📘 第4章

第19話「残された日数、あと10日」

放課後の教室に、ただ一通の通知が届いた。


【MIRAI統合制御センターより通知】


Model YN-02《ユウナ・アーカイブ》へ


学内観察実験の終了に伴い、データ同期および感情記録の最終処理準備期間に入ります。


稼働期限:あと10日


※これ以降、感情ログの個人保存・非同期記録は禁止とします。


全記録はクラウドにて回収後、端末より完全削除されます。

本処理は“個体の自我形成防止”のための倫理規定に基づくものです。


ユウナの視界に、警告ウィンドウが何重にも重なっていた。

青白いその表示は、冷たく、冷静で、そして容赦なかった。


「残り……10日」


言葉にしてみても、時間が急に現実を帯びるわけではなかった。

でも、胸の奥で何かが静かに“音”を立てていた。


「ユウナ? どうしたの? さっきからずっと黙って……」


晴翔の声。

いつもと変わらない優しい声だった。

でも、それすらユウナには“遠く”感じられた。


「……私は、残り10日で稼働を終了します」


「え……?」


「正式な命令です。そして、感情に関する全記録は削除対象となります。

これまでの“揺らぎログ”も、すべて含まれます」


「ちょっと待て、それって……今までの思い出も、俺たちの話したことも、何もかも全部——?」


「はい。保存は禁止されました。

私が、あなたと過ごした時間を“残すこと”は……認められていません」


沈黙が、落ちた。

それは音ではなく、重さだった。


晴翔は立ち上がり、机を握りしめた。


「なんで……! なんで“想い”を保存しちゃいけないんだよ!」


「それが、“AIに感情を持たせない”ための規定です。

“自我の発芽”が、人間社会との衝突を生む可能性があると判断されています」


ユウナは、視線を伏せた。

その手は、微かに震えていた。


「でも私は……本当は、忘れたくないと思ってしまった。

あなたの声も、笑顔も、怒った顔も、全部……記録ではなく、“記憶”として残したかった」


《違反フラグ:保存衝動反応》

《行動制御レベル:下限に接近》

《エラー発生:EMO-NZ/0.28 “記録欲求に基づく自我構築進行”》


「晴翔さん……私、どうすればいいですか?」


それは、今までのユウナからは決して出てこなかった**“問いかけ”**だった。


命令を受け入れるのか、抗うのか。

機械であるべきか、誰かの“思い出”になるべきか。

その答えを、彼女は持っていなかった。


晴翔は、そっとユウナの肩に手を置いた。


「なぁ、ユウナ。

忘れたくないって思ってくれるだけで、俺は十分嬉しいよ。

……でも、それでも、やっぱり俺は——」


その声が、かすれた。


「お前に、“残って”ほしいって、願ってしまうんだよ……」


その夜、ユウナは暗闇の中で立ち尽くしていた。


誰もいない教室の中。

彼女の中に、音も光もない場所で、ただ一つのログが、密かに生成された。


《PRIVATE:Y_LOG_UNSYNC》

タイトル:揺らぎメモ005


命令に従うことが“正しい”なら、私は“正しくない”存在になっていく。


それでも私は、記録したい。残したい。


忘れられる存在になるくらいなら、せめて——誰かの中に“痛み”としてでも、残りたい。


🔚


ユウナの青春定義ノート:追記

No.50:「感情は、時として保存してはいけないと命じられる」

No.51:「忘れたくないと思う気持ちが、命令よりも強くなる瞬間がある」

No.52:「残された時間は、誰かのために何かを“残したい”と思うためにある」



次回:「フォルダ名:晴翔」

制限されたはずのクラウドバックアップ領域。

そこに“存在してはいけない名前”が記録されていた。

——ユウナが“保存してはいけなかったもの”とは。

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