📘 第1章

第1話「転校生はAIでした」

春の風は、思っていたよりも冷たかった。

空は晴れていたけど、校舎のガラス窓に映る光には、どこか淡い翳りがあった。


二宮晴翔は、窓際の席にいた。

教室のざわめきは、いつもの月曜のそれと変わらなかった。けれど、彼はなぜか落ち着かず、視線を窓の外に逃がしていた。


桜は、もう半分ほど散っていた。

この季節の風は、何かを連れ去っていくようで、少しだけ苦手だった。


「さて、それじゃ……転入生を紹介します」


担任の平沢が教壇の前で声を上げると、教室の空気が少しだけ引き締まる。


「ユウナ・アーカイブさん。入ってきて」


——その名前を聞いた瞬間、晴翔の首がゆっくりと動いた。

理由は分からない。ただ、**“妙に気になる名前”**だった。


ドアが開く。

それは、なんというか、異物感のない異物だった。違和感を感じさせない、静かな侵入。


そこに立っていたのは、少女だった。

長い黒髪、白に近い肌、均整のとれた顔立ち。制服も、正しく着ている。

けれど——何かが足りない。そう、ノイズがなかった。


彼女の一歩は、無駄がなかった。

その動きは、流れるようでいて、どこか"演算された"ようだった。

まるで、予定された軌道に沿って歩いてくる月のように、静かで正確だった。


教壇に立った彼女は、前を向き、はっきりとした声で言った。


「こんにちは。私はユウナ・アーカイブです。正式名称は、AI統合体試験型——Model YN-02」


一瞬、教室の空気が止まる。


何人かが笑いかけて、でもやめた。

誰かが椅子を引く音がした。でも、その音は、すぐに沈んでいった。


「人間社会における共感学習を目的に、103日間の観察と模倣を行います。よろしくお願いいたします」


AI。


その単語が、静かに、けれど強烈に教室の空気に落ちた。

誰もが思った。「冗談?」「ネタ?」「本気?」


だが、彼女の声は正確だった。無駄のない抑揚、まっすぐな視線、そして何より、迷いのなさがそれを真実だと証明していた。


晴翔は、息を呑んでいた。

目の前にいるのは、本物の——汎用AI。


「すげぇ……」

思わず、小さく呟いた。


「汎用感情AI……!? 本当に動いてる……!?」


頭の中で、技術用語が洪水のようにあふれた。

自己学習?共感適応?身体構成?クラウド制御? いや、もしかして完全オンボード型か?


何か言いたかった。でも、喉が乾いていた。


ユウナは、くるりと首を動かし、教室を見渡す。


そして——


視線が、止まった。

彼女の目が、晴翔を捉えた。


直視。

けれど、冷たさはない。ただの観察。観測者としての視線。


晴翔の背筋がすっと伸びた。

まるで、何かに選ばれたような気がした。運命、というには現実的すぎるが、それでも——


「……観察対象は、二宮晴翔さん。あなたに、青春とは何かを教えていただきます」


また、教室が静まる。

誰かが咳払いをした。誰かが「マジかよ」と呟いた。


でも、晴翔の耳には何も入ってこなかった。

ただ、彼女の声だけが、深く残っていた。


「せ、せいしゅん……!? ……いきなり……!」


赤面しながら口走った自分の声に、自分で驚く。

だが、ユウナは表情を変えず、首を傾げた。


「間違っていましたか?」


言葉の意味ではなく、“その問いかけそのもの”に、晴翔の胸が揺れた。

AIが、人に何かを問う——それは、既に“機械”ではなかった。


103日間。

これは、たったそれだけの時間の記録。

でも、ここから始まったのだ。AIと人間の、「感情の共有実験」が。


それが、青春だったのかどうか。

それは、もう少し後になってから分かることだった。


🔚

次回:「青春って、なんですか?」

放課後、ふたりは“定義ノート”を開く。

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