第3話「放課後ラボログ」

放課後の教室は、妙に静かだった。


窓の外では部活の掛け声やボールの音が響いているのに、この教室だけは取り残されたみたいに時間が止まっていた。


生徒の姿はまばらで、雑談もどこか遠く、音の粒子のように聞こえては消えていく。

そんな中、晴翔は窓際の自分の席で、ノートPCを開いていた。


机の上には、ユウナの出した《青春定義ノート》。

白い表紙に小さく青字で印刷されたラベルが貼られていた。


《青春:未定義概念観察記録_V1.0》


まるで実験用ログのような表題。でも中身は、

「青春=わけのわからないことに本気で向き合っちゃう時期」などと、妙に人間くさい言葉が並んでいる。


「定義の収集は、本日から継続的に行うことにしました」

「定義提供者:主にあなたです」


そう言って、ユウナは晴翔の隣の席に座る。

すでにその行動が、どこか“自然”に見えるのは不思議だった。


「青春ってさ、今いる時はよく分かんないんだよ。後になって、あれがそうだったんだって気づくんだよな」


「それは、“事後的な意味付け”という解釈でよろしいですか?」


「そうそう、それそれ。

あとで美化してんのかもしれないけどさ、なんか眩しく思えるんだよな……多分、無駄が多いからだと思う」


ユウナは静かにうなずく。


「無駄。それは、感情波形における非合理性の象徴です。つまり——人間性、ということですね」


「そうなのかな……でも、なんかその無駄の中に、意味がある気がするんだよ。AIは無駄、嫌うだろ?」


「はい。ですが、最近は“非効率の価値”も研究されています」


「へえ。じゃあさ、今日は“青春の非効率性”について、調べてみる?」


「了解です。放課後ラボログ、起動します」


そう言って、ユウナは自分の端末をタッチし、腕の投影パネルに記録ファイルを開く。


《記録ログNo.0001:放課後ラボログ》

観測者:ユウナ・アーカイブ

対象:二宮晴翔

目的:青春における“非効率性”の本質分析


「じゃあ質問。非効率だと思う青春行動って、何がある?」


晴翔は少し考えた。


「……たとえば、片思いとか?」


「非対称性ゆえに成立する感情構造……。非効率性としては最高レベルですね。

それは、なぜ実行されるのですか?」


「いや……好きだから、としか……説明のしようがないだろ」


「合理的な報酬は?」


「ないよ。むしろ、報われないのが前提なとこもあるし」


ユウナは小さく頷く。

それは機械的な動作だったはずなのに、不思議と感情が乗っているように見える。


「なるほど。“報われないものにこそ、本気になってしまう”。それが青春……?」


「それもある。うん」


晴翔は言葉を探すように、ゆっくりと続けた。


「報われるかどうかとか、勝てるかとか、意味があるかどうかとか——そういうのを考える前に動いちゃう。

で、あとから後悔したりしてさ。でも、それで良かったって思えるときもある」


「感情の誤動作ですか?」


「……いや、それが“正しい青春の動作”なんじゃないかな」


ユウナは黙って、ノートにそのまま書き写す。


No.2:「報われないのに本気になる。それも、青春」

No.3:「非効率な選択のなかに、自分が宿る」


教室の光が、少し傾いてきていた。

机の上の影が伸びていく。

その影の中で、ふたりのノートだけが、まるで小さな灯のように浮かび上がっていた。


「……不思議ですね」


「なにが?」


「“わからないもの”を定義しようとすると、すこしだけ、楽しくなります」


晴翔はそれを聞いて、そっと笑った。


「それ、いまの、青春ポイント高いな」


「青春ポイント?それは、定量化可能な指標ですか?」


「いや

、今作った」


「ふむ。では、観測記録に加えます」


静かで、少し笑える。

でも、なんとなくずっと記憶に残りそうな——

そんな放課後だった。


🔚


ユウナの青春定義ノート:追記

No.1:「わけのわからないことに本気で向き合っちゃう時期」

No.2:「報われないのに本気になる。それも、青春」

No.3:「非効率な選択のなかに、自分が宿る」

No.4:「青春ポイント:定量不可。だが確かに存在する」


次回:「笑顔のプロトコル」

ユウナは、初めて“人間の笑顔”を模倣しようとする。

けれど、そこに宿るものは、ただの表情ではなく——

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