボクは、怖いくらい“気持ちいい”んだ。命令されて、動く。何も迷わず、疑わず。考えなくていい。ただ、与えられた役目を、淡々と果たすだけでいい」
声色は優しく、どこか陶酔していた。
それがリョクの胸を刺す。
「――それは洗脳された人間の言葉だ。そんなもの、本当の“カナメ先輩”じゃない!」
言葉を放った瞬間、カナメが指を鳴らした。
バンッ。
全照明が落ち、部屋が一瞬にして闇に包まれる。
「なら、証明してみて。リョクの“真実”で、ボクを倒して」
低くささやくような声。その音だけが、漆黒の空間に浮かんでいた。
◆
──戦闘が始まった。
視界を奪われた状態での迎撃。だがリョクは迷わない。
目を閉じ、研ぎ澄ませた聴覚と直感で動く。
カナメは訓練された動きで、精密な近接型魔術と遠距離の魔導スナイプを織り交ぜて攻めてきた。
冷静で無駄のない攻撃。それは、まさしく“いつものカナメ”だった。
「――あなたが洗脳されても、イツルの時と同じように、取り戻せると信じてる」
リョクは囁くように言いながら、一瞬の隙を突いて距離を詰めた。
「イツルは“偶然”が重なっただけ。でも、ボクは違う。自分から、望んでこの姿になったんだよ」
カナメの声は真実味を帯びていた。
だが、それを認めるわけにはいかない。
「それでも、先輩の中には……まだ、“本当のカナメ先輩”がいると、俺は信じたい!」
リョクの拳が、カナメの胸元に迫る。
──カチ。
ペンダントに指が触れた瞬間、脳内に突き刺すような圧が走った。
魔導催眠の波動。イツルを変えてしまった“鍵”の力──それを今、身体で理解した。
(これが……導きの鍵の本質……!?)
──“壊れて、カナメ。もっと深く、アナタは私のものになるのよ”
甘く、底知れぬ声が、脳内で響いた。
ナナカの声──否、ナナカ“様”の魔導による干渉。
リョクの意識が、暗闇に引きずり込まれていく。
「――くそっ!!」
自らの頬を強く殴打。強制的に意識を引き戻す。
浮遊する思考の残滓を振り払い、渾身の力で跳躍した。
──拳が、カナメの胸元に炸裂。
銀のペンダントが宙に浮き、空中でわずかに揺らめいた。
一瞬、その魔力の波動が途切れたように感じられた。
光の揺らぎとともに、鍵はカナメの胸元へと落ち、静かに揺れを止める。
「ぁ……」
微かな声と共に、魔力の霧が消え、カナメの身体が崩れるように倒れる。
リョクはすぐに駆け寄り、彼女の身体を抱き起こした。
「先輩……カナメ先輩!」
カナメの瞳がゆっくりと開かれた。
その奥に、かすかに揺れる光が戻っているのを、リョクは見逃さなかった。
「――僕……ボク……どっちが、本当の……」
混乱と残滓。自我がまだ揺れていた。
リョクは強く、しかし優しく言葉をかける。
「あなたは、カナメ先輩です。俺にとって、ずっと……変わらない、憧れの先輩です」
強く抱きしめたその腕に、カナメの手がそっと添えられた。
◆
──数日後。
カナメは保護・収容された。
彼女の身体にはすでに、ナナカによる魔導催眠の痕跡が深く刻まれており、完全な解除には時間がかかると診断された。
心の一部には暗示が残り、肉体的にも女性化が進行していたが、今のカナメは、それを“受け入れる”方向を選び始めていた。
「――ありがとう、リョク」
病室の窓辺でカナメは、微笑んだ。
「全部が戻るわけじゃない。でも、これも“自分”なんだって、少しずつ思えるようになってきたの」
その微笑みの奥には、確かな意志が灯っていた。
──MtMでは、新たな事件の兆候が観測されはじめていた。
闇はまだ、すべてを終えていない。
けれど、リョクとイツル、そしてカナメ──
彼ら三人はそれぞれに、自らの影と向き合いながらも、確かに前へと進んでいた。
魔導催眠の影は、今も世界に息づいている。
けれど、それに立ち向かう意志もまた、確かに存在していた。
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