第8話 松山歩兵第22連隊

 最後に残っているのは誰だったかな?

 分かりました。それは、生徒たちです。「バッタをイナゴぞなもし」と云った生徒たち。「天ぷら蕎麦4杯を黒板で書いた」生徒たちです。「師範学校の生徒たちと大喧嘩した」生徒たちです。「湯の中で泳ぐ可らずと書いた」生徒たちです。彼らの消息は?

 結論は……?

 皆んな死にました。戦死です。夏目漱石が松山中学に赴任したのは1895~1896年です。それから1904年に日露戦争が起きます。中学校の13歳~18歳の生徒たちは21歳~26歳になってました。殆どが兵士になり戦地に向かったのです。

 日露戦争で最も激しかった旅順要塞、奉天の戦いです。旅順要塞戦で戦った第3軍は四師団でした。その中の第11師団は四国の兵たちで編成された師団です。その中でも松山歩兵第22連隊、伊予の肉弾連隊と云われた精兵中の精兵でした。夏目漱石が教えた生徒たちは、旅順、奉天で死んだのです。

 夏目漱石の「坊っちゃん」は、日露戦争後の翌年(1907年)に発刊されています。一日で執筆されたと云われてます。漱石の他の作品の文章とは全く違うような文章です。もしかしたら、戦死した教え子たちの鎮魂の心が込められた文章だったかもしれません。


                                 終わり


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坊っちゃん達のその後 かわごえともぞう @kwagoe

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