坊っちゃん達のその後
かわごえともぞう
第1話 坊っちゃんが去る。それから……
坊っちゃんが去る。それから赤シャツは、うらなりは、
坊っちゃんは、何で愛媛県の松山に来たのか?
まずは、それである。
坊っちゃんは、夏目漱石の自伝と云うか、自虐的と云うか、その小説である。青年期の回想の小説でもある。
夏目漱石は、松山中学の嘱託教師で松山に来る。東京帝国大学文科卒で就職活動に
だが、
勝負にならないと思った夏目金之助は学習院を諦め、東京高等師範学校の英語の教師になる。其処には、
なお、重見周吉著作『日本少年』は、1889年に米国で発刊されている。新渡戸稲造の「武士道」は1899年で発刊。内村鑑三の「代表的日本人」は1894年で発刊。岡倉天心の「茶の本」は1906年で発刊される。それらは、日本人が初めて書いた原書英語だと云われています。
ですが、この『日本少年』が、日本人の原書英語でされた発刊では、おそらく最初だったようです。米国でベストセラーだった小説として重要文化財になっても良いのではないか? 100年経ったロンドンの古書店で発見された本ですが、現在1冊しかないようです。
夏目金之助は、高等師範学校も二年程で辞めてしまう。自分の教師としての資質にも疑問があり、また恋愛問題もあったりし、強迫観念とかもあったりし、結局、田舎の愛媛県の松山中学に奉職する。嘉納治五郎は多分怒ると思います。柔道家の嘉納は納得はするものの、講道館には10万の弟子があるので、その中には「先生をコケにするのか」とか言ってやって来るのもいるかもしれない。殺されるまでは無いかも、上四方固めで三角締めもあるかもしれない?
坊っちゃんの登場人物に「
西郷四郎は、嘉納治五郎の弟子で講道館四天王の一人です。明治19年警視庁武術大会で柔術諸流の中、決勝戦で得意技「山嵐」で勝利する。それが警視庁の正課が講道館柔道に成り柔道の発展になる。
西郷四郎と「山嵐」は、夏目漱石はおそらく知っていたはずだが、嘉納治五郎の弟子までは知らなかったようです。後で知るのですが、「山嵐」が他の登場人物とは違う好人物にしているのは、こう云った背景もありかなと思う処です。
ちなみに、西郷四郎は、小説「姿三四郎」のモデルです。「坊ちゃんの山嵐」と「姿三四郎」と二大ベストセラーのモデルとは大したたまげたです。
坊っちゃんのモデルはと云うと、一応、当時の数学教師だった
小説の坊っちゃんは、松山に田舎者と呼んで東京に帰って行くのです。ですが、本当の坊っちゃんは、松山から西条と徳島、そして埼玉に赴任して、最後には京都に住んだのです。
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